聴いた話を聞いたから

低田出なお

あの祠に行ったんか!

「おかあさん」

「あけて」

「おかあさん」

 こつこつこつ。小さく襖を叩きながら、僕を呼ぶ声が聞こえる。その声は女の子だったり、男の子だったり、赤ん坊の声だったりした。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。部屋の隅で、震えながら襖を見つめる自分は、この世の誰よりも惨めで不幸に思えた。

 僕はただ、昔から近寄らない様に言い伝えられている、山奥の祠のお札を剥がしただけなのに。ついでに中に入っていた人形の着物を今風にして、SNSにアップしただけなのに。盛り髪にもしたのに。

 伸びた投稿は反応され続け、手元のスマホから今なお通知音が聞こえる。承認欲求が満たされてにやけてしまう心と、心霊現象に襲われている恐怖心とがぶつかり合っていた。

 とにかく、この状況を何とかしなければならない。でも、隣の部屋で寝ている親父の元へ行く気にはなれなかった。声こそ聞こえてこないが、襖を開ければあの子供たちがいる気がした。

 ダメもとで電話を鳴らしてみる。だが、親父はもちろん、母屋の爺ちゃん婆ちゃんも電話には出なかった。

 頼れる人はいない。つまり、この脅威を、1人で解決する必要がある。全くやってられない話だ。

 僕は泣く泣くSNSの通知を切り、ネットで検索を始めた。祠をどうこうするのは今更出来ない。調べるべきは、今起きている心霊現象の対処だ。

「心霊現象 お祓い」「人形 対魔 方法」「お祓い おすすめ」「子供の声 心霊現象」etc.…

 必死に画面のタップを繰り返す。スマホを手にした時のフリック入力とは比べ物にならない速度だ。これまでの人生で培ってきた能力が、今この瞬間活かされているのを感じる。

 が、ダメだった。何となく予想が出来ていたことだが、どの記事でも塩を撒けだの、柏手を打てだの、ラップ音や電気の点滅程度の心霊現象にしか対応していない。どれだけ探してみても、現在進行形で来ているこの脅威をなんとか出来るようなものは見当たらなかった。

「くそっ、何なんだよ」

 思わず苛立つ。どうしてこういう肝心なことを教えてくれないんだ。どうでもいい事はすぐに教えてくれるのに。

 だが、画面を睨みつけていると、ふと妙案が浮かんだ。

 そうだ、SNSで聞こう。

 ちょうど今、さっきの投稿で沢山の人が僕のアカウントを見ているだろう。今この状態を投稿すれば、何か解決策を教えてくれる人が少しはいるに違いない。

 待てよ、どうせ投稿するならこの聞こえてくる声も一緒に投稿すれば、より現状が分かりやすく伝わるし、何よりまた反応が貰えるかもしれない。うん、名案だ。

 僕は早速、スマホのカメラを起動して、動画をセットした。そしてふすまの方へ向けて手を伸ばし、扉を叩く奴らの声を録音する。

 あまり長すぎても投稿出来なくなる。心の中で30秒を数え、録音を打ち切った。

 録音後、そのまま投稿しようとして、一応録画内容を確認しておこうと思う。万が一上手く撮れていなかった時、意味深なことを言ってるだけの奴と思われたくはないのだ。

 耳元にスマホを当て、奴らの声を聞こうとする。

 ところが、聞こえない。

 どれだけ音量を上げても、何も聞こえないのである。

 なんでだ? 遠かったのか? 

 僕は渋々腰を持ち上げ、布団の敷かれている部屋の中央辺りで座り直す。そして、再び手を伸ばして録音をした。

 しかし、やはり聞こえない。何もしていない空間を録音した時特有の、ざらざらとした音が流れるばかりで、今耳にしている子供の声など、これっぽっちも聞こえなかった。

 もう仕方がない。ここはひとまず音声は諦めて、今の現象だけを伝えよう。それだけでも、多少なりとも何か対抗策が集まるに違いない。

 僕はSNSに今の現状を書き記した。

 『自分は今〇〇県××市の母方の実家へやってきていて、昼にアップした画像は、いひらさんと一緒に行った山の祠の中にあった物です。お札が貼ってあったのですが剥がしてしまい、おそらくそのせいで今心霊現象に襲われています。』

 現在沢山の子供の声が聞こえていて、と続けようとして、僕は違和感を覚えた。

 何で僕は、山の祠になんか行ったんだっけ?

 ただでさえ爺ちゃん達に、山には行くなと言われていたのに。虫が嫌だから行くわけないって、言ったのに。遊びに来てわざわざ山なんか登んないよって、言ったのに。

 というかそもそも。

「いひらさんって誰?」

「貴方が孕んでくれたのよ」

 耳元で声がした。振り返ろうとして、飛び退こうとして、自分の体に力が入らない事に気がついた。力だけではない。首も、視線も、何もかもが動かせない。

 いや、動かせないというより、動かしたくない、というべきか。さっきまでは何も感じなかったのに、今は只々体が気怠く、このまま静止している状態を維持するのが、何よりも楽だと感じる。

 僕の視線は、文字を打っていたスマホの画面に固定されている。その端で、自分の後ろから何かが通り過ぎていくが見えた。それは水っぽくて、動くたびにびちゃびちゃと不衛生な音を聞かせてくる。

 やがて、襖の方から重たい音が内側から聞こえた。それはさっきまでのノックの音とは違う。大きくて、重い、質量の塊が扉に張り付いたような、そんな音だった。

 ずるずると襖が開く。恐怖から、出来る限り目を細めた。

 不思議な事に、扉が開け離れると、さっきまで聞こえていた子供の声は綺麗に聞こえなくなった。

 もしかして今の声は、いひらさんは、僕を助けてくれたのか。

 スマホを掌から落としながら、何とかして視線を上げる。浅い呼吸を繰り返しながら、首を襖へ向けた。

 開け放たれたそこには、何もない。誰もいない。隣の部屋は昼に見た時と同様にからっぽで、向こう側に同じように襖が閉じられていた。

 …助かった、らしい。

 そのまま這うような体勢に布団に倒れ込み、息を吐く。体の自由は完全に取り戻せていないが、窮地を脱したという事実が、大きな安堵を呼んでいた。

 僕はゆっくりと腕を伸ばし、そばにあるであろうスマホを手に取ろうと腕を動かした。

 長い時間を掛け、手の端に硬いものが当たる。掴むと触り慣れた長方形だった。また長い時間を掛け、顔の前に持ってくる。時間は夜の3時過ぎだった。

 スマホを布団へ起き、手をつき起き上がる。相変わらず遅い動作だが、起き上がれると確信できる程度には回復していた。そしてそれは間違いではなく、よろけながらも立ち上がることが出来た。

 ふらふらと襖へ近づき、丸い取っ手を引く。また子供たちが叩きにやってくるかもしれなかったが、かといって開け放っているのは怖かった。

 振り返り、乱れた布団へ体を預けようとした。

 そうしたとき。

 腹に何かを感じた。弱い力。だけど明確に、何かに押されたような。

 違和感を自覚した瞬間、喉の奥から酷い嘔吐感がせりあがって来た。たまらずしゃがみ込み、不味いと思ったが堪えきれずに吐き出す。夕飯と思わしき咀嚼物が、嗚咽と共に流れ出ていた。

 数度咽せ、目を白黒させていると、再び腹に、より正確には下腹部のあたりだろうか、ぐっと押されるような違和感を覚える。

 まるで子供に蹴られているかのようなそれは、僕の腹の内側から響いていた。

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聴いた話を聞いたから 低田出なお @KiyositaRoretu

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