第7話 童貞時代の忘れられない過去

 嫉妬するということは、学生時代には結構あった。その時は、まだ自分は童貞だったのだが、大学の科目で、

「単位が危ない人を中心に、教授が、これに参加すれば、単位はあげる」

 というものだから、単位が微妙な人は、こぞって参加した。

 別に高校の補修のようなものではなく、ただ教授が、

「学生と触れ合う時間がほしい」

 というだけで設けたものだった。

 費用はそんなに高くない、なぜなら、宿泊は大学の合宿所だったからだ。

 だから、費用といっても、2泊3日で、1000円という破格の値段で、まあ、結構楽しくやれるというものだった。

 夏だったので、夜になると、花火をしたりバーベキューをしたりであった。もちろん、参加費にすべてが含まれているので、それほど高いわけではない。

「これなら破格じゃないか? 罰ゲームどころか、思い出作りを安くできるという意味でありがたいというものだ」

 という人が多かった。

 だから、別に単位が危なくない人も参加自由であり、しかも、授業を受けていない人も、参加費さえ払えば、参加自由だったのだ。

 ただ、定員には限りがあるので、優先順位は、単位が危ない人、その次が、授業を選択している人だったのだ。

 ただし、そのおかげで、毎回賑やかで、楽しいということだった。そんなに厳しいルールがあるわけでもなく、

「点呼が一日に何度かあり、その時にいればそれでいい」

 というだけのことだった。

 そういう意味で、女の子の参加も当然いるわけで、普段授業の時話をすることもなかった異性と話ができるだけでも楽しい。

 お互いに。まるで、

「旅の恥は掻き捨て」

 と言わんばかりな気分になったことで、ついつ夜になると、何となく怪しい気持ちになっていた。

 参加してから友達になった二人組がいて、そいつらと一緒に二人組の女の子と仲良くなったのだ。

 その時、どうやら、男二人は最初から、オンナ目的で近づいたようだった。

 しかも、相手の女二人も、あさとく笑ってはいたが、あくまでも、男漁りが目的だったようだ。

 要するに、

「せっかくの、二対二の関係が、お前のせいで、一人あぶれるじゃないか」

 とでも言いたいのだろう。

 二人は、どうやら、夜這いを計画していたようだ。マサムネも少しおかしな気分になっていたので、

「てっきり、自分も」

 と思い、夢にまでみた、

「童貞喪失」

 が今日だったのだと感じた。

 しかし、世の中そんなに甘いものではない。しかも、他の人から言わせれば、

「こんなくだらないことで童貞喪失なんかしなくてもいいじゃないか?」

 と言われるだろうが、本人は、その気になってしまっていて、この怪しい雰囲気のど真ん中にいるのが自分でも分かっていた。

 そして、

「童貞喪失には、これくらいのアクシデント? いや、サプライズがあってしかるべきではないか?」

 ということで、

「まるで、俺は今日のために、今まで童貞を守ってきたのだ」

 という、おかしな気分になったことだろう。

 ある程度まで興奮がこみあげてきていると、自分だけが仲間外れにされることに、苛立ちがあった。興奮というものが、何に対してなのか? 身体の興奮が一番なのか、それとも、知っている男女が自分の知らないところで愛し合っている姿を想像するのが辛かった。

 お互いに、お互いを求め合い、一時の快楽に身を任せる。もちろん、その後付き合うことになるのかどうなのかもわからない。

 正直、

「一晩のアバンチュールなのだろう」

 としか思えないくらいになっていた。

 どちらにしても、この状況で、自分だけが取り残されるのは、分かり切ったことだった。よほど、教授たちにチクってやろうかと思ったほどだったが、

「そんな大人げないことをしても、自己満足にもならない」

 と思った。

 当事者からは恨まれて、まったく相手にされないだろうし、やつらに仲間がいて、彼らが自分の誹謗中傷を流せば、狭い大学内。あっという間に広がるかも知れない。

 そうなると、せっかくの大学生活を棒に振ることになるかも知れない。

 テストの時も協力してもらえず、友達が一人もいないどころか、まわりから、

「危険人物」

 というレッテルを貼られて、学生生活を楽しむどころか、自分で崩壊させてしまうことになりかねない。

 それが、この時のたった一回を我慢できるかできないかというだけに掛かっているのだ。

 それを思うと、

「俺がどうすればいいのかということを、その時、我慢できるかということにかかっているのだ」

 ということになるのだろう。

「一時の感情に身を任せる」

 というのは、人間にはよくあることだ。

 実際に、

「我慢しようと思えばできたのに、あの時はどうしても我慢できなかった」

 ということが、誰にだって、正直あるはずだ。

 実際に、今から思えば、大学に入るまでにも、我慢できそうなことを我慢できずに失敗したと思ったことが結構あった。

 しかしそれも、

「まだ子供だから」

 あるいは、

「思春期だから」

 ということを免罪符にして、逃げてきたことではないかと思っていた。

 だが、子供だったら許されることも、次第に大人になるにつれて、

「一体、どんな教育を受けてきたんだ?」

 であったり、

「親の顔が見てみたい」

 などと言って、自分よりもまわりの人間のことを悪くいうような風潮が気になるようになり、そういえば、子供の頃、よく親から、

「親の顔に泥を塗るような真似をするんじゃない」

 と言われていたのを思い出した。

 子供の頃は、それを言われるのが一番腹が立ったのだが、そのせいで、親のことを嫌いになった時期があった。

 もちろん、思春期のことで、今はそこまで嫌だとは思っていないが。逆に親のことを嫌いになりかけた時、思い出すのが、このセリフを言われた時だった。

 だから、

「親を嫌いになりたいとき、どうすればいいのかピンとこない時」

 などは、この時のセリフを思い出すようにしている。

 大人と子供の境目というのは、この時の親の言葉にどう感じるかということが、変わってきたのに、本人が気づいた時ではないだろうか?

 それをピンポイントで感じるというのは難しいことなのかも知れないが、果たして、親子の関係は、他の人がいうような、

「子供と大人の関係」

 というものに、当てはめてもいいものかどうか、考えさせられるのであった。

 そんな嫉妬のせいで、自分のことが、いまいちわからなくなっていた。

 ただ、この時の嫉妬は、完全に自分の意識を混乱させるものであり、

「童貞を捨てるチャンス」

 というだけではない、何か大きなものが潜んでいるような気がしたのだ。

 その日、問題の四人がどうなったのか、結局分からなかった。

 それを聴くのは野暮だったし、聴いたところで、成功例を聞かされて、嫌な思いをするのも嫌だった。

 それなら、最初から聞かない方がいいに決まっている。そう思うと、

「聞くも地獄、聞かないも地獄だ」

 としか思えなかった。

 だとすれば、聞かない方がいいに決まっている。

 聞いたところで、メリットどころか、マイナス面が大きいと分かっているのに、聴くようなことはしない。もし聞きたいと思うのであれば、

「好奇心からなのだろうか?」

 としか思えないような気がして、そう思えてくると、自分の心境がどこに行ってしまったのか分からなくなるのだった。

 もし、この時、四人がセックスをしていれば、

「俺にだって、今回のようなチャンスがくれば、その時は」

 と感じることができるが、どうしても嫉妬は残ってしまう。

 かといって、うまくいかなかったと聞かされたら、もう今度のようなことがあって、自分が女を抱けるチャンスがきても、きっと敵わないんだろうな。

 と思うと、嫉妬する意味、いわゆる大義名分がないので、必要以上に、苛立ちを覚える必要もない。

 それなのに、

「聞くも地獄、聞かないのも地獄」

 ってどういうことなのだろうか?

 それほど、今回のことは、マサムネにとって、ショッキングなことだったというべきなのか。

 確かに、童貞を捨てることができるチャンスだったのかも知れないが、確かに、こんなことで捨てたとして、自分の納得できることなのだろうか?

 ただ、これが自分のためにもしなるのだとすれば、それは自己満足なのではないだろうか?

 つまり、自分のような童貞君がいて、その人に対して、自分の今回のような経験談をした時に、相手は、

「この人はすごい童貞喪失をしたんだ」

 ということで、センセーショナルな目で自分を見てくれるのではないか?

 という思いに駆られることで、マウントが取れると考えたのではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「なんてくだらない自尊心のために、こんなやきもきした思いを抱いているのであろうか?」

 と考えさせられてしまった。

 要するに、この時の損得というのは、あくまでも、自分がその時に考えられる範囲でしかないのだ。

 そんなことは当たり前のことであり、誰が考えたって当たり前のことである。

 それを考えると、

「俺はなんて、ちっちゃな男なんだ」

 と感じたが、ただ、嫉妬心を抱いたということは、時間が経てば経つほど忘れ去っていくものではなく、逆に膨れ上がってくるもののようだ。

 その理由としては

「正解が分からない」

 ということになるのだろう。

 そもそも、

「何が正解なのか?」

 ということがまったく分からない。

 正解を求めるというよりも、自分が納得できることが正解であるならば、求めている正解とは、まったく違ったものであるということが分かる気がする。

 それを考えると、

「あの時に感じた嫉妬心というのは、他の人が感じる嫉妬心と言われるものと同じなのだろうか?」

 と感じた。

 というのも、

「何か一つのことを感じるのだって、人それぞれで、人の数だけ感情があってもいいのではないか?」

 と感じるのだった。

 だから、嫉妬と一口に言っても、感じ方が人それぞれではないかと思うのだ。

 例えば、嫉妬心が、

「自分に近いものなのか?」

 あるいは、

「相手に近いものなのか?」

 ということである。

 つまり、自分が、相手は関係なく、相手が誰であれ、同じような嫉妬をいつも感じるという、どちらかというと、

「自分中心」

 の嫉妬の感じ方であり、逆に、自分が嫉妬を感じる相手をどれだけ愛しているかによって決まるものである。

 ただ、この二つを考えると、結末も変わってくる。

 相手が、もし、

「これは浮気であって、本当に愛しているのはお前だけだ」

 と言われて、コロッとその言葉に騙されるのは、自分中心の嫉妬を抱く人ではないだろうか。

 そうでなければ、浮気をしたという事実だけで、相手のことを許せる許せないというのは、相手の感情に左右されないのではないかと思うのだった。

 そういう意味で、純情な嫉妬心というと、前者になるのだろうが、嫉妬心を相手の言葉でコロコロ変わるということになれば、本当に自分中心の嫉妬を考える人であれば、許せないと思うだろう。

 いや、浮気をした相手の言葉に騙されるのは、

「自分中心の嫉妬であってほしい」

 という気持ちの表れなのかも知れない。

 マサムネは、大学三年生の時に、初めて本格的な付き合い方をした。

 それまでは、付き合ったといっても、まるで、中学生カップルの延長のようで、

「お互いに未経験」

 ということで、お互いにそのことを相手に話をしていた。

 最初、お互いに、

「なんて正直な人なんだ」

 ということで、感動したのだ。

 それをお互いに会話の中で話したのだが、それも、どこかあざとさが感じられた。

 もちろん、それは後になってからのことだったが、お互いに初体験。中学生じゃあるまいし、大学生で初体験同士、あとになって思えば、少し滑稽なくらいだ。

 だが、その時は真剣だった。

 それだけに、どちらかのバランスが崩れれば、お互いの気持ちが行き違い、気持ちの崩壊はあっという間のことだったのだ。

 しかし、それを最初に分からなかったのは、無理もないことで、

「気持ちと身体のアンバランスが、どちらかが、平衡感覚を失うと、お互いの気持ちの崩壊もあっという間のことなのだ」

 といえるのではないだろうか?

 その時、すぐに別れることになった。

 別れを言い出したのは、相手からだった。その時、マサムネは、正直、

「助かった」

 と感じた。

 自分から言わなければいけないのであれば、果たしてどういえばいいのかって考えていたからだった。

 それに、マサムネに、

「オンナをふる」

 などという勇気があるはずもなかった。

「相手が、自分に対してしてくることに対し、それに対応する」

 というだけでも大変なのに、自分から、考えてするということに対しての責任を負うことができないとも考えるのだった。

「気持ちと身体のアンバランス」

 というものが、嫉妬という気持ちを生み出すのだとすれば、そこに何が待ち受けているのか、分かってくるのが、

「大人になるということ」

 なのかも知れないと感じるのだった。

 そんなマサハルが、40歳くらいになると、また風俗通いを始めた。

 元々、風俗通いを始めたきっかけとなったのは、大学の時の、童貞だった時、

「自分だけが取り残され、しかも、出かけた連中は、できたのかできていないのかすら分かっていない。そんなモヤモヤした感覚が、身体に何かくすぐったさのようなものを印象として残してしまったことで、風俗という、自分にとって、それまでアブノーマルだと思っていたことに嵌ってしまったのかも知れない」

 そんな風に思うようになると、それまで、半年以上も行っていなかった風俗に行ってみようと思うと、

「善は急げ」

 で、すでに足は向かっていた。

 そもそも、半年くらいしか空いていないのに、

「こんなに久しぶりだったんだ」

 と感じるのと同時に、逆に今までそのことを忘れていた自分に対しての矛盾を感じることがどこか滑稽な気がした。

 それもやはり、

「時間の感覚がまったく違ってしまっていることが影響しているに違いない」

 と感じるからだったのだ。

 半年も行っていなかったら、感覚としては、

「二年くらいは行っていないのと、変わりないよな」

 と感じることだろう。

 実際に行ってみると、まるで知っている空間とは違っていた。

 その一つには、今まで馴染みにしていた女の子が辞めていて、誰にしようか考えた時、

「一番最初に、辞めてしまった馴染みの子と迷った子にしよう」

 と思ったのだ。

 その子はまだ辞めていなかった。写真は若干老けて見えたが、自分では許容範囲だと思った。

 しかし、実際に会ってみると、

「あれ? こんな感じだ」

 と、少し落胆した。

 それは、想像と違っていたというだけで、決して、

「パネマジに引っかかってしまった」

 というほどではない。

 どちらかというと、

「逆パネマジ」

 といってもいいだろう。

 ただ、しいて言えば、写真の加工で、少し年齢が目立つような部分を隠しているところがある。年齢に上限を設けている人は、少し考えるかも知れない。

 それでも、パネマジというのは、正直必要なものである。

「どうして加工をするか?」

 ということには、2つ理由があるだろう。

 一つは陳列の意識と同じで、少しでも、おいしそうに見せるという意識である。

 そしてもう一つ、こちらの方が問題として大きいのだが、前述のように、

「身バレを防ぐため」

 ということが一番に挙げられる。

 店としても、雇っている相手の親にでも乗り込んでこられたら、大混乱である。さらに、女の子としても、下手をすれば、自分の人生計画が、音を立てて崩れていくことになるかも知れないからだ。

 特にバレるのが、親だけではなく、学校の先生だったり、昼職の上司だったりと、立場的にアウトとなってしまうと、本当に人生計画が狂ってしまうことになるだろう。

 いろいろな女の子がいるが、夢を持っている子もいる。

「いずれ、店を持ちたい」

 などと思っている子は、店で稼ぎながら、会社に勤めて実践経験を積んだり、学校で勉強したりと、人生設計をしっかり立てている人もいる。

 それを、崩す権利は、たとえ親といえどもないといってもいいのではないだろうか?

 ましてや、他人である、学校の先生、会社の上司など、もちろん、立場上しなければいけない処分を下しているだけなのだろうが、直接手を下したことに変わりはない。

 だから、その人たちを責めることもできず、結局、本人が、自分で守るしかないということなのであろう。

 そんな女の子たちに対して、店がどこまで守ってくれるかというもの難しい。確かにデリヘルのような派遣に比べて、待合室で見ることができるから事前に防ぐことはできるだろう、

 しかし、いくら禁止事項の中にあるといって、

「出待ち」

 をされたら、どうしようもない。

 店の前だと目立つので、そのビルの出口あたりで見張っているということもあるだろう。店によっては、女の子の出入り口を別にしてある構造のビルもあるかも知れないが、そのあたりの内情までは分からない。それを思うと、もし、相手が必死になって計画を立ててくれば、いくら店が守ろうとしても難しいこともある。

 それこそ、行き帰りを、ちゃんと送迎をつけるということをしても、大丈夫かどうか分からないのに、スタッフの人員から考えると、そんなことは実質的に不可能だ。

 ということになると、自然とその子は辞めていくことになる。

 かといって、デリヘルの方が今度はもっと怖いことになる。果たしてどうすればいいのかということになるだろう。

 ストーカーだったとしても、警察が、そんなに簡単に守ってくれるわけもない。今から十数年くらい前に、ストーカー被害に遭っていた知り合いが、警察の生活安全課に話に行ったのについて行ったことがあった。

 その時は相手が分かっていたので、最初に、相手に、警察が注意をすることから始まって、電話番号を登録し、

「この番号から連絡があった時は、110番扱いにするようにします」

 という手続きを取ってくれたりした。

 当時、GPSがあったかどうかまでは分からないが、ひょっとすると、それくらい、警察に分かるようにしていたかも知れない。

 ただ、当時はスマホなど、存在もしていなかった時代だったので、一般の人が、GPSなどの存在は知っていても、警察や軍などの特殊任務を持った人だけのことであり、一般市民には関係のないことだと思っていたことだろう。

 その後、

「大体の帰宅時間にパトロールを増やしますね」

 というような、まるでアナログ時代のことくらいしかしてはくれないのだ。

 要するに、

「警察というところは、人が死んだり、事件が起きない限りは、何も動いてはくれないのだ」

 ということなのであった。

 それを身に染みて分かっているので、女の子が、危険と隣り合わせなのではないかということも気になっていた。

 だが、さすがに、事件が起こっているという話を聞かない。

「大げさな事件にならないだけで、似たような事件は、毎日どこかで起こっているのではないか?」

 と思ったが、

「風俗嬢にストーカーなどという事件、マスゴミが飛びつかないわけはない」

 といえるだろう。

 そうなると、

「やはり、ちょっとした事件はあるかも知れないが、事件として報道されるほどのことはないんだろう」

 しょせんストーカーといっても、ヲタクの小心者が多く、そんな度胸もないと考えてみたが、そうなると、怖いのは、店の客というよりも、お金もなくて、風俗通いすらできない連中ではないか?

 と思えるのだ。

 お金があれば、店に行けばいいだけだ。普通の女の子には相手にしてもらえなくても、優しくしてくれる天使のような笑顔の女の子たちがたくさんいるじゃないか?

 不況で働き口がないというのは、ある意味いいわけである。

 どこかに勤めてみたが、まったく人とコミュニケーションが取れず、まわりが歩み寄ってくれているにも関わらず、自分から避けてしまって、結局、

「自分には向かない」

 と勝手に思い込み、挙句の果てに、

「不況で働き口がない」

 などと言っているのであれば、それは、自業自得である。

 そんなやつに、ストーカーをするほどの度胸があるとも思えない。事件がないように見えるのは、本当に狙われるようなことがないからなのかも知れない。

 ただ、人間、どこで恨みを買っているか分からないのは、風俗関係の人であっても、他の業界で働いている人であっても同じだ。それを思うと、

「何がストーカーなのか? そもそも論になるのではないだろうか?」

 そんなことを考えていると、風俗の世界も大変なことに気づいたのだ。

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