【其の七】たぶんどこかで

 「はあはあ…はぁ……げほ、げほっ」


 ようやく立ち止まり、目一杯息を吸った。咳き込む。それでも荒い息は止まらない。膝に両手を突き、下を向いた鼻の先端から汗が滴り落ちる。これだけ全力疾走したのはいつ以来だろう。こっちに来てからは無い。中学の時の持久走以来かな。体育会系では無いあたしにはちょっとツライ運動だった。


 ここは薄暗い、石造りの通路の中だ。緩いカーブが前後に続いている。窓の様に四角い穴が開いているので外を眺めてみたら、お堀の水が見えた。それで察した。ここ城壁の中だ。つまりお城の中に入ってしまっていることになる。


 どこをどう抜けてきたのか。ちょっと思い出せない。あたしを引っ張って疾く走る少年、追い掛けてくる近衛兵のオッサンたち。街角を抜け、地下に潜り、下水路を飛び越え、気がつけばココだった。


 少年はすぐそばで息を整えている。彼も疲労困憊だが、あたしよりは随分マシの様だ。少年といえど男子。あたしよりも体力があるのだろう。見た目、小学生高学年ぐらい。または幼い中学生ぐらいといった感じだ。


 少年は鬱陶しそうに黒い前髪を払うと、あたしを睨む。


 「同情なら迷惑なんだけど」

 「……は?」


 ごめん、脳に酸素が回っていないのよ。少年が何のことを言っているのか分からなかった。息が整うにつれて、ああ、そういうことかと理解した。


 よし。あたしは胸を張り、最後に大きく息を吸い、止め、そして。大声を出すと思わせて少年をビビらせてから、小さく小声で囁いた。


 「ぷぷぷ。もしかしてボク、お姉ちゃんが助けてくれると思ったんでちゅかー。残念でちたねー。助けてくれてありがとう。マジ助かったわ」

「な、なんなんだよお前」


 少年がちょっと怯えた風にたじろぐ。あたしの百面相に恐れを成したのかも知れない。わははは。


 「同情されるのは嫌い?」

「……そりゃ。好きなヤツなんているのかよ」

「ふーん。でも残念。別に同情したから殴った訳じゃ無いよ。むかついたから殴っただけ。むかつかない? 力や立場を利用して強気に出るヤツ。あたしはキライ」


 びえーっと、空中に向かって舌を出す。そんなあたしを見て、少年は頭を振った。


 「そういうの、悪くないと思うけど、これからどうするんだよ。あのオヤジ、あれでも宰相様だぜ」


 宰相。たぶん王様の次に偉い人。宰相にして公爵ということは、この国のトップスリーに入るぐらい偉い人なのかな。いやー、参った参った。


 「安心して。何も考えてないから」


 正直に答えたら、少年に深い溜息をつかれてしまった。






  —— ※ —— ※ ——







 少年の名前はリオン。このお城の使用人だそうだ。それにしちゃあ待遇悪くない? お城の使用人イコール王族の使用人ってことなんだから。あたしよりみすぼらしいのは王族の権威に関わらない? とか聞いてみたが、「最下級の使用人だから」とリオンは曖昧に笑うだけだった。


 ちなみに、あの人間を踏み台にするのは虐待では無いらしい。まあ一つの権威の示し方みたいなもので、何でも人間を踏み台にしていいのは王族関係者だけで、それで他の貴族との区別をつけているとか何とか。うん、人間を踏み台にする時点で虐待ではと思うのだが、まあこの世界にはこの世界の慣習があるのだろう。あたしが王様になったら駆逐してやる。


 今はリオンに先導されて、城内を歩いている。感想、高い、天井が! 個人的なあたしの感想なんだけど、天井が高いと超金持ち感あるよね。まるで巨人の国に迷い込んだ気分になるぐらい、開放感がある。でもその広さに反比例するかのように人の気配はしない。まあリオンがそういうところを選んで進んでいるんだろうけど。先程の宰相殴っちゃった事件といい、この国の警備は大丈夫なのか。心配である。


 やがて、再び外へ出た。正確には中庭の様なところだ。建物と建物の間にある、こぢんまりとした空間。四方を覆う様に薔薇が生えている。ふわりと薔薇の良い香りがする。その中央にテーブルがあり、一人の人物が座している。


 男性にしては長い、肩まで伸びた金髪が綺麗に波を打っている。午後の陽の光が柔らかく照らしている。白い肌、そして伏せた睫が長い。その青い瞳は、手にした書物に注がれている。細い指でしなりとページを捲る仕草がさまになっている。



 あ。



 あたしは直感した。あたしはこの人と、どこかで出会っている気がする。それが……思い出せない。ただ、たぶんこの人は純粋なこの世界の住人では無い。その証拠に、今男性の足元に白い猫がしなりとやってきて、こちらをじっと見つめている。あの猫。普通の猫じゃない。ひょっとして……。


 「ほら、頭下げろよ」


 不意に現実に戻された。リオンに手を引かれて跪く。そういえばリオンには何度か触れられているが悪癖は発動していない。まあ子供だからね。


 リオンとあたしが跪くと、テーブルの男性は静かに本を置いた。ゆっくりと視線がコチラに向く。


 「やあリオン。そちらのお嬢さんはどなたかな?」


 男性の声は、まるで竪琴のようだった。リオンは頭を下げたまま、ごくりと唾を一つ飲み込んでから言った。


「一つお願いがあります」








「王子様」




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