【其の四】クリス


 「申し訳無いが、これをサーティに渡してくれるかね」

「はいー、わかりましたー」


 翌日、朝。いつもの様に台所でじゃがいもの皮剥きをしていると、白髭を蓄えた好好爺があたしに話しかけてきた。このお屋敷の執事長だ。先代の先代(つまり祖父)から仕えている最古参。現当主である義母様のやり方には都度反対することも多く、あたしに対しては何かと優しくしてくれる。よく飴を貰うので、たぶん執事長の中ではあたしはまだまだ子供なんだと思う。


 執事長から重箱の様な箱を受け取る。その時、手と手が触れあう。


 「すまないね、頼んだよ」

 「はーい」


 しかし何も起きない。そうそう。例のアッパーカットは、執事長相手では発動しない。あたしが安心して交流出来る数少ない男性の一人だ。理由は大体分かっている。もうこの悪癖との付き合いも三年と一年である。相手が年寄り過ぎたり、子供過ぎるとあの悪癖は出ないのだ。まあ原因から考えれば、妥当なところなんだけど……。


 原因、原因かー。あまり思い出したくも無いんだけど、はっきり言ってしまえば男性から手酷く扱われたことがあって、つまりこれは男性恐怖症の一種なのだ。


 中学生の頃、クラスメイトの男子から告白された。でも興味がなかったので断ったのね。そこまではいいんだけど、相手の男子が怒り出して、腕掴まれて押し倒されたりしてね。別の男子が助けてくれたので大事には至らなかったけど、それ以来なのよね。悪癖が発動する様になったのは……。


 前にも言ったけど、男嫌いという訳じゃ無い。男の誰もがそういう人じゃないってのは分かってるし、そもそも助けてくれたのも男子だ。逆にそういう意味では、あたしの白馬の王子様願望というのは普通の女子より強いとも思っている。


 そうなんだけど、拳は止まらない。難儀である。まあ一つ「彼」相手に発動しないというのは慰めでもある。さすがに彼に対しても発動したら泣くわ。


 じゃがいも剥きその他、朝食の下ごしらえを済ませてから台所を抜け出す。両手で重箱を持って屋外へ。裏口から出ると少し離れたところに馬小屋と洗濯小屋が見える。サーティの今日の担当は洗濯だ。あたしは洗濯小屋に向けててくてくと歩いていく。重箱は綺麗に装飾され、見た目ほど重くない。重箱の装飾から見て義母様か義姉様関連のものだとは思うけど……なんだろ?


 「はっ!?」


 あたしが気がついた時には遅かった。気配が背後に立つのと、肩をとんとんと叩かれる感触、無意識にあたしのアッパーカットが放たれる感覚、そして重箱が地面に向けて落下していく。それらが同時に発生した。


 「……あれッ?」


 打ち上げた腕の遠心力で、あたしの身体がくるりと一回転する。拳に感触は無い。命中しなかった? からんと重箱が地面に落ちて、中身が散乱する。


 「おっと、相変わらずすげえ反応だな」

「クリス?! またアンタかッ」


 振り返るとそこには銀髪の若い男が立っていた。はははッと軽い笑みを浮かべ、舌を出してこちらを挑発している。あたしはついカッとなって拳を突き出し、更に蹴りも出す。しかしそれらは容易く躱され、ぐぎぎとあたしの歯ぎしりだけを残す結果となった。


 こいつめ。クリスはサーティと同様、あたしと同年代。この屋敷に住み込みで働いている。厩務役(簡単に言えば馬の世話係)の一人だ。


 昔あたしにアッパーカットされたのを根に持っているらしく、都度あたしにちょっかいを出してくる。あのね、あたしのコレはおもちゃじゃないんだよ。人が真剣に悩んでいるってのに、それで遊ばれるのは正直腹立つ。


 あ、ちなみにサーティの婚約者でもある。いつ結婚するんだろうね? この時代だと結構若いウチに結婚することが多そうだけど。


 「なー、サクラ」

「なによ、もう」


 追撃を諦めたあたしは、しぶしぶ落としてしまった重箱を拾う。中身はショールだった。白一色の綺麗なレースが編み込まれている。見るからに高級そうだ。たぶん舞踏会に準備しているのだろう。良いねえ。


 「お前は舞踏会出ないの?」

「んん? あー、出ないわよ。そんな身分じゃ無いし」


 ちょっと迷ったが、出ないと言っておいた。シンデレラのシナリオ通りであれば舞踏会には出れるとは思うけど、一応灰かぶりもといジャガイモ娘としての役を演じる形で発言しておいた。


 「それに、ドレスも無いしねー」

「ふーん、そっか」


 クリスは少し考えて、にやりと笑って続けた。


 「町に行ってみないか?」

「え、なんで?」

「たぶん舞踏会の準備で賑わってると思うんだよな。たまには遊びにいくのもいいだろ?」


 うーん、町か。お城もあるから、確かに今頃賑わってはいると思う。それと「彼」を探す件もある。まずは人出の多いところに行くのはベターだよね。王子様である可能性はあると思うんだけど、もしそうだとすれば舞踏会前にチェックしておきたいという気持ちもある。


 しかし問題が。どうやって町まで行くかだ。馬車でも半日はかかるのよ。だがクリスは、まるで問題無いと笑顔で応える。


 「あれがあるじゃん」


 クリスがそう指さしたのは、水飲み場でがっぷがっぷと水を飲んでいる馬だった。

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