【其の十六】覚醒

 あたしは混乱していた。まったくの不意打ちだった。右から来ると思っていたボールが、真後ろから飛んできて後頭部を直撃した様な感覚だ。あれ? クリスってサーティと婚約しているんじゃなかったっけ。二人とも仲良いし。もうじき結婚とか言っていたよね。


「ああ、そうだよ! オレは最低な男だよ。婚約者がいるっていうのに、別の女に告白しちまっている」


 クリスが吐き捨てるように言う。がりがりと頭を搔き、しかしそれでもしっかりとあたしの方を見つめている。


 「それでもな、やっぱり自分の気持ちは裏切れねえ。お前のことが好きなんだ」

「いや、そんな……困る」

「お前、急に変わったよな。昔はただ優しいだけの女だったのに、とても……明るくなった。なんていうか、あの嫌みったらしい女たちに虐められていても、どこ吹く風みたいな感じで、強くなった」


 もう一本の、左手が壁に衝く。クリスの青い瞳が、近い。


 「なんでお前、変わっちまったんだよ……そうでなければ、こんなことには。サーティを裏切ることもなかったのにな」


 はははっ、と吐き捨てるように笑うクリス。苦しそうなクリス。ああ、そうか。クリスが色々と世話をしてくれたのは、あたしのことが好きだったからなのね。気がつかなかった自分にちょっとだけ幻滅する。


 「……聞かせてくれよ」

「ごめんね。あたし、好きな人がいるの。それは貴方じゃない」


 そうきっぱり答えることが、あたしの役目だと。そう思った。


「そうか、そうだよな」


 たぶんクリスはその答えを察していたんだと思う。あたしの答えにクリスは身動ぎ一つせず、少しだけ瞳を緩ませるだけだった。


 「一つだけ、お願いがあるんだ」


 しばしの沈黙の後、クリスの唇が動く。


 「一度でいいんだ。キス、してもいいかい……?」






  —— ※ —— ※ ——






 リオンは無意識に同類だなと思った。クリスのことをである。同類? 突然湧き上がった感情に混乱する。最近、心の中が落ち着かない。その発端は明白。サクラだ。彼女に会ってから、心が浮いたり沈んだりと忙しい。


 今もそうだ。クリスがサクラのことを壁ドンしている。そして告白。ああー、そうだろうなとは思っていた。短い付き合いだが、クリスの行動は明らかにサクラへの好感を隠し切れていなかった。むしろサクラはなぜ気がつかないのか。人は自分のことになるとここまで鈍感になれるのか。


 しかしだ。リオンは少々苛ついてもいた。今クリスは告白という行動に及んだ訳だが、オレのことは無視なのかと。普通、他の男子がいる前でそういうことはしないだろう。ということは、クリスから見て男扱いされていないということか。劇で言えば木の役である。


 オレだってサクラのことが……なんだろう? 少し頭が痛みで響く。心が乱高下し、心臓が鼓動を早くする。


 そして。リオンの視界の片隅で。クリスが、サクラに顔を近づけていく。唇と唇が触れあおうとしている。ずきん。頭痛が突然時を告げる鐘のように響き渡る。リオンは叫び声と共に、跳ねるように身体を動かした。






  —— ※ —— ※ ——






 あたしは硬直していた。だからたぶん、そのままだったらキスしていたと思う。


 止まったのは、クリスの方だった。直前まで近づいていたその顔が離れ、下を見ている。あたしもゼンシン硬直させたまま、視線だけ追う。するとそこには、クリスの足に蹴りを加えたリオンがいた。


 リオンは鋭い眼光でクリスを見上げている。クリスも、何か親の敵でも見るかのような鋭さで見下ろしている。視線は宙空で交わり、見えない火花を散らしている。


 「小僧、何か用か?」

「白銀サクラから離れろ」

「……え?」


 あたしは思考まで硬直した。白銀サクラ。その名前を知っているのはこの世界に二人だけ。偽王子と、そして……。


 「金城……ハヤトくん……?」

「……ああ、久しぶりだね白銀」


 そう呟いたのは一回り小さな男の子だったけど、その瞳は明らかに「彼」金城ハヤトだった。あたしは咄嗟に「彼」を抱き締めた。悪癖は出ない。その光景を見て、クリスはゆっくりと溜息をついてそばを離れていった。


 「彼」の腕が、あたしの背に回ってぽんぽんと叩く。言葉が出てこない。あたしはただ小さな「彼」を抱き締めて、一言だけ絞り出した。




 「やっと……会えた!」






  —— ※ —— ※ ——






 空は薄暗い。普段なら惜しみなく太陽の光が降り注ぐ偽王子の中庭も、今は冷たい風が吹いている。雲行きが怪しい。そろそろ雨が降ってくるだろうか。侍従たちを退出させ、今偽王子は一人でいた。


 「……」


 その視線は険しい。周囲を取り囲む黒い薔薇がみるみると萎れていく。まるで魔法が解けたかの様に枯れた薔薇は茶色く乾燥し、そして強い風が吹くと細かい砂となって飛んでいってしまった。


 その後に残されたのは、一振りの剣だった。黄金色の細身の両刃剣。今まで黒薔薇によって隠されていたそれは、薄暗い空とは逆に強く輝き始めている。その光景に、偽王子の眉間に強く皺が寄る。


 「まだだ……この剣が、我が元にある限りは……」


 偽王子が剣の柄に手を伸ばす。バチンと、見えない衝撃が手を打つ。しかしそれを意に介さずに柄を握り締め、抜く。黄金の剣の悲鳴が聞こえた気がした。


 「不届き者の処刑を開始する!」


 偽王子はそう宣言すると、お城の中へと消えていった。

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