【其の十五】お前のことが

 『次の満月の夜までに私の元に戻らない場合、捕らえた淑女たちは一人ずつ処刑していく』



 国のお役人がやってきて、そんな立て札を村の中心に立てた。お役人の馬車が立ち去ると、何事かと村人たちが立て札の元に集まるが、皆一様に首を傾げる。そういえばこの国の人々の識字率って結構高いのよね。大抵の人は読み書きが出来る。しかし、村人たちが首を傾げたのは、立て札の文字が読めなかったからだ。


 ただ一人、村娘に変装して立ち札を見に来ていたあたしだけが読めた。なぜならその立て札に書かれた文字は日本語だったからだ。懐かしい、と浸っている場合ではない。今この国で日本語が読める人間は二人しかいない。あたしと、偽王子。つまりこれは偽王子からあたしに向けて出した公開手紙ということだ。


 立て札を見たあたしの中で、偽王子へのヘイトが積み重なる。いや元々MAXだったけど、そう思っていたが、嫌悪感には底が無いんだなあと思い知った。


 なんていうか、嫌悪感にも種類があって、図にするとたぶん立体なんだよね。異性としての嫌悪感、人としての嫌悪感、その他諸々。異性としての嫌悪感はMAXだったけど、そこに今、人としての嫌悪感MAXが加わった感じだ。


 正直にいえば、もう二度と会いたくないというレベルである。そもそもなんで偽王子があたしに執着するのか、意味が分からない。その執着心を想像する度に鳥肌が立つ。


 あたしは村から離れ、近くの林の中の小屋へと戻った。クリスが言うには、元々お屋敷の使用人が使っている作業小屋の一つだそうだ。薪を調達したり、狩りの拠点にしたり。簡素ながら寝台や竈なんかもあり、そこそこ長期間滞在できる様になっている。


 お城から脱出した後、事情を確認したクリスが「お屋敷に戻るのは危険だ」ということで、この作業小屋へと来たのだ。あれから一週間。クリスは、お屋敷へ情報収集に出ている。今この作業小屋にいるのはあたしと、そしてリオンだけだ。


 リオンが「彼」であるという確信は、今では確固たるものになっている。この一週間。リオンといろいろ話をして、一年より前の記憶を無くしていることを聞いたので尚更である。あたしも一年前にこの世界にやってきた。あたしは記憶が残っていて、「彼」が無くした理由は気になるけど。


 何とか思い出してもらおうと、都度元の世界での話を聞かせたりはしているんだけど……今のところ反応は鈍い。まああたしの話に興味を持って聞いてくれるのは嬉しいんだけどね。さてどうしたもんか……。


 『それは決まっている。ちゅーだよ、ちゅー』


 そう語る人の言葉を話す黒猫に、あたしにじろりと目を細める。今までどこにいたのか。


 『そうよね。古今東西、王子様やお姫様の不覚を取り除くのはちゅーと決まっているわ』


 黒猫の後ろから、そっくりの白猫が出てきてにんまりと笑う。なぜ増えるのか。どうやらリオンについていた白猫だそうだが……。


 「それは助言? それとも趣味?」

『もちろんし……助言に決まっておる。ささ、早く。私らが見届けてやるから』

「なぜ猫に見られながらキスをしなくちゃならないのさ。それに前、干渉は出来ないっていってなかったけ?」

『ちっ』

「ちっ、じゃない」


 趣味なのかよ。このスケベ猫が。本当にキスで記憶が戻るんならさ、まあしないこともなくはなくない? 猫は排除するけど。いやでも、中身は「彼」とはいえ今は一回り年下のリオンである。ちょっと相手としては年下過ぎるというか、背徳感があるというか……うーむ。逆に考えるんだ。赤ちゃんにキスしたとして、何ともないでしょ? そういう観点からいえば、大丈夫だと思わない?


 いやしかし。

まず確認するは、リオンの意思である。


 「ねえ……あたしと、キスする?」

「?……キスって何?」


 うわ眩しい! その純真無垢さがあたしの心の目を焼く。このお年頃になって、まさかキスを知らないとかってありえるの? 白い、白すぎる。主婦驚きの白さである。


 「……何やってんだ、お前……」


 百面相しているあたしの背後には、いつの間にかに戻っていたクリスが呆れ顔で立っていた。あたふたとするあたしを尻目に、クリスは表情を絞る。


 「御当主様がお城に連れていかれたそうだ」

「えっ? 義母様が?」


 どうやらガラスの靴を履けてしまったらしい。つまりあたしが偽王子の元へ行かなければ、義母様は殺されてしまうということである。






  —— ※ —— ※ ——






 義母様に良い感情を抱いているかと問われれば、まあ良くは無いっすねとなる。慣れているとはいえ、お屋敷に居るときには一日一回は必ず虐められるのである。良いわけが無い。


 でも一年過ごしてきて、義母様には義母様なりの苦労があることも知っている。貴族、そんな楽な商売じゃないよね。領地経営はしないといけないし、女だと舐められて苦労することも多い。女だてらにって話であれば、結構尊敬もしているのだ。


 そもそも、キライだからって殺したいほど憎いわけじゃないのよ。そこは次元が違う。偽王子のやっていることは全く理解が出来ないが、助けられるのなら助けたいというのが素直な感情である。


 しかし。


 「助けに行く必要はねえよ。元々伯爵家を乗っ取った女だ、好都合ってもんだ」

「クリスは義母様のことキライなの?」

「別にあの女はどうでもいい。サクラ、お前のことだよ」

「え?」

「お前、変わったよな。一年前ぐらいから」


 どきり。ハイ、ソウデス。まだクリスには話していないけど、一年前からシンデレラからあたしに中身変わっているのよね。

 クリスは、どこか苦しそうな表情を浮かべている。口元をぎっと噛み締め、そして何かを決意した様にあたしを見た。

 あたしを壁際に追い込み、そしてドンと右手で壁を衝く。






「オレ、お前のことが好きなんだよ……」

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