やっぱり着物が好き!

増田朋美

やっぱり着物が好き!

その日は、本格的に秋がやってきたという感じで、もう朝の気温は20度を切るようになった。昼間の気温は、30度をこすこともまだあるが、それでも、秋が来たなと言うことを思い出させる風潮になってきた。そんなわけだから、もうみんな赤とか黒とか、そういう濃い色の服装をするようになってきている。

その日。製鉄所に新しく利用を申し込んだ女性がやってきた。本来秋の季節は、製鉄所を利用したいと言ってくる女性は、比較的少ないのであるが、今日の女性は、なんだか偉く落ち込んでしまっているようで、しぼんだように肩を落として、がっかりしているような感じの悲しそうな女性だった。

「えーと、野田さんとおっしゃいましたね、野田あかりさん。それではどうしてこちらに来られたのか、理由を話していただけないでしょうか?」

とジョチさんが言うと、野田あかりさんと言われた寂しそうな顔をしている女性は、

「はい。実は、19歳になる娘と二人暮らしなんですが、先日娘と大喧嘩をしてしまいまして、今でも、なんだか雰囲気がギクシャクしてしまっているので、それで、こちらにこさせてもらいました。」

と、答えたのであった。

「はあ、19歳になる娘さんが居るんですか。そうは見えないけど、、、。」

と、お茶を出した杉ちゃんがそう言うと、

「杉ちゃんそういう事を言ってはいけませんよ、女性に対して。」

ジョチさんはそう注意した。

「ああわかってるよ。なんだかあまりにもしぼんじゃってさ。そんな若くて発展途上の娘さんが居るようには見えなかったんで、そういったんだ。」

杉ちゃんはカラカラと笑ってそういうので、ジョチさんは、

「すみません。杉ちゃん、いや、この人は、すぐに失礼な事をいう癖があるんです。ごめんなさい。」

と、急いで頭を下げた。

「いえ、大丈夫です。そう思われても仕方ありません。19年間、娘と二人三脚で生きてきましたが、あんなふうに怒鳴られてしまったら、それも間違っていたと考えざるを得ません。」

野田あかりさんは、ジョチさんと杉ちゃんに言った。

「はああ、なるほど。子持ちの女性がここを利用するというのは、なかなか例がないので、面白かったよ。まあ、そういうことなら、よほど大きな事件だったんだね。それなら、事件の詳細を話してよ。お前さんは、娘さんと二人っきりなの?本当なら、ご主人が居るはずじゃないのかよ。それも居ないの?」

と、杉ちゃんがわざと明るくそう言うと、

「そうですよね。そう思われても仕方ありません。主人というか、娘の父親は、娘が生まれる前に、災害でなくなりましてね。それで何度か再婚の話もあったんですけど、どうもそうする気にはなれなくて。福祉制度に頼りながらも、二人で生きてきたんです。」

野田あかりさんは、申し訳無さそうに言った。

「そうなんだね、いわゆる母子家庭か。それで、前置きは良いから、その事件の事をちゃんと話してよ。」

杉ちゃんが言うと、あかりさんは、覚悟を決めたようでこう話し始めた。

「ええ。娘は中学校を卒業しまして、しばらく何もできない状態が続いていましたが、今年から、支援学校に入学しました。いわゆるワケアリの人であっても入れる高校です。その授業参観のときに事件が起きてしまいました。」

「授業参観。」

ジョチさんがそう言うと、

「はい。そのときに、親である私も、授業を見に行ったんですが、娘から、きれいな格好をしてきてくれと念を押されていました。私は、精一杯のおめかしをしたつもりだったんですが、娘にはきれいな格好には当たらなかったようで。学校から帰ってきたら、なんであんな地味な格好をって、娘に怒鳴られてしまいました。それ以来、食事のときもぶっきらぼうな返事しかしないし、もう娘は私のことが嫌いになってしまったのかもしれないって思って、、、。」

と、野田あかりさんは涙をこぼして泣き出した。

「はあ、泣かないでちゃんと話してくれ。その時に、お前さんは何を着ていったんだよ。まさかジャージじゃないだろうね?少なくともスーツでいったんでしょ?」

杉ちゃんが言うと、

「それが、娘に怒鳴られてしまって、もう何を着ていたのか覚えていないのです。」

あかりさんは答えた。

「それじゃあ、まわりの女性、つまり他の生徒の親御さんは、みんな華やかな格好をしていたのか?」

杉ちゃんがでかい声でいうと、

「はい。そうだったんだと思います。そうでなければ、娘がああして怒鳴ることもなかったと思います。」

「娘さんは、学校に行くようになってから、なにか変化とかそういう事はありましたか?例えば、服装が派手になったとか、友達付き合いが変わったとか。」

ジョチさんも彼女に聞いた。

「ええ、私は、仕事が忙しすぎて、娘のことなど考えられませんでした。確かに、娘の高校は制服は無いので、何を着て行っても良いのですけど、学校の事はよく話してくれましたので、とても楽しいのかと思っていたのですが。」

「はあ、お前さんのしごとは何だ?」

杉ちゃんがそうきくと、

「はい。文筆業をしています。娘が中学校にいるときまでは、ある出版社に所属していましたが、娘が引きこもりになってからは、なるべく家にいてあげようと思い、自宅でインターネットを通じて原稿をやり取りしながら、それで生活していました。」

と、あかりさんは答えた。

「なるほど、つまりフリーライターか。」

杉ちゃんはすぐに言った。

「なるほど。それで、誰とも再婚もしないで娘さんと二人暮らしだったんですか。それでは確かに娘さんとこじれてしまったら、衝撃は大きいでしょうね。」

「ええ、めったに喧嘩はすることもなかったので、家の状態は良いんだと思っていましたが、ああして怒鳴られるとは思いませんでした。だから今までしてきたことは無意味だったのかなと本気で思いました。」

ジョチさんがそう言うと、あかりさんはすぐいった。

「まあねえ、喧嘩をしないのが良い親子と勘違いする人は多いけどさ、でも喧嘩ばかりのほうが、お互いの感情をぶつけられるという意味では健在だと思うよ。喧嘩をしないっていうのは、一見平和が保たれているように見えるけど、意外にそうでも無いぜ。それは、覚えておくべきだったね。」

杉ちゃんが言うと、

「そうだったんですね。喧嘩ばかりのほうが、良かったんですね。私達は、それは間違っていたのでしょうか?私、これからどうしたら良いでしょう?」

と、あかりさんは、悲しそうに言った。

「うーん、娘さんが喜ぶことをしてあげることかな?なにか、出かける予定とか無いの?それとも、食事にでも誘ってみるとか、旅行に誘ってみるとかは?」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうですね。そうしてみようかな。何かしてあげなくちゃ行けないなと思っていたんですが、してあげなければだめですよね。」

あかりさんは無理していった。

「そういえば、先程娘さんは、19歳とおっしゃっていましたね。それでは、来年20歳になるということですね。それでは、もうすぐ成人式を逢えるということでもありますよね?」

不意になにか考えたらしくジョチさんが言った。

「ええ、もうそんな年になります。ブランクはありますけど、それでも、頑張って、学生として勉強しています。」

「失礼だが、娘さんのお名前はなんというんだ?」

杉ちゃんに聞かれて、

「はい。野田涼子と申します。」

あかりさんは答えた。

「野田涼子さんね。その野田涼子さんには間違いなく成人式の通知が来るはずだよな?それなら、当然のごとく、振袖を着て、写真を撮るよねえ?神社でお祓いもしてもらうこともするだろう。それを無視するということはまずしないと思うし、、、。」

杉ちゃんが腕組みをしていう。

「ええ、そうなんですけど、私は、親として振袖を持ってないんですよ。私が20歳のときは、とても忙しくて成人式に出る暇もなかったんです。だから、私は涼子に出してあげる、振袖が無いんです。」

あかりさんは悲しそうに言った。

「いや野田さん。それは違います。確かにお母様の振袖を譲り渡すというのは確かに流行りではあるんですけど、それを必ずしなければならないということでもありません。」

「そうそう。それに、振袖というのは、今は3000円で買える時代だからね。長襦袢や帯や、小物まで一式揃えても、今の時代は、一万円かからないよ。リサイクルショップで娘さんに知られないうちに、買うことも可能だよ。どうだ、それなら、娘さんに振袖一式、リサイクルで買ってあげたら?」

ジョチさんと杉ちゃんが相次いでそういった。

「そうですか。でもまた娘に変な趣味の悪い振袖だって、罵倒されたら。」

あかりさんは自信がなさそうに言うが、

「だから、二度とそうならないように慎重にやるんだよ。大丈夫、3000円で振袖は買えるし、帯も業者に出せば作り帯にしてくれる。それでは絶対大丈夫。立派な振袖を買ってやれば、娘さんだって、お母さんのことを見直してくれるんじゃないかな?」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「それは、できるんでしょうか?3000円って、本当にそのくらいの値段で買えるのでしょうか?」

あかりさんはそう言っているが、

「はい。買えます!今から、そういう店に行ってもいいぜ。タクシー頼んでやるよ。」

と杉ちゃんは言った。急いでジョチさんは、スマートフォンを出して、

「この店ですよ。この店であれば、振袖とか、いろんな着物が買えます。」

と、増田呉服店のページを表示して野田あかりさんに見せた。

「ついでだからさあ、お前さんも着物着て変わったらどうだ?どうせ、きれいな格好してきてって言われてもできなかったんでしょ。洋服でおしゃれできなかったなら、それなら別の格好で授業参観に行くことだって今はできるよ。着物は本当に、今は身近なものになってるから。ほんと、うんと安いやつであれば、300円とかで買えるからね。秋が近いし、まず初めに、お前さんが着物を着て明るくなれたら、それで涼子さんも変わってくると思うよ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「そうですよ。300円でも買うことができます。着物も、帯も長襦袢も。本当にそれくらいの値段でも買える時代ですからね。杉ちゃんの言う通り、着物を着て、娘さんの学校行事に行ってみたらどうですかね?」

ジョチさんも杉ちゃんの話に乗った。

「そういうことなら、善は急げだ。すぐに買いに行こうよ。まず自分を明るくして、それができたら娘さんに振袖をプレゼントしてやると良い。」

「そうですか。わかりました。その店に行ってみます。」

野田あかりさんは、申し訳無さそうに言った。ジョチさんは、静かにスマートフォンをダイヤルし、急いで増田呉服店の店主、カールおじさんに、一人の女性が、今から着物を買いに行くから、初めて買う女性なので、親切に教えてやってくださいと電話した。それから、タクシー会社にも電話して、3人乗りのタクシーを呼び出し、増田呉服店まで行ってくれと頼んだ。

「本当に、着物が数百円で見つかるのでしょうか?」

と、野田あかりさんは言っているが、

「大丈夫ですよ。すぐに見つかります。きっと在庫が余り過ぎて困ってるとか、そういう事を言うと思います。」

ジョチさんはしたり顔で答えた。そして、タクシーは増田呉服店という小さな看板がある、ブティックのような店の前で止まった。運転手に手伝ってもらって杉ちゃんたちはタクシーを降りる。普通に考えられる呉服店は、立派な店構えで和風の建物であることが多いのであるが、そのような建物とはほど遠い、小さな店だった。本当に呉服店と言って良いのか分からない位だった。杉ちゃんが店のドアを開けると、店のドアに設置されていたザフィアチャイムがカランコロンとなった。

「はいいらっしゃいませ。」

カールさんは、杉ちゃんたちを出迎えた。もちろんカールさんも着物姿であったけど、カールさんのような人が、着物を着ているのもちょっと違和感があって、変わっていると思われる感じであった。

「ああ、あのねえ。娘さんの学校行事に行けないお母さんだよ。なんでもきれいな格好してきてと言われたけどできなかったので、それで娘さんに罵倒されたらしいで。だから、彼女に華やかな格好をさせてあげられるように、着物を教えてくれ。」

と、杉ちゃんはすぐに言った。杉ちゃんという人は思ったことをなんでも口にする。それは良いのか悪いのか、判断できないこともある。

「そうですか。つまり娘さんの学校行事に着物を着たいというわけですね。それでは、普段着というより、外出着にされたほうが良いでしょうね。そういうことでしたら、例えば、こちらの付下げなどはいかがでしょうか?」

とカールさんはピンクの着物を売り台から取り出して見せてくれた。菊と、オミナエシが大きく入れられた、可愛い感じの付下げである。

「付下げってなんですか?」

野田あかりさんは申し訳無さそうに聞いた。カールさんは変な顔をすることもなく、

「付下げというのはですね。訪問着と同様に肩、袖、下半身に大きな柄があるのですが、それが衽と前身頃で柄が切れている着物ですよ。ちなみに衽と前身頃で柄がつながっていたら付下げとはいいません。衽とは、こちらの狭いパーツのこと。付下げというのは、柄がそれぞれのパーツに収まっている着物のことです。外出着として使用して、先程いいました、授業参観でも使える着物だと思います。」

と、にこやかに説明してくれた。

「そうなんですか。それでは、学校行事に着てもいいのですか?」

野田あかりさんは、小さな声で言った。

「はい。大丈夫ですよ。気軽な用事で、ちょっと改まったところであればどこでも着用できます。学校行事だけではありません。どなたかとお食事に行くときとか、旅行などに行くときにも着られますし、コンサートなどにも着られます。」

と、カールさんが言うと、

「そうなんですね、いろんなところに着ていけるんですね。じゃあ、このお着物には帯等はどうしたらいいのでしょう?私、帯結びができないんですけど、それでも、いいのでしょうか?」

野田あかりさんはとても恥ずかしそうに言った。

「大丈夫ですよ。作り帯というのもありますよ。これなどいかがですか。これ、二重太鼓の作り帯なんですが、あなたの年代であればちょうどいいんじゃないかな?」

と、カールさんは、箱の中から作り帯を一本出してくれた。黄色で、お太鼓の部分には大きな白いユリが入れられている作り帯。ピンクの付下げにはピッタリだ。

「それと、あと、長襦袢もつけましょうかね。このお着物の袖丈は、52センチで、少し長いですから、同じく袖丈52センチのこちらを着られたらいかがですかね?」

そうだされた長襦袢は、ピンクの正絹の長襦袢で、とても素敵な色でもあった。

「半衿は白ですが、別にそうしなければならないという法律は何処にもありません。そうしなければならないという着物の専門家もいますが、その通りにする必要はまったくないのです。」

と、カールさんはにこやかに説明する。

「あとは、足袋ですかね。4枚小鉤が一般的です。多分大きな足でも無い限り、4枚で大丈夫だと思います。」

カールさんは足袋も出してくれた。そして、着付けに必要な腰紐を3本と、帯揚げ、帯締めなども出してくれた。合計すれば、値段は9800円で壱万円しなかった。あかりさんがクレジットでは払えるかと聞くと、カールさんはもちろんですと言って、すぐに読み取り機で受け取ってくれた。

「ありがとうございます。あの、ちょっとお尋ねしたいんですが、振袖が本当に3000円で買えるものでしょうか?」

あかりさんは着物を畳んで袋に入れてくれたカールさんに聞いた。

「もちろんです。すでに在庫がございますよ。誰か振袖を差し上げたい人でも居るんですか?」

カールさんは即答した。

「はい。娘が成人式を迎えるので、娘に買ってやりたいと思ったんです。」

あかりさんがそう答えると、

「そうですか。それでは、寸法などをあわせたいのでできるだけご本人を呼び出して頂きたいと思います。どうしても今の若い方は、ちょっと大柄な方が多いですからね。まあ、少し工夫すれば着れることが多いんですけどね。昔の人は、そうやって着物を着ていたんでしょうけどね。」

と、カールさんはにこやかに言った。彼女は少し不安そうな顔をしたが、

「それでは、あなただって、生まれ変わることができたんじゃんじゃないですか。着物を着て、変わることができるんだってことは、あなたが証明したでしょう。それを胸を張って娘さんに見せてやってください。そうすれば娘さんだって、変わると思います。」

と、ジョチさんが言った。

「そうですね。私も、それができるかもしれないと思えてきました。なんか、着物を着たら、何でもできるような気持ちになれる気がしました。こんなきれいな着物を私が身につけられるのですから。そんなことができるなんて、信じられませんもの。娘にもそれを伝えていけたらいいですね。私も娘も、まわりの視線に耐えながら、生きてきましたからね。」

野田あかりさんは、にこやかに笑っていった。

「それにしても、西洋人なのに、なんで、着物屋をやろうと思ったんですか?」

「い、いやあねえ。留学するつもりでこちらに来たんですけどね、たまたまアルバイトした呉服屋さんで、着物というものは本当に素敵なものだなあと思いましてね。そのうちに、日本人がなんで着物を着ないのか、寂しいなと思いまして、こういう商売を始めたんです。」

野田さんの問いかけに、カールさんは照れくさそうに答えた。

「この店をやってみて、いろんな人が来ましたけどね。いろんな重たい過去を背負ってきた人達がきましたよ。過去に大きな失敗をして、もう戻れないところまで来てしまったとか、大きな病気をして容姿が偉く変わってしまった人とか。そういう事情を抱えている人達が、着物を着て、自分じゃないみたいって言って、笑顔で帰っていくのが、着物屋の醍醐味です。」

「そうなんですね。私も仲間に入れてください。やっぱり、着物が好きです。」

野田あかりさんはとてもうれしそうに言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やっぱり着物が好き! 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る