第6話

意識を失っている間、俺はある夢を見ていた。

和貴が撃たれて、地面に倒れた。健一が何故かその場にいて、彼が救急車を呼ぶ。

俺は引き寄せられる様に和貴の元へ歩いて行き、地面に倒れている彼を仰向けに動かす。

次の瞬間俺は自然に、意志の動くままに和貴と唇を重ねた。

すると和貴はゆっくりと微笑んで、俺の肩を押して、どかす。俺にはどうしようも無いと悟って、和貴から離れた。

すると和貴は傷だらけの身体で健一の方へ駆けて行ったんだ。

ただ黙ってその様子を遠目に眺めていると、俺の感情が溢れ出してきて。


ただ唖然と眺めていた目の前の景色が壊れはじめる。

身体の感覚が戻り始めて、水面に身体が浮上する様に意識が戻ってきた。

「和貴」

静かに呟いたのと同時に俺はふと目を醒ました。


トイレ特有のアンモニア臭に鼻がもげそうになる感覚に悶え苦しむ。


そして夢を見てはっきりしたことがある。

俺は和貴が好きだ。同性として。

1人の男として、俺は和貴に恋心を抱いている。

この気持ちに気付いたのは和貴が撃たれた姿を見てからだ。


和貴を失ったと感じた。その時俺にかかった強烈なキモチの正体。

憎しみ、悔しさ、焦燥感、その奥で静かに花を咲かせた恋心。

「この物語に決着をつけんのは俺だ」


立ち上がって、トイレの洗面台で顔を洗う。


スマホを開く。健一は今取り調べ中だという情報をマッド君の連絡から知る。


その連絡が届いたのが1時間前。

もう手遅れかもしれない。でも、気付いた時にはもう足は動き出していた。

すっかり日の暮れた路地を走る。

向かうところは頭の中でしっかりと決まっていてただ足を運ぶ事に専念する。


「つ、着いた」

大門市郊外の知る人ぞ知るスポット。

何段も続く階段を駆け上がっていく。

石造りの階段の割れ目から苔がびっしり生えていて、階段の踏み心地は最悪だ。

辺りはより一層暗くなっていて、空気が重い。

一帯が陰樹林になっているこの場所はある種聖域だった。

階段を駆け上がった先にある大理石で作られた鳥居。ここにも苔が生えていて、長年保たれてきた土地である事を象徴している。


鳥居を潜った先には1人の女性がいた。

「やっぱりここで合ってたのね」


「俺らの聖域だもんな?」


そんなやり取りを交わしながらその女性の元へ歩いていく。

「よーやく私に構ってくれるのかしら?」

瑠璃子の目尻はさっき恵美子さんの病室で会った時よりも赤く腫れていた。


「ああ!って言っても俺がお前に素っ気なくしたのは1日だけだろ?」


「それでも寂しかったの!」


プイッと頬を膨らませてそっぽをむく女性。

俺の恋人、瑠璃子。

俺はそっと瑠璃子を抱きしめた。

彼女の身体はすぐに折れてしまいそうなほど細く、でも何よりも熱い。

「瑠璃子、、!」


「ずっと、こうして欲しかったわ」


そう言って瑠璃子は俺をキツく抱き返した。


だから、俺も二度と俺らが離れない様に、力一杯華奢な身体を抱きしめる。

瑠璃子の吐息が聞こえる。安心し切った様な、甘い吐息だった。

キツく抱きしめたまま、俺は瑠璃子の耳に口を近づける。

そして、問うた。


「ねぇ、瑠璃子。なんでお前は和貴を殺そうとしたの?」


「…………え?」


瑠璃子の手から力が抜けていく。

でも俺は彼女を絶対に離さない様に抱きしめ続ける。


こうして、俺の本当の復讐が始まった。


一瞬のうちに青ざめていく瑠璃子の顔。

彼女から抱かれていた感触がなくなり、ついには俺への抵抗を始める。


「ちょ、痛い離して!」

俺の脇腹を押して離れようとする瑠璃子。

潰れるほどの圧力で抱きしめていることもあるのだろうが、俺を危険視し始めた彼女は必死に俺の手から逃れようとする。


俺は少し手を緩めた。

すると、瑠璃子は俺の手からすり抜けようとする、かと思いきや抵抗をやめたのだ。

瑠璃子は俺をまた抱きしめた。


俺と向き合う覚悟でもできたのだろうか。


「なんで、和貴を撃ったんだ?彼の水筒に青酸を入れたんだ?」


「ばか。アンタが和貴を好き、だからよ」


瑠璃子は俺の胸に顔を押し付けている。顔は見えない。

でも、弱々しい声色が本音である事を強調していた。


俺は手を離してしまった。キツく抱きしめていた腕を下ろして瑠璃子を解放してしまった。

でも、今度は瑠璃子の方が俺を離してくれなかった。

「アンタを独占したかったのよ」


「じゃあ、和貴を殺そうとした原因は俺、、?」


震える手足、目の前の景色が鈍くなる。

瑠璃子は防波堤が崩れて波が押し寄せるかの如く感情を爆発させる。

「私のことだけを考えて欲しい。私がアンタにとって一番大切な存在であって欲しい。ずっとそばにいて欲しい。2人っきりの世界で永遠に幸せでいたい。」


俺の胸の中で瑠璃子は叫んでいる。

弱々しい、でも想いだけは何よりも熱く、強い、そんな声を叫んでいる。

「でも、その役目は全部和貴に持ってかれたから」


思い返せば俺が好きだと言っていたのは瑠璃子の奥に感じる和貴に向けたものだった。

無意識だった。でも心から瑠璃子に好きだと言ったことは無かったのだ。


そして、瑠璃子の大きすぎる愛がそれを嫌でも見抜いてしまっていたのだ。


「私が和貴を殺した理由。アンタが好きすぎて。

だから本当に……」

その言葉の先は瑠璃子に言わせてはならない。

俺は一瞬そう思ったけれども、もう遅かった。


「ガク君ごめんね」

ようやく俺の顔を見て瑠璃子は呟いた。

その顔を見て、俺の頭の中でずっと蠢いていた復讐心は掻き消えてしまった。



脳天を撃ち抜かれた様な衝撃に全身が固まる俺。



瑠璃子は俺の身体から腕を離して、真っ直ぐ俺の瞳を射抜いて問うた。

「私の事、好き?」

この質問に瑠璃子は希望を見出していない。

でも、最後の決着に、彼女はこの質問を選んだのだ。

俺は何をしたいのだろう。

瑠璃子への復讐心はもうすっかりなくなってしまった。

それはきっと俺の不甲斐ない行動が今回の事件に繋がってしまったと自覚したからだ。

ならば俺は、


「俺はお前が好きじゃないみたいだ。だから、これからお前を好きでいられる様に努力して、お前を俺の一番にしてやりたい」

一生瑠璃子に身を捧げる。

それが、和貴を傷つけた真の犯人である俺への復讐だ。


「私のために?」


「ああ」


本当は自分の復讐というエゴのためだ。

でもこの事実は一生胸の中にしまっておいて。


「お前がこれから警察に捕まっても、ずっと、ずっと待ってるから」


「そっか。ありがとう」

ようやく瑠璃子は笑ってくれた。


俺も笑い返す。

すると神社の階段の奥からパトカーのサイレンが聞こえ始める。

神社の階段を何人かが駆け上がる音。

俺の裾を掴んでここから逃げ出そうとする瑠璃子。

俺は瑠璃子の腕を掴んで神社の階段の方へ向かった。

赤いサイレンの光が神社の陰樹を照らしている。


「え?ちょっと!ガク君!」



「ずっと待ってるって言ったろ?

だから今は大人しく警察に捕まれよ」


この神社に来る前に予め呼んでおいた警察。

本当ならリュックにある包丁で瑠璃子を刺した後、自首するつもりで呼んだ警察だ。

神社の階段を駆け上がってきた彼らに瑠璃子を引き渡す。

「この人が槇原和貴を銃で撃ち、槇原恵美子を毒殺した犯人です」



「健一容疑者の取り調べにより把握済みです。事情聴取の為にあなたも連行させて頂きたい」


と1人の警察官が言ってる間に瑠璃子は他の警察官に手錠をかけられた。

今から事情聴取されれば、かなりの時間を取られるだろう。それを俺が許せるはずがない。

「それはできません」

俺は静かに呟いて、警察官を避けて階段を全速力で降りる。

瑠璃子はそんなガクを遠目に見る。

大好きなあの背中はどんどん遠のいていくと感じながら。

全部、和貴に奪われた瑠璃子は大人しく警察署に連行された。


俺にとって復讐こそが全てだった。

和貴が撃たれたあの瞬間から1日、復讐のために身を費やした。

その矛先が自分へ向いて、俺は復讐が嫌になってしまった。

でも自分だけを贔屓するのは俺の美徳が許せない。

だから、自分自身への復讐の為に瑠璃子に尽くす未来を選んだ。

実質的に和貴を殺した憎い野郎と共に生きる道を選んだんだ。

なら潔く和貴のことは忘れるべきだった。

それでも、俺の身体は和貴の眠る病院へと走り出していた。


3分ほど走ると、警察を巻くことができた。

汗まみれになりながら病院へと急ぐ。

こうして病院へと急ぐのも今日で何回目だろう。

その度に俺の頭の中は和貴の事で一杯で、今は今までで一番和貴の事を想っている。

和貴が健一を親友だと言おうと、誰を好きだと言おうと俺は彼を想っている。


病院へ着いて、エレベーターで二階へあがる。

廊下を突き当たった先に和貴の病室はある。

和貴の病室に入る前に俺は顔や首の汗をハンカチで拭った。


脳裏に強烈に焼きついて離れない和貴がベッドで眠る姿を頭に浮かべながらドアノブに手を掛ける。


「入るぜ?和貴」


恒例の言葉を言いながら俺はドアを開けた。

病室には電気がついている。

そして、ベットの上で和貴は寝ている、かと思いきや彼は目を覚ましていた。

俺の方を彼はまじまじと見つめている。

「あ、ああ」

衝撃のあまり声が出せない俺。

そんな俺を笑いながら、

「なんだよお前かよ」

と和貴は言った。

その声が愛おしくて、笑った顔が愛おしくて、彼の全部が愛おしい。


俺が一番幸せになれる空間がそこにあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る