3
さしたる情報もなく、
酸化したような黒ずんだの銀製の取っ手は冷たく、背筋までひんやりする。
銀は酸化しないんだったか、何と結びつくんだっけ、硫黄? とどうでもよいことを考える。
しばらく握っていればじんわりと自分の熱が伝わり、同化したかと思うくらいの時間は、楼子はその場に立ち尽くしていた。
(救う、と、言われても)
この扉の向こうに「あの子」がいるらしい。
もっとちゃんと質問をするべきだった。
魔女のような女は綺麗な白い手で、楼子の主婦湿疹のある指先を取って台座から下ろした。
紺色のパンツスーツの背中の皺が気になった。
台座から立ち上がって、あれ、刺された傷がないな、と思い、楼子は首をかしげながら空いている手で腹のあたりをさすった。
振り返れば大理石の台座はますますオカルトっぽい。
これに寝かされていた、などと。
なぜ、とか、なんだ、とか、どこから考えればいいのかわからないまま、紫のローブの女は楼子の手を引いて歩く。
フードから覗く顔には影が落ち、目元まで伸びた前髪が邪魔をして、女の表情が見えない。
だけど、まだ若い。
もしかして幼い。
(たぶん、美少女)
人形のような小さな赤い唇が目に付いて、どきどきしているうちに、そのまま女に廊下に連れ出された。
仕事用の黒パンプスの底が、石の廊下をかちんかちんと鳴らす。
まっすぐ歩いて円柱が立ち並ぶ広い回廊を通り抜け、別棟の扉の前。
別棟は大きな石で組み上げられた円柱形の建物だった。
右を見ても左を見ても森。
空は薄い青色で、筆で引いたような雲が流れていた。
静かな森だった。
雑踏の声も、エンジン音も、横断歩道のピヨピヨも、誰かのイヤホンからはみ出してくるロックもない。
呼吸をすれば、清浄な空気が肺を満たす。
この場所好きだな。
そんな感想を持っている間に、女はすーっといなくなっていた。
扉の前で、楼子は、とりあえず取っ手に手を掛けたものの、開けることができずに迷っていた。
ここを開けて、中の「あの子」の話を聞かなければならない。
頼まれてしまったので、聞かなければなるまいが、会話ができる相手だろうか。
急に入って怒鳴られたらどうするんだ。
楼子は大声が少し苦手だった。
自分の会話スキルで何ができるのか考えてしまうと、ちょっと踏ん切りがつかない。
(そもそも、ここはどこなの)
内側から湧き上がる疑問は後を絶たず、楼子は眉根を寄せて目を瞑った。
困っている人が目の前にいて、助けてと言われているのに。
迷っている。
さっきの美少女が言っていることはわかったから、言葉は通じるのだろう。
だけど。
「……うん」
ただ、楼子には逃げるという選択肢はなかった。
そう確認して頷いた。
どこかも分からない場所に、目的なく放り出される事態は避けたかった。
やることがわからないのは、怖い。
よし、と前を向いた。
業務用でいこう、とスタンスを決めた。
「こんにちは。お話、伺いますね」
ギィと蝶番が鳴いた。
思い切って取っ手を引いて、扉を開いた。
空気抵抗で扉は重かった。
一瞬目の前を黒い
扉の中は、一部屋だった。
だだっ広い部屋だった。
扉は砂を噛む音と共に閉じられた。
閉鎖された空間は、しかし薄暗い。
この部屋には、外のような清涼さがない。
白いはずの壁はくすんでいて、部屋の中央には、朽ちかけた大木があった。
樹木の葉っぱは落ちてしまっており、岩のような幹から空の見えない天井に救いを求めるように伸ばされた枝木が悲壮な感じがした。
その幹の向こうの低木、これも枯葉色の低い茂みだったが、その奥に埃に埋もれるように、天蓋付きのベッド。
ベッドに、どうやら、人がいる。
ひりひりとした緊張感がある沈黙の中、楼子はベッドに歩み寄った。
人が寝かされている。
鼻と口元だけ避けるようにして、包帯というにはずいぶん幅が広い布が巻かれていた。
布には文字らしきものが書き綴られてあり、余計に痛々しい。
楼子は、ぐ、と下唇を噛んだ。
「……こんにちは。失礼しますね」
決死の思いで声を掛けたが、自分でもわかる、声が小さすぎて相手に届かない。
ベッドの横にあったテーブルセットの木製の背もたれ付きの椅子を引いてきて、包帯の人の頭から少し離れたところに座った。
椅子の足がかたんかたんと響いたが、反応はない。
眠っているのだろうか。
座って、しばし待つ。
耳鳴りがするほど、何も聞こえなかった。
楼子は右、左、と首を巡らせた。
部屋には壁に沿って花壇があるのだが、植物が全部、萎れていた。
床を見てみると花壇をめぐるように格子板が填められていて、その下は水路のようだが乾いてしまっている。
目の前のベッドの人は、静かなまま。
一応、布団がわずかに上下するので、呼吸はしているようだった。
「……水遣りでもしようかな」
独り言ちて、立ち上がった。
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