【其の三】魔女と黒猫
——あの光に包まれて、気がついた時にはジャガイモ娘だった。化粧板の張られていない、ささくれの目立つ天井。屋根裏部屋だ。窓の外には満月が美しく輝いている。どこか、あらゆる意味ですごく「遠い場所」に来てしまったというのは、すぐに感じた。なんというか、空気が違ったのだ。
その環境に慣れるのに、一ヶ月ぐらいはかかっただろうか。まず自分が何者なのか? とある貴族の一人娘だったが、新しくきた後妻とその姉妹によって虐げられ、召使い同然の生活をしている。父親は既に死亡して頼る者もいない。白銀サクラとしての記憶と、その一人娘の記憶が同居している。
そして「現代」ではない。電気も水道もガスもない。テレビもスマホも車もない。ぶっちゃけ中世ヨーロッパだと思う。ああ、現代の食べ物って美味しいんだなあとしみじみ実感した。魚はそんなに好きじゃ無かったけど、今あたしは猛烈に寿司が食べたい。白米食べたい。味噌汁飲みたい。
そんな訳で、正直言って申し訳無いが、義母様たちのイジメにはすぐに慣れてしまった。それよりも! 現代と中世の差にね、適応するのにエライ苦労したのよ。食事もそうだが、あれよ。乙女の口からは言いにくいんだけど、ほら、現代日本であれば水洗であることがほぼ当然のアレが! とにかく生理的に受け付けないのに苦労した訳よ。ココが汚いってわけじゃないよ? それでも根本的にレベルが違うから……さ。この難儀に比べたら、義母様たちのイジメなんて人間性を感じる分まだマシってものよ。
—— ※ —— ※ ——
義母様たちは馬車で出掛けていった。近くの町といっても、ここはド田舎。片道で半日はかかる。領地の巡回もするって言っていたから、たぶん三、四日は帰ってこない計算だ。イジメに慣れているとはいえ、やはり上の重しが無いというのは嬉しい。ゆっくり羽根を伸ばせる……その前にやることがあたしにはあった。
焼き菓子と紅茶を堪能した後、自室である屋根裏部屋へと戻ってきた。簡素なベッドと小さなタンスが一つあるだけ。粗末と言えば粗末だが、元の世界では六畳間に妹と同室だったから、それに比べると広々していて良い。夜は星空も見れるしね。
「チャーミー、いるんでしょ?」
ベッドの端に腰掛け、あたしはどこともなしに声を掛ける。ややして。するりと、まるで今までずっとここにいましたよ? という様なしたり顔で、黒猫が床の上を滑るように歩いてきた。艶一つ無い、まるで平面にも見える黒猫。一年前、私がこの世界にやってきて初めて遭遇した生き物でもある。
『ようやく私の言うことを信じる気になったか?』
黒猫は一足飛びにベッドの上に上がった。そして喋る。人間の言葉を。しかし黒猫が喋るのに驚いたりはしない。それはもう一年前に済ませた。
「あー、まことに遺憾ながら、貴殿の言い分には一片の真実が含まれていると言わざる得ないのであります」
『なんだその言い方は。間違いを素直に認めるのも人間の美徳の一つだ。憶えておくといい』
「へいへい」
猫に人間の何たるかを説教されてしまった。さすが猫。我が家でも猫はヒエラルキーのトップに君臨していた。あー猫吸いしたい。でもこの黒猫は嫌がるんだよね。
「ホントにこの世界、シンデレラの世界なんだね」
『正確にはシンデレラの物語に似た平行世界の一つだ。この世には、無数の平行世界が存在する。あらゆる可能性がそこにはあり、故に既存の物語に似た実在世界も存在するのだ。魔女の魔法は、その平行世界を選択し、対象を転送する。正確には転送じゃない。元の世界とこの世界、お前たちはその両方の世界に同時に存在している形になる。そして……』
うん、安心して。途中から聞いていないから。平行世界とか何とかかんとか。まったく理解出来ない。あたしが理解できるエスエフはBTF止まりだよ(にっこり)。
「ごめん、要点だけ言って」
『小僧を探せ。お前と小僧が結ばれれば、魔法は瓦解し、元の世界に戻れる』
「うはー」
実はこの台詞、何度も聞かされてはいたんだよね。一年前、あたしがこの世界に来たあの夜。黒猫はあたしの前に姿を見せて、同じ台詞を言った。でもさ、信じられないよねー普通は。色々とこの世界に馴染むのにも忙しかったし。んで、今日王子様の舞踏会の話を聞いて、ようやく信じる気になったのだ。
ここはシンデレラの世界。そしてあたしは灰かぶり改めジャガイモ娘に転生した。それじゃあ彼は? あたしと一緒にこの世界に飛ばされた「小僧」金城ハヤト。彼は誰に転生しているの? もしかして……王子様?
「どうなのよ、そこんとこ?」
『さての。私とて知らぬ事もある。魔法の神髄は秘めることにあるからの』
「けちー。ヒントぐらいいいじゃない」
『魔女の魔法は恋愛を成就させぬもの。そしてその為の物語世界。それ自体がヒントだとしか言えぬな』
「ぬー、人の恋路を邪魔するなんて、魔女って何者?」
『とてもとても嫉妬深い、お前もよく知る人間だよ。けけけ、えらいヤツに目をつけられたの』
黒猫は眉間に皺を寄せ、けけけと嫌味っぽく笑う。お前、あたしの味方なのかそれとも敵なのか? ぺしっとその狭い額をデコピンで叩いてやる。ひっくり返った黒猫は爪を立てて反撃してくる。あいたたた。人と猫の醜い戦いが始まった。でも咎める者はいない。この部屋の直下は義母様の寝室だけど、今日はいないからね。
—— ※ —— ※ ——
とりあえず。まずは彼を探すところから始めなければ。黒猫の話を抜きにしても、あの場所に一緒に居たのだから、彼もこの世界に飛ばされてきているんじゃないかなとは思っていた。
勿論この一年探してはいたよ? ただ範囲が凄い限られる。だって中世だもん。歩くぐらいしか移動手段が無い。馬、馬車もあるけど、あたしの立場では……徒歩ではこのお屋敷周辺と近くの村に行くことぐらいしか出来ない。んで、そこは捜索済み。いない。
となると、やっぱり町に行くしかない。馬車で半日。王子様のお城もあるから、是非行きたいところではあるんだけど……さて、どうしようかな。
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