【其の十七】白銀の剣

 宰相は汗を拭った。ひんやりとした夜風が吹いている。只の汗では無い。冷や汗だった。呼ばれて国王の居室に参上したのだが、その場で硬直していた。


 少し前から、具体的にいえば一年前ぐらいから殿下の様子がおかしいことは薄々感じてはいた。侍従を全員入れ替えたり、中庭に黒薔薇を植えたり……食事の好みも薄味から濃い味へと変わった。今にして思えば、その時にもうちょっと注意しておくべきだった。


 舞踏会の一件は、確かに重大事件である。なあなあで済ませては王家の威厳に関わる。しかしだ、だからといってガラスの靴を履けるからといった理由で貴族の令嬢たちを捕らえ、あまつさえ処刑しようなどと……狂っているとしか言いようが無い。諫めた側近を「処分」したとも聞いている。


 宰相の元にはすでに、貴族たちからの抗議の声が届けられている。いや、そんな生やさしいものではない。彼らからしてみれば大切な身内がとんでもない理由で捕らえられたのである。既に兵を集め始めた者たちもいると聞く。このままでは大きな内乱に発展しかねない。


 「やあ宰相。何か用かな?」


 国王の居室にいたのは、殿下だった。その手には黄金の剣が握られている。ベランダへ続くドアが開け放たれ、ひんやりとした風が吹き込む。微かな薔薇の香り。満月の下も殿下の口元が大きく三日月型に歪む。


 居室には今、殿下と宰相がいる。正確にはもっといる。国王、王妃、騎士団長、侍従長。しかし「居る」と言っていいのだろうか? 彼らは石像と化していたからだ。皆一様に驚きと苦悶の表情を浮かべている。


 「……これは、一体……」

「ああ。私に意見するのでね、石像になってもらった。仮にも身内。剣で斬り裂くのは可哀想だろう?」


 くふふっと笑みを浮かべる殿下。宰相はそれで確信した。この殿下は偽物だ。しかしいつ、どうやって入れ替わった?


 宰相は一つの噂を思い出した。王族だけが知る秘密。それは王子が実は双子だったという噂だ。双子は凶事の先触れ。だから一人はお城の一番奥の尖塔に密かに隔離され、そこで飼い殺しにされているというものだ。


 よくある噂話である。一種の怪談だと言って良い。しかしそれが本当だったとしたら? 宰相の中でにわかに現実味を帯び始める。


 「さて宰相閣下。私はこれから、捕らえてきた娘を処刑しようと思うのだが」

「で、殿下! その様な世迷い言を」


 そこで宰相の言葉は途切れた。なぜなら彼は既に石像と化していたのだから。偽王子の赤く光った瞳が、青色に戻る。ふうと一つため息をつくと、ゆっくりと国王の居室を出て行った。黄金の剣を回し、鼻歌を歌いながら。






  —— ※ —— ※ ——






 夜。満月が輝いている。


 あたしはお城の正面に立っていた。乙女の戦闘服であるドレスに身を包み、腕を組み、慎ましい胸を思いっきり反らして。腹は括った。いや正直逃げたい気持ち満載である。だって相手はあの偽王子である。そもそも二度と会いたくないし、怖い。でもさ、いつかは対峙しなきゃいけないんだよね。いつまでも怯えて暮らすのはまっぴらゴメン。


 それに、彼が見ているのだ。彼の前でみっともない真似はしたくない。彼にはいつも、一番良い自分を見て欲しいから。あたしは震える両脚をびしっと叩き、口をへの字に絞った。いつでも来いってんだ。


 跳ね橋が降りると赤い絨毯が敷かれ、左右に近衛兵たちがずらりと並ぶ。彼らは全員無言。でもその列の伸びる先が目的地だと、暗に語っている。あたしは近衛兵たちの列の間をゆっくりと進んでいく。高い天井の回廊を抜け、そしてあの舞踏会の会場へと辿り着く。


 あの美しく輝いていたシャンデリアは、今はどこか禍々しい光を放っている。姦しい喧噪も、今は捕らえられてきた淑女たちの怨嗟の声だ。そして会場の中心には断頭台が据え付けられている。


 「いやっ! 離して! あたくしが、いったい何をしたというのですか?!」


 今正に、一人の淑女が近衛兵に両脇を押さえつけられ、断頭台の前へと運ばれてくる。あ、義母様だ。彼女は恐慌に陥っていて、どうやらあたしの登場には気づいていないらしい。そりゃそうだよね。断頭台に据え付けられて冷静でいられる訳がない。


 そして、その断頭台の前にヤツがいた。偽王子だ。黒猫チャーミーの言うとおり、黄金の剣を手にしている。何かに苛ついていたのか、無表情で剣先を振って床の絨毯を削っていたが、あたしを見つけると満面の笑顔を見せた。


 「やあサクラ。立て札を見てくれた様で嬉しいよ」

「場所と時間ぐらいは書いておいてほしいもんだわ」

「ああ、そうだね。次からは気をつけるよ。もっともその必要は無いと思うけど」

「……? なんでよ」

「もう一生君を離さないからね。離れなければ、待ち合わせる必要もないだろ?」


 昏い視線。鳥肌が! マジでちょっと怖いんですけど!


 「さあ、私の手を取るんだ。サクラ」


 偽王子はすっと右手を差し出す。あの手を取れっていうことだな。その意味は? 勿論決まっている。偽王子の歪んだ愛を受け取れってことだ。

 あたしはつかつかと偽王子の前まで歩み寄り、そして。





 ——ぱあん!





 手と手が弾ける音が舞踏会場に響く。あたしは思いっきり、悪癖を使うこと無く、自分の意思で偽王子の手を叩いた。


 「お断りよ。あたしには別に好きな人がいるの」


 すうっと偽王子の目が細まる。青い瞳が、瞼の向こう側で黒く染まった様な気がした。偽王子は指を鳴らした。すると断頭台の横に控えていた近衛兵が、手にした剣で綱を切った。その綱は断頭台の刃を吊しているものだ。


 「ひっ!」


 義母様が短い悲鳴を上げて、気絶する。そこへ刃が落ちてくる。


 「ふんっ!」


 あたしはドレスの裾を翻した。その中には白銀に輝く剣が吊されていた。あたしはその柄を掴み、渾身の力で投げる。がつん! と鋭い音がして、断頭台の刃と義母様の首の間に白銀の剣が挟まった。ぎりぎりセーフ。断頭は阻止した!


 「偽王子! 魔女の魔法はここまでよッ!」

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