【其の九】閑話
魔女が箒で空を飛ぶとき、月が大きく見える気がする。彼女が空を横切っている間だけは、空の半分を占めているのではないか。そんな錯覚も魔女の魔法なのだろうか。黒猫のチャーミーはそう思った。
今宵も月が大きかったので、魔女を探しに外へと出る。いつも会えるわけじゃ無い。何せ敵同士だから。魔女は呪いという名の魔法を唱える。呪いはシンデレラの時計のように時間を刻み、十二時きっかりに成就する。魔法の名は「その恋は、けして実らない」。魔女は常に新しい恋を探し出し、見つけては嫉妬して呪いを撒き散らす。
猫はその呪いを解く為に、ヒロインに助言する。直接は手出ししない。それが猫のルール。だって猫は強いから、手を出したら全て解決してしまう。それは良くない。あくまで自分に降りかかった災厄は自分で片付ける。人間には自立心が必要だ。いつまでも猫に頼ってはいけない。
林の中。月明かりが照らす切り株の上。そこに魔女はいた。切り株に腰掛け、乗ってきた箒は頭上でダンスを踊っている。
『そろそろ時が近い。失恋の瞬間でも見に来たか、この魔女め』
「そうね、青い果実が腐って地に堕ちる様を見に来たの。悪趣味でしょう?」
くすくす。
魔女は老女の様でもあり、少女のようでもあった。まばたきする度にその姿を変え、見る者に本性を捕らえさせない。
「舞台は整ったわ。あとは、舞台上の人形たちが踊るのを見守るだけ。安心して? 直接手は下さないわ。いつも通り、ね」
『そういつも、お前が喜べる展開になると思うなよ』
チャーミーの強がりに、魔女は笑い声で返す。くすくす、くすくす。
月の光を反射して、踊る箒の穂が輝いていた。
—— ※ —— ※ ——
寝静まったお屋敷。クリスは寝床から起きだした。月が綺麗な夜。同室の使用人を起こさない様に、静かにゆっくりと寝室を出る。向かう先はお屋敷から少し離れたところに立つ、小さな建物。今のお屋敷は、前領主が亡くなった後に義母たちが建てたものだ。こちらの建物は、その前の古いお屋敷だったものである。質素を旨とした前領主らしい、華美な装飾の無い建物だ。今は物置となっている。
クリスは鍵を開けて中に入ると、一番奥の部屋へと向かった。その部屋は、当時はサクラの個室だった部屋だ。周囲に人の気配が無いことを確認すると、クリスはその個室へと入る。
月明かりが綺麗に入り込んでいる。当時使っていた家具は残っていない。義母たちが全て処分した。だからこの部屋はがらんどうのはずだった。
しかし部屋の中央に、きらきらと輝くものがあった。
それは女性用のドレスだった。白い生地に細かく小さな青い宝石が編み込まれている。少女用にしてはちょっと大胆に胸と背中が開いているが、それでいて気品の感じられるデザイン。
これは義母たちのドレスでは無いのは明白であった。彼女たちのクローゼットは新しいお屋敷にある。
クリスはドレスに近づくと、懐からナイフを取り出した。何やら眉間に皺を寄せ、口元を歪めている。ナイフが振り上げられ、そしてクリスはついにそれを振り下ろすことが出来なかった。深い溜息をつき、懐にナイフを仕舞うととぼとぼと部屋を出て行く。
部屋の扉を閉めるとき、クリスはもう一度だけドレスを見た。その瞳の色は、濁っていた。
—— ※ —— ※ ——
リオンの部屋は地下にある。天井は高く、湿っていて、生臭い匂いがする。鉄格子の嵌まったガラスの無い窓が天井付近に開いていて、そこから月が見える。構造的に牢屋であり、実際に元々牢屋だったものをリオンの部屋に変えたものである。
最下級の使用人とはリオンのことであり、他には存在しない。お城の中でこのような待遇を受けているのはリオンだけ。いつからこうなのか。リオンにははっきり思い出せない。記憶があるのは一年前からだ。その前のものがリオンには何も無かった。だからこうやって居場所があって、飯が食えるだけマシってやつだと思っている。
湿った藁の上に寝転がりながら、リオンは昼間の出来事を思い出していた。リオンの仕事の邪魔をした、サクラとかいう女。ヘンな女だった。リオンは自分の仕事に不満を感じていなかったし、周囲もそうだった。それなのに、あんなことを言い出したのはあの女だけだ。
今でもサクラの言い分は良く分からない。人には人なりの仕事というか役目がある。リオンの場合、それが踏み台だったというだけだ(勿論仕事はそれだけじゃないが)。みんなが自分勝手にやりたいことをし始めたら、世の中おかしくなると思う。
でも。そんな変人サクラだが、リオンのことを本当に心配していることだけは伝わってきた。そういう人は、サクラが初めてだった。
お陰で。殿下に唯一与えられた「一生に一度の願いを叶える」権利を行使してしまった。勿体無かったかな? まあでも、舞踏会に出たいっていう願いを伝えても叶えられたかも分からないし。そういう意味では願い事が叶っただけマシだというものか。そう思って、リオンは特に惜しいと感じなくなった。
ふわりとお日様の匂いがした。またか。猫だ。最近白い猫がリオンの部屋に出入りしている。あげられる餌も無いので追い払うが、相手もしつこい。白猫はぺたぺたとリオンの周囲を回ってから、頭の近くで呟いた。
『ちょっと、舞踏会に出る算段はついた? シンデレラは探した? んもー、ちょっとはやる気出してよ』
猫が喋る。最初は驚いたが、今はもう慣れた。折角喋れるのなら話し相手にでもなると良かったんだけど。なんだか魔女の魔法がどうとかそういう話しかしてこないので、正直話半分にしか聞いていない。
「舞踏会になんて出れる訳ないだろ? 最下級の使用人なんだからさ」
『ちょっと、殿下にお願いしてみるとか言ってたじゃない。一生に一度のお願いだったら叶えてくれるんじゃないの?』
「あー、あれ。……ダメだった」
『んまー、けち臭い王子様だこと! こうなったら仕方がないわ。不介入が原則だけど、特別に私が交渉してきてあげるわ!』
「まてまてまて、やめてくれ」
慌てて白猫を捕まえる。これはどちらかといえば猫の身の為だ。喋るなんて分かったら珍獣としてどんな仕打ちを受けるか分かったものじゃない。
『とりあえず舞踏会には出るのよ。そうすればシンデレラになった貴方の思い人が現れるはず。そうすれば魔女の魔法も……』
リオンは白猫の言葉を聞き流しながら、天井近くに見える月を見上げた。……サクラも舞踏会に出るんだろうか? もう一度会ってみたいな。そう思っている自分にびっくりすると、リオンは急に恥ずかしくなって藁の中へ潜って寝てしまった。
—— ※ —— ※ ——
月夜は、等しく地上に降り注ぐ。
王子は専用の中庭で月を見上げていた。周囲に咲く薔薇の色は月明かりを受けて、黒色に輝いている。舞踏会まであと数日。王子は待ちきれない心を必死に押さえる。我慢するという体験は、彼の心に新鮮な喜びを生んでいた。だから、あえて待てる。
薔薇の花をゆっくりと握りつぶす。棘がその指先を傷つけ、鮮血を滴らせる。
「あともう少しだよ……白銀サクラ……」
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