第6話 嫉妬という妬み

 30代以降では、時間の感覚の違いからか、風俗の回数が減ってきた。

 かといって、性欲が衰えてきたというわけではない。どちらかというと、

「性欲はあるが、もっと他のことをしてみたい」

 という感覚があったからだと、自分で思っているようだ。

「趣味のようなものを持ってみたい」

 という意識が強く、実際にいろいろと試してはみたが、そもそも、素質がないのか、どうにもうまくいかない。

「旅行であったり、食べ歩きなどのような気楽なものであればいいのだろうが、どうも、芸術的なことをやりたいと自分では思っている」

 といっていたが、それはあくまでも、建前ではないかとまわりは思っていた。

 どちらかというと、

「金がかからない趣味がいいな」

 と考えているようだった。

 風俗に金を使うのは、別に気にならないのに、自分の趣味となると、なぜかお金にこだわるのだった。

 彼のまわりの一部の同僚などは、マサムネが風俗に通っていることを知っていた。マサムネが自分から言ったからであり、本人も、

「隠したってしょうがない」

 と思っていたのだ。

 さすがに、上司の前で、平然と、

「僕、風俗に通っています」

 というほどの神経が図太いわけではないが、もし聞かれたら、

「そうです」

 と答えると思っていた。

 要するに、

「俺のことを知らないという人は、俺に興味がないからだ」

 と思っていたのだ。

 マサムネの影響か、同僚の中で、風俗通いをするようになったやつもいた。

 彼は、よく言えば、

「真面目な性格」

 であり、悪く言えば、

「融通か利かない」

 といっていいだろう。

 そのせいもあるのか、嵌ってしまうと抜けられなくなるようで、通い始めたお店の女の子に嵌ってしまい、借金まではしないが、危ないところまで来ているようだった。

 彼には結婚を考えている女性がいたようだが、風俗通いがバレてしまい、修羅場になったらしい。その時、彼女が自分を罵るのを聞いて、

「こんな女だったのか?」

 と、彼の方が冷めてしまい、彼女から距離を置いたという。最初は取り乱した彼女だったが、彼を愛していたのか、復縁を迫ったらしいが、今度は彼が承服しない。どうやら、風俗に対しての悪口雑言と、風俗に通う男のことへの嘲笑めいた言葉に嫌気が刺したのだという。

「お前が言っていた風俗というものが俺にも分かった気がしたよ」

 といっていたので、きっと、何かに目覚めたのだろうと感じた。

「そっか、俺はお前が彼女を見切ったというのなら、反対はしないが、後悔しないと自分でハッキリと思えたのなら、それでいいと思う」

 と声をかけたものだ。

 もちろん、それが正しいのか、間違っているのかなどというのは、あくまでも結果論。今分かるわけはないことである。だから問題は、本人が、

「後悔するかしないか?」

 なのである。

 マサムネは彼女を知らないので、彼の言い分しか分からない。だから、そう助言したが、それでよかったと思っている。そして、彼が自分の側の世界に入ってくれたことを、嬉しく思うのだった。

「世間における、一般常識って、一体何なんだ?」

 と思わせるちょっとした事件だった。

 マサムネにとって、

「ちょっとした事件」

 でしかないことをいまさらながらに感じたのだった。

 ただ、同僚のそんなことがあったのと、自分が時間の感覚が少し変わってきたことで、少しずつ、風俗通いの時間の感覚が変わっていくのを感じた。

 というのも、最初は、毎月は、隔月に変わっていき、そのうちに、

「もう少し行かなくてもいいか?

 と考えるようになった。

 それは、お金を意識するようになったからだ。

 毎月行っている時は、意識としては、

「お金がもったいない」

 などと考えたことはなかった。

 ストレスや欲求を満たすという感覚を、お金で買っているんだ」

 と思うからであり、それを悪いことだと思わなければ、もったいないなどと感じないからだった。

 要するに、

「自分の欲求と、お金を天秤に架ける」

 というようなものだが、すでに、最初から決まっていた。

「欲求には勝てるわけはない」

 と思うことで、そこに免罪符が出来上がる。

 言い訳するにしても、誰にするのだろう?

 別に彼女がいるわけでもなければ、結婚しているわけでもない。ましてや、自分が稼いだ金で、誰に迷惑をかけることもなく遊ぶのだ。

 他の人がどう、お金を使っているかは分からないが、

「俺は風俗に使っているだけだ。何が悪い」

 というものだった。

 というよりも、いちいち、そんなことを気にするということの方が、

「よほど、自分が風俗通いに偏見を持っているのではないか?」

 と感じさせることになるのだ。

 だから、変に意識しないようにした。

 自分の金を自分で使うのだから、免罪符も何もない。

 だから、まわりに、

「風俗に通っている」

 ということを、いちいち隠したりはしない。

 ただ、例の、

「世界的なパンデミック」

 の時には、当然のことながら、自重した。

「もし、誰かが他でもらってくれば、皆に移してしっまう」

 ということになるのだ。

 確かに。誰がどこで移されて、会社で広げたのかなどというのは分からない。それが伝染病というものなのだが、そのため、国が、

「動くな」

 というのであれば、おとなしくしておくしかないのだ。

 もし、会社で流行してしまうと、

「あいつは風俗に行っていた。だから、移されたのではないか?」

 という原研の目で見られることだろう。

 だが、それを抗うだけの力があるわけではない。

 何といっても、パチンコ屋の時の、

「自粛警察」

 のような連中がいて、やつらが、

「誰かを悪者にして、正義漢を振りかざそうとする」

 ということになるのだ。

 そんな連中の犠牲者になりたくはないものだ。

 そもそも、おとなしくしていれば、騒ぎが収まったところで、また通えばいいことであり、ここで、変にまわりに公表されてしまうと、自分の立場は騒ぎが収まった後もしばらくは偏見の目で見られることで、なかなか身動きが取れなくなってしまうことだろう。

 それを思うと、マサムネも、簡単に、迂闊なことはできないのだ。

 このあたりが、

「組織の中で仕事をしている人間の弱み」

 というところであろうか?

 だが、マサムネの30代に突入した頃というと、そういうことはなく、そこまで、問題のない時代だった。

 だが、ちょうど、その頃風俗街の中でちょっとした問題が起こっていた。それは、昭和30年後半と同じことが起こったといってもいい。そう、東京オリンピックがあった時のことだった。

 この街も、21世紀の2回目、

「東京オリンピック招致」

 の、国内候補としての最終段階まで残った土地であった。

 県民が実際に、どれだけ、このことを知っていたか、そして、その中での賛否がほどれほど割合であったかということは、正直分からない。

 県の関係者でも、どれだけの人間がオリンピック招致に真剣だったのかということも分からない。

 ただ、県の関係者は、建前上、

「誘致運動に賛成」

 としか言いようがなかっただろう。

 それに比べて、たぶんであるが、県民との温度差は少なからずともあったはずだ。この関係は、整備新幹線計画が実行される時と似ているのではないだろうか?

「新幹線ができる。開通する」

 というと、よく知らない人間は、

「これで便利になって、街も県も活性化するだろう」

 などというのは、何も知らない人間が考える浅はかなことだった。

 新幹線が開通するということは、どういうことなのかというと、まず言えることは、

「新幹線を開通させるために、かなりのお金が必要だ」

 ということだ。

 そしてその次に、

「そのお金をねん出するためと無駄を省くという意味で、在来線の特急を廃止する」

 というものだ。

 基本的に、新幹線と在来線は別のルートになるので、新幹線の開発は、線路面においては、

「すべて一からの開発」

 ということになる。

 なぜそうなるかというと、理由は二つであろう。

 一つは、スピードの違いである。かたや、時速100km前後で走っている在来線に、200km以上で運行する新幹線を走らせるということは、複々線でないと不可能だということである。

 もう一つの大きな理由は、

「線路の幅の違い」

 というものにある、JRの遷都は、昔の国鉄時代からの遷都を流用しているので、二本の線路幅が実に狭いのだ。高速で走る新幹線の線路幅はかなり広いので、もし走らせるとすれば、新幹線の線路幅を動かせる車輪を装備しないといけなくなる。

 そうしないと、他の地区の新幹線と乗り入れができないということになり、実に不便だからである。

 そうなると、新幹線の線路は独自のルートになる。しかも、最短距離を考えることで、どうしても、山をくりぬいて、トンネルを作るという大工事が必要で、そのために、難しい工事を、何年も掛けて行うことになる。

 そして、それらの工事を行って開通させると、かつて、特急が止まるだけの理由のあった街に、特急が止まらず、別の場所に新幹線が停まることになれば、その街は、一気に没落していくことになる。

 下手をすれば、その路線の在来線は、JRでもなくなり、第三セクターとして生まれ変わるというような、悲惨な形になり、それまでの活気のあった街は、ゴーストタウンと化すのは時間の問題だった。

 さらにである。開発には、国が金を出すことになるが、今度は開通してから、維持するのが大変である。

 当然莫大なお金がかかるわけで、そのお金はというと、新幹線が開通した街の県民が、税金として徴収されることになるのだ。

 つまり、新幹線を使おうが使わまいが、その街に新幹線が通り、駅などができてしまうと、そこからずっと値上げされた税金を払い続けなければいけないということになるのだ。

 だから、整備新幹線の計画は、思ったよりも進まないことが多く。計画ルートの半分を先に運営させて、未開発の部分だけ特急列車を残し、ピスト輸送てきなことをしなければいけなくなるのだった。

「一体、誰のための新幹線なんだ?」

 と、建設側と、住民との間で、相当な温度差があるのも分かるというものである。

 実際に新幹線などでは、ニュースになったりするので、県民だけではなく、関係のない県の人も知っていて、このあたりの話は、全国的に知られていることだろう。

 最初は、

「対岸の火事」

 であっても、いつ、自分たちの街も同じことになるか分からない」

 ということで、県民も、

「その時は断固として戦う」

 と考えている人も多いだろう。

 計画がある時点で、まだ、着工もされていない区間の住民も、すでに水面下で、

「整備新幹線開業素子のための組織(仮)」

 というようなものを作って、密かに活動しているに違いない。

 計画が開始され、そのままなし崩しに、運用が始まってしまえば、もうどうすることもできないのだ。

 それを、

「既成事実」

 というのだろう。

「できてしまっては、仕方がない」

 ということになるのだ。

 この新幹線のような理不尽な計画。

 いや、もっと理由にならないような、いかにも、

「絵に描いた餅」

 を、県の首脳陣が描いたことで、一つの産業が、そしてそこに携わっているいくつかの街が崩壊し、それに足す触っている人々が、職を失うというひどい目に遭っているということを、それだけの人が知っているだろうか?

 これは、

「理不尽といえば、あまりにも理不尽だ」

 といってもいいだろう。

 しかも、すべてが、県の体面であり、世界的な行事を行ううえで、

「諸外国に恥ずかしくない」

 という意味での発想だった。

 何しろ問題はオリンピック招致の国内最終審査なのだ。つまりは、オリンピック招致が完全に決まったわけではなく、しかも、まだ国内での代表にもなっていない時のことだった。

 どこの誰が、オリンピック招致を言い出したのか分からないが、その連中は、

「本当に歴史を勉強しているのだろうか?」

 というものである。

 オリンピックを行うためには、当然、それにふさわしいだけの、体勢が必要だ。

 つまり、そのお金も整備新幹線計画と同じで、県民の税金が、使われることになるというのは、決まり切ったことである。

 そして、オリンピック招致のために、整備しておかなければならないこともあるのだ。要するに、

「美観的に、目障りなものは、排除しておく」

 ということだ。

 国内の招致が、どの候補地に決まるのかという決定方式は詳しくは分からないが。当然、国内代表に決まった後、今度は全世界から決めるわけなので、IOCオリンピック委員会が決めることになる。

 その時には、まず、平和であること、そして、風紀の乱れのないことなどが、候補が決定に変わるための要素になる。

 全世界の中で、最終的に勝ち残った、3か国か、4か国の中から、最終の招致を選ぶ前に、その街のを調べることになるだろう。

「性風俗の店が街中に乱立している」

 などというと、風紀上、

「こんな街で、とてもではないが、オリンピックなど開催できない」

 ということになる。

 それを知っている県の代表は、まだ国の代表にもなっていないのに、風俗関係を締め上げに掛かった。

 何しろ、法律は全国共通の風営法が最終ではなく、あくまでも、

「風営法に遵守した形のものを、自治体独自に定めたものが、最終の法律になるのだ」

 そういう意味で、都道府県の条例が最終的な法律になるのだから、それを運営している県が、自分たちの都合で締め付けることもできるというわけだ。

 だから、県とすれば、まずはなんといっても、国の代表にならなければいけないということで、先行して、目障りな部分の排除に動く。

 それはまるで、すでに国の代表に決まったかのような感じで、

「もし、これで代表になれなければ、どうするつもりなんだろう?」

 と誰が考えるだろうか?

 確かに、オリンピック国内最終候補に残ったということくらいは、ニュースで眼にすることもあるだろう。

 しかし、実際には、まだフライング状態であり、正直、不利でもあった。

「ひょっとすると、不利なのを分かっていたので、先に排除して、自分たちの真剣度を示した」

 とでもいうのだろうか。

 理屈としては分からなくもないが、いきなりそんな急に厳しくされ、営業を断念せざるを得なくなってしまった店はどうなるというのか。

 さらに、落ちぶれかけていた街の復興のために、風俗を誘致する形で、街の復興に一役買った人たちを、県が潰しにかかるというのである。

 そもそも、オリンピックをやって、本当に街の活性化にでもなると思っているのだろうか?

 50年前のオリンピックがどうであったか、そして、昨今のオリンピック誘致した国はその土地がどのようなことになっているのかということを見ていれば、普通なら、恐ろしくてオリンピック招致など考えられないと思うのだが、もし、それを考えているのだとすれば、よほどの認識不足なのか、バカなのかということになるであろう。

 確かにオリンピック前はというと、

「オリンピック景気」

 という特需があり、インフラ整備などでの公共事業が盛んになり、一時的な、産業奨励となり、人手不足も解消されるだろう。

 だが、実際にオリンピックが終わってしまえば、どうなる?

 元々、建設ラッシュで作った競技場やホテルなど、オリンピックが終わった後の計画も最初から組まれていたのだろうが、その考えがことごとく甘いことは、今までに行われたオリンピックが証明しているではないか。

 かつての東京オリンピックしかり、あの時は、臨時雇いの人たちが一気に職を失い、社会問題になった。政府や自治体がそんなことも分からなかったとは思いたくはないが、結果として、ロクなことにはならなかったはずだ。

 さらに最近では、ニュースでも、

「前回のオリンピックで沸いた街が、数年で、悲惨なことになっている」

 といって、競技場の一つを取材していたが、観客席になっていたところは、何と数年でひび割れしていて、そこから雑草が生えているような、信じられない光景が飛び込んできたものだった。

 まだ、それはマシなのかも知れない。もっとひどいのは、

「オリンピック招致をしたために、数年後には、国家財政が息詰まってしまい、何と、国家が破産してしまう」

 ということに追い込まれた国もあったのだ。

 それを思えば、オリンピック招致に、一体何のメリットがあるというのか、デメリットの方が誰が見ても大きいのは分かり切っているではないか?

 そんなことも分からない、

「歴史も知らない、過去を勉強しない」

 という連中が指導しているのだから、うまくいかないのも当然だと言えるのではないだろうか?

 そして、マサムネが住んでいるこの街も、かつて、オリンピック招致に名乗りを上げたこの国の候補の一つで、最終候補に残ってしまったがゆえに、先走って、県の首脳が、

「国の代表に選ばれた」

 かのような感覚から、締め付けられ、店が次々に廃業に追い込まれ、せっかく立ち直った街が、10年も経たないうちに、また荒廃してしまうことになるなどという暴挙を、県はやったのだった。

 整備新幹線の時でも、それほど知られていなかったのに、今回のことは、あくまでも水面下で行われていたことなので、当事者でないとピンとこないことだろう。

「いつの間にか、街が荒廃しているのは、風俗業というのが、この街に合わなかったからじゃないのかな?」

 という程度にしか、もし、この荒廃について考えたことがある人がいたとして、思うのはそういうことなのであろう。

 しかし、実際には、オリンピック招致の問題が根底にあったのだ。

 しかも、地味に宣伝していたので、そんなビッグニュースになったわけでもない。

 ひょっとすると、自治体側の人間が、

「オリンピックのせいで、税金が上がるというカラクリを知っている人が下手に騒いで、水面下で進めているオリンピック招致自体が、彼らのせいで見送りにでもなったら、せっかくのここまでの努力も水の泡だ」

 ということになりかねない。

 それを思うと、自治体が水面下で進めているのも分かる気がする。

 しかも、ターゲットとなる風俗業というのは、法律的に、自分たちが勝手に決められる自治体の条例であるというのも、都合がいい。

 いや、逆に都合のいいところをターゲットにしたという意味では、ある意味、

「自粛警察」

 と同じ類なのではないかといえるのではないだろうか?

 そんなことを考えると、自分が通っていた街の風俗が、一時壊滅状態になったことで、少し遠のいてしまったのも事実だった。小さな街のように、人止まりもなく吹き飛ばされてしまったわけではなく、数年後には、若干形を変えたサービスが生まれたりしたことで、復活してきたのだった。

 といっても、さほど大きな変化があったわけではないが、通っていくうちに、その変化がどこにあるのかが、分かるような仕掛けになっていた。だから、自治体も、下手に止めることができなかったのだ。

 ただ一ついえば、幸いだったのは、

「オリンピック招致が、失敗に終わり、日本代表にすらなれなかった」

 ということである。

 全国でも有名な歓楽街は、大きな痛手ではあったが、すぐに2,3年もすれば、昔の活気を取り戻したが、新興のところは、跡形もなく消えてなくなっていた。数軒はあった無料案内所も、今はもぬけのから、ほとんどがテナント募集の、貸店舗となっていたのだ。

 廃墟のようになった街に、撤退後すぐ行ってみたことはあったが、あまりにも見るに堪えないほどの惨状に、二度と行ってみる気にはならなかった。まるで、

「無差別爆撃で焼け野原になってしまった街のようではないか?」

 といえるくらいだろう。

 そんなこともあって、しばらく風俗に行かなくなると、今度は、会社の女の子などに意識が行くようになった。

 そうなると、

「何で今まで、風俗ばかりに目を向けていて、すぐそばの女の子に目がいかなかったのだろう?」

 と、いまさらのように考えるようになった。

 会社の女の子に、懐かしさと新鮮さを感じながら、まるで自分が、数年間どこか知らない世界にでも行っていて、カルチャーショックを感じているかのように思えるのだった。

 そのカルチャーショックは、長いようでも短いようでもあり、ただ、20代から30代に向けて、あっという間だったということを思うと、想像しているよりも、長かったように思えるのだった。

 ただ、懐かしさの中に、今まで感じたことはあったのだが、それが何だったのか、思い出せないことがあった。しかも、それは、どこか気持ちの悪いもので、忌々しいといってもいいようなものだった。

 それが何かを思い出していると、

「そうだ、これって嫉妬のような感覚ではないか?」

 と感じたのだった。

「嫉妬って、そもそも、どんなことだったのだろう?」

 と、嫉妬を感じたことがあるから分かったはずなのに、自分で嫉妬だと気づいたくせに、その嫉妬がどんなものであったのかということを、正直そう簡単に思い出せるものではなかった。

「女に対しての嫉妬で、最期にしたのはいつだったのだろう?」

 と、懐かしくもないが、思い出そうとしてみた。

 すると、

「思い出せないんだよな」

 としか思えないのだ。

「そうだ、あれは学生の頃だったか、嫉妬というよりも、抜け駆けして、オンナとやった連中に対して感じた、おかしな思いだったな」

 というものだった。

 自分が、どんな女が好きなのか、実際には今でも分からないが、その頃は、それを必死に模索していたような気がした。

 今であれば、

「好きになった人が、自分の好きな人なんだ」

 というだけのことである。

 そんなことは分かり切っていて、

「それこそ、まるで歌の文句mpようじゃないか?」

 と感じることだろう。

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