【其の十一】シンデレラ

 リオンは薄汚れた高い天井を見つめていた。牢屋のような自室で、藁の上に寝転がっている。今日は仕事をせず、部屋にいる様にと王子様に告げられていた。自由に動けたとして、自分の様な人間が舞踏会に出られるわけでもない。結局、今日という日であれば部屋に閉じこもっているしかないのだ。そうそう。舞踏会の豪華な食事を作る余録で、今夜の夕飯はちょっと豪華。肉付きだった。


 上のお城での喧噪が、この地下室にも微かに伝わってくる。日が沈み、宝石箱をひっくり返した様な星空が輝いている。喧噪はいよいよ盛り上がりを見せていて、もうしばらくすればそれは王子様が登場することで最高潮を迎えるだろう。


 暇だった。こんなことなら仕事したいといえば良かったな。そうすれば、もしあの子が舞踏会にやってきたなら会えたかも知れないのに。もっともその場合、自分は踏み台役ではあるけど。


 あの子。サクラというメイドの格好をした、実は貴族の子。リオンは頭を振る。気がつけばあの子のことを考えている自分がいる。ちょっと胸が締め付けられる。この感覚はなんだろう。リオンにはまだその正体が分からない。


 『なら、確かめに行かないとね』


 耳元で囁かれた呟きに、リオンは驚いてがばっと起き上がる。囁いたのは、例の喋る白猫だった。リオンは一瞬目を輝かせ、しかし臥せる。


 「行けるわけないだろ、オレは最下級の使用人だ。しかもこんな格好で」


 実のところ、一度は上へ行ったのだ。しかしお城の中は華やかな紳士や淑女ばかり。およそそぐわぬ服装をしたリオンはとても目立った。あっという間に近衛兵につまみ出されてしまったという訳だ。せめてこの服装だけでも何とかなれば、こっそり忍び込む余地もあるというものだが……。


 『そっか、あんたは「まだ」思い出していないものね。「シンデレラ」の物語も、その魔法のこともね』


 白猫はにゃーんと星空に向かって鳴いた。本当は不干渉が原則だけど、向こうはシンデレラの魔法を使わなかったみたいだしね。これぐらいなら行けるはずよね、魔女さん?


 リオンは飛び上がった。突然彼の身体を無数の光の粒が包み込み始めた。手で払っても払えない。光の粒は身体に纏わり付き、一頻り強い光を放ったかと思うと、消えた。


 「……えっ?」


 目を疑った。リオンの粗末な服が、煌びやかなタキシードに替わっていた。海の底の様な深い青色に染められたジャケット。白銀色のカフス。そして髪形も綺麗に整えられ、品の良い香水の香りまで漂ってくる。


 白猫はにやりと笑った。


 『行ってらっしゃいな。今宵はあんたが「シンデレラ」よ!』






  —— ※ —— ※ ——






 綺麗な星空が天を覆っている。お城とその城下町も、それに負けじと今日ばかりは輝いている。舞踏会の会場であるお城は勿論、それに合わせるかのように町もお祭り騒ぎだった。大通りには篝火が焚かれていて、あたしの乗る馬車がその間をゆっくりと走っていく。庶民たちも酒を呑み、舞踏会の華やかさにあやかろうというのか、ダンスを踊っている者たちもいる。


 段々と緊張してきた。このまま行って大丈夫なんだろうか。今更思いついたのだけど、招待状とか必要じゃない? 馬車の御者を務めているクリスは、伯爵家の紋章を持ってきてあるから大丈夫だと言う。そうかー、うしっ。もうここまで来たら腹を括るしかない。


 お城の前には今も次々と馬車がやってきては、美しく着飾った紳士淑女たちを下ろしている。ちょうど今がピークなのだろうか。あたしを乗せた馬車もその列に並んでいる。


 そしてゆっくりと、馬車が正門前で静止する。あたしの番だ。クリスが馬車の扉を開けてくれる。あたしが降りようとすると、一人使用人の子が走ってきて、馬車の横で四つん這いになった。踏み台だ。でもこの子、リオンじゃなかった。実はちょっと期待していた。もしかしたら会えるかと思っていたんだけど……。


 かつんと、ガラスの靴が床を叩く音が響いて、周囲の紳士淑女たちが何事かと振り返る。ふわりとドレスの裾がひらめく。あたしは踏み台は使わなかった。馬車から跳んで、四つん這いになった使用人の子の上を跳び越えて、着地したのだ。


 何か言われるかな? 踏み台を使うのが上流貴族の嗜みなんだよね。でもあたしは胸を張り、クリスにエスコートされて赤絨毯の上を歩いていく。一瞬周囲は静まり返り、囁き合ったが、特に怪訝に思われてはいない様だった。何事もなかった様に、周囲に賑やかさが戻ってくる。ふー、因縁つけられなくて良かったわ。


 あたしはゆっくりと赤絨毯の回廊を進む。時々、あたしを見た紳士淑女の皆様が囁きあうのが見える。なんだろ、おかしなトコロでもあるのかな? 平然とした表情をしていて、その実内心では冷や汗ものである。


 何せ、いわゆる社交界の御作法というものに、あたしはまったく詳しくない。なんか、格上の貴族様がいたら道を譲るとか、そういうのあるんじゃない? エスコートしてくれるクリスは無言のまま、赤絨毯のど真ん中を堂々と進んでいく。もうここは彼に任せるしかない。


 楽団の流麗な旋律が、だんだんと大きく聞こえてくる。舞踏会の本会場までもう少し。とにかく舞踏会で王子様に会い、「彼」かどうか確認する。もうそれだけに集中する。


 回廊を抜ける。


 「……ふわぁ」


 あたしは思わず声を漏らす。舞踏会、その会場は、本当に、まるでお伽噺に出てくる様な荘厳な会場だった。野球場の様に広く、そして天井はドーム状でしかも高い! ビルにして五階……いや六階ぐらいの高さがあるんじゃないだろうか。そこから煌びやかなシャンデリアが吊り下がっている。その反射光は、直下の舞踏場を星の様に輝かせている。


 そして回廊の入口の反対側。会場を見下ろす一段高い位置に、貴賓席が設けられている。あたしは貴賓席を真っ直ぐに見る。たぶん王族の席なんだろう。なぜかって、だってそこに王子様の姿があったから。


 王子様はワイングラスを片手に隣の紳士と会話していたが、その会話を中断し、そしてこちらを見た。相手の顔が辛うじて確認できるか出来ないかの距離。あたしは確信した。王子様は、こっちに気がついている。そして笑っていた。


 「行ってくるわ」


 あたしはクリスのエスコートを離れ、一人ゆっくりと舞踏会の会場へと足を踏み入れた。ちょっとだけ不安を胸に、しかし堂々と。

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