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死ぬのかな、と思ったら、弟の顔が浮かんだ。
十歳年下の弟。
思春期真っ盛りの彼は、姉が仕切る家を出たいと、寮のある高校を選んだ。
連休にも帰ってこない。
ちょっと離れて暮らすだけだと分かっているはずなんだけれども、家に帰って一人というのは、実際まだ慣れなくて、時々寂しい。
友達は作れただろうか。
洗濯はできているんだろうか。
授業は寝ていないだろうか。
細やかな心配が募る。
でも、彼の自立を応援することが務めだと思って、姉は稼げばいいと思って、仕事に邁進することにした。
そんな矢先。
(死ぬのか)
楼子は、小学生の時の夏休みには、テレビでよくやってた死後の世界の特集を見て、ドラマだな、などとなんだか冷めたことを考えている子供だった。
死んだら、何もなくなるのだ。
少なくとも、生きるために生きている人間には、死後の世界は関係ないものだということを知っている。
父が亡くなってから楼子の小さな体は社会のシステムに振り回されて、権利とか義務とか、後は主にお金とかお金とか、散々現実を突きつけられた。
弟を守って生きていこうとした楼子に、死後の世界はこれっぽっちも交わらなかった。
幽霊でもいいから、と願ったこともあったけど、死んでしまった父が助けに来てくれることはなかった。
多くない遺産と年金だけが手元にあった。
多分刺された。
(……死んだんだな)
床に倒れるはずの体は、ひどくゆっくりで、やたらと深い場所へ落ちていく。
残念だ。
労災だ。
あんな死に方をしてしまって、弟は苦労するだろう。
ごめんね、
そんな風に、弟に詫びた。
落ちて、落ちて、水底へ沈むように投げ出された手足を自分で動かすことができない。
意識はぷつり、ぷつりと途切れる。
遺した弟の顔が、次第にぼやけて。
白く、消えた。
原っぱのような青臭さと、水に濡れた土の匂い、それから百合の花のような匂いが鼻腔に広がった。
なかなか離れたがらない上下の瞼をこじ開ける。
白っぽい天井が見えた。
(眩しいな……)
焦点が合ってきた。
石灰岩の板が張り付いた天井ではなくて、白い石だけれどもアーチ状で骨組みには小花模様が彫られている。
病院にしては凝った造りの天井だな、とぼんやり観察した。
(……死んだ……はずじゃ……)
「聖女よ、目覚めましたか」
突然だった。
女性の声がした。
緊張で張り詰めた糸を震わせるような、か細さだった。
声のした方に視線だけを向ける。
楼子の周りは目隠しのように間仕切りがあって絹のカーテンが引かれている。
カーテンの向こうに人影がある。
隙間から、濃い紫色の服が見えた。
金の糸で複雑な刺繍が施されている高価そうな服だ。
足先が動くと、裾が揺れた。
服と同じ紫色の宝石が散りばめられたミュールから、血色の悪い爪先が覗く。
爪は黒く塗り潰されている。
(人……外国の?)
カーテンに白魚のような指が掛かった。
音もなくカーテンの内側に入ってきたのは、若い女性だった。
濃い紫のローブにフードを被った白い髪の女。
長い髪がローブに沿って流れていた。
女はカーテンを引っ張って、落とした。
途端に照度が上がり、楼子は目を細めた。
風が吹いて、ば、と白い花が舞い上がった。
花びらが竜巻に巻き込まれたように同心円状に散らばる。
舞いながら落ちてくる花を眺めながら楼子は体を起こした。
大理石の台座に寝かされていたらしい。
きょろ、きょろと周りを見ると、白の百合で埋め尽くされた床の八方に燭台が置かれている。
葬儀ではないだろうけど、何かの儀式のような。
(何の冗談だ)
冷や汗が背中を伝った。
悪寒が肌を這う。
ローブの女は楼子の前で膝を付き、祈るように指を組んだ。
「聖女よ、救ってください。あの子を」
楼子の様子など構うことなく、女は。
限りなく魔女の風体の女は、言った。
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