ボイドの呼び声
霜桜 雪奈
ボイドの呼び声
親友である
夜中、塾からの帰り道で車にひき逃げされたらしい。近くを歩いていた人が通報し、病院に運ばれたがまもなく死亡が確認された。犯人は、すぐに捕まった。
葬儀に参列した時、俺は彼の顔を見ることができなかった。それは遺体の破損が大きかったのと、俺が見たくなかったからだ。
親友の死から一か月経った時、心は自然と落ち着きを取り戻していた。時間の無情さを知るのと共に、自分が冷酷な気がして止まなかった。
自分に嫌気が差し始めたある日のこと。それは起こった。
その日は、秋のわりに猛暑日を記録した日だった。過ぎ去ったはずの汗ばむ陽気に、少なからずの苛立ちを覚えていた。
「よう、拓真。」
虚空から、声をかけられた。姿は見えない。ただ、声だけが聞こえる。
突然のことに驚いたが、不思議と恐怖は無く、その声の主はすぐに分かった。
「隼、か……?」
「そうだよ。俺が死んで、悲しんでる?」
多少の違いはあれど、それは間違いなく、親友の声だった。暑さで幻聴まで聞こえるようになったかと思った。だが、そんな考えが霞むくらい、俺は親友の声が聞けて嬉しかった。
「悲しむに決まってるだろ。……バカ野郎」
「あはは、嬉しいなぁ。悲しんでもらえて」
あの頃のように笑う彼の声が聞こえる。生きていたころに比べれば、幾分か元気でぶっきらぼうな話し方になったような気もする。
でも、そんなことも気にならないほど、俺は彼との再会を喜んだ。
死んだ友人の声が聞こえるようになって数週間。俺はすっかり、この日々に順応していた。
一定のリズムを刻む電車の中に、朝の穏やかな光が差し込む。
椅子に座って寝息をたてる社会人や、テストが近いのか単語帳を広げている高校生。
それらを横目に見ながら、俺は片耳にだけイヤホンをして窓の外を眺める。
親友が帰ってきた今、俺の日々はいつしかの日常を取り戻していた。
「なぁ、拓真」
しかし、この生活を送る上で一つだけ問題点がある。
「おい、拓真ってば」
それは、外での彼との会話だ。
隼の声は俺にしか聞こえていないらしい。
隼と会話しているのを傍から見れば、虚空と会話をしているやばい高校生だ。それを避けるためにも、俺は外で隼と話さない。
本人にもそれを説明したはずなのだが、それでも彼は外で話しかけてくる。
「あー、音楽でも聞こう」
小さな独り言を装い、俺は両耳にイヤホンをする。外で呼びかけられた時は、毎回こうしている。無視するのはどうしても気が引けるので、あえて最初から聞かないようにするのだ。
「あのさぁ、外で話しかけんのやめろって」
駅を降りて、学校への通学路を歩きながら、隼に言う。
「別に、俺の独り言だよ。独り言」
「ちゃんと俺に呼びかけてるんだわ」
こんなちょっとした言い合いも、俺は内心嬉しかった。
もう二度とできないと思っていたから。
駅から十分ほど歩けば、学校の正門が見えてくる。周囲の歩道にも、まばらに生徒の姿が増えてくる。
「んじゃ、ここから隼の呼びかけに答えられないから。よろしく」
「はいはい、りょうか」
正門を越えた瞬間、隼の声が聞こえなくなる。
こればかりは、この数週間で慣れていない。
なぜか隼の声は、高校の正門を越えた辺りで一切聞こえなくなる。高校内では、こちら側からの呼びかけにも応答しない。喋れなくなっているのか、もしくは高校に入れないのか、詳細は分からない。
このことについて本人に聞いてみたこともあるが、毎回明確な返答はもらえない。はぐらかされるか、黙秘されるか。四回目ぐらいで、俺は疑問について質問することを諦めてしまった。
これとは違うが、隼には生前の記憶が断片的にしかないことも気になっている。生前の話をする時に、隼と俺との間で食い違う部分があったり、そもそもで覚えていないことがある。
聞こえるようになった日から違和感を覚えていた、彼の一人称が『僕』であったのに『俺』に変わっているのは、これが原因なのではないかと個人的には考えている。
その週の土曜日。俺たちは校外学習で近所にある山を登ることになっていた。
登山家の間では有名な山のようで、標高もあまり高くなく、アマチュアでも楽に登れるらしい。校外学習の場に選ばれた理由は、土器が見つかっているからだとか。
昨日の雨天の影響で山道はぬかるんでいた。空も暗澹としており、山には不穏な空気が漂っている。ただでさえ乗り気でなかった登山が、その雰囲気でより一層憂鬱なものとなった。
山頂に着くころには、空の雲も少し晴れて、雲間に青空が覗くようになった。それと同じように、山頂まで登り切ったという達成感で俺の気分も晴れていた。
「なぁ、隼って疲れねぇの?」
昼飯を食べ終え、クラスから離れた場所で、隼に話しかける。周囲には山の緑が広がり、普段使っている駅が遠くに見える。足元には数十メートルほどの傾斜がある。傾斜というより、崖なのかもしれない。
「まぁ、浮いてるからな。歩き疲れる、なんてことはねぇよ」
「そうなんだ」
浮いてるなんて、初めて聞いた。考えてみれば、彼は今、どんな姿をしているのだろうか。……事故に遭った日と、同じ服装なのだろうか。
崖の下に目を向ける。山が崩れた後なのか、崖には岩肌が覗いている。
「ここから落ちたら、どうなるんだろうな」
隼が口を開く。そんなの死ぬに決まっている、そう答えようとする。
だが、本当にそうだろうか。ここから飛び降りても死ぬ保証はない。
当たり所によっては、死なないかもしれない。
一歩前に踏み出す。
なんだか無性に、飛び降りたい――
ふと、身体が浮遊感に襲われる。
落ちた、と思った時にはもう遅く、俺の体は崖を転げるようにして落下した。
上から数メートル転がったところで、岩にぶつかって体が止まる。
痛い。
いや、痛いといった次元の話ではない。
手足が動かなければ、意識も朦朧としている。頭を打った。四肢は骨をやっているだろう。崖を染める自分の血が、嫌な程網膜に映った。
崖の上から、悲鳴のようなものが聞こえてくる。
なんで落ちたんだ。薄れていく意識の中で、俺は自分自身に問う。
まるで、誰かに操られていたような――
その時、今まで否定していた考えが、脳裏をよぎる。
「お、前……は」
前々から不審に思っていた。だが、それは違うと否定していた。この一時を、再来した日常を、俺は心から楽しんでいたかった。
必死に口を動かし、そこにいるであろう『彼』に話しかける。
「お前、は、誰だ」
「あー……バレた?」
あの頃の親友とは、似ても似つかない低い声があたりに響く。
今回は、沈黙もはぐらかしもしてくれなかった。
ボイドの呼び声 霜桜 雪奈 @Nix-0420
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