第5話 30代の頃

 ソープランドも、しばらく同じ店に通い始めると、しばらくは続くが、1,2年を周期に、他の店に行ってみたりもしていた。

 それでも、一つの店に固執している時はその店だけに通うようにしている。

 もちろん、お気に入りの女の子がいるというのが前提であるが、毎回その子だということもなかった。

 当然お気に入りの女の子も、たぶん分かっているだろう。だが、敢えて、

「前に、他の子に入ってみた」

 などという野暮なことは言わない。

 本当は、正直にいう方がいいのかも知れないが、マサムネはそれを野暮だと思うようにしていた。心のどこかで、

「金を払って遊びにいくところだ」

 という意識があり、それを免罪符にして、自分なりに言い訳しているのだろう。

 そんな自分が、正直になったところで、きっとすぐに見破られるに違いない。敢えて触れないことの方が、相手も気が楽だろう。お気に入りとしては、他の女の子に入られるのを、

「プライドが傷つけられた」

 と感じるに違いないからだ。

 そのプライドは、どこからくるものか、女性も考えるに違いない。下手に慌てふためいて、そこで、

「女の子」

 を出してしまうと、それは、果たして、本当のプライドを忘れてしまうのではないだろうか?

 お気に入りの女の子には、そうはなってもらいたくない。

 そうなると、

「言わなくてもいいことを、いちいちいうのは、正直ではない」

 といえるだろう。

 ただ、身体は正直なもので、相手がいくらお気に入りといっても、毎回では飽きてしまう。

 その飽きが来ないように、時々他の女を抱いておくという意識を持ったとしても、それは男として無理のないことで、却って、お気に入りのためだというものだ。

 あくまでも、お気に入りの前では、

「万全な状態でいたい」

 という気持ちがあるからで、この気持ちがある限り、言わないことの方が、お互いのためだと思うと、それが一番の正解なのだろう。

 お気に入りの女の子も、当然自分だけを相手にするわけではないし、こちらが思っているほど、自分のことを思ってくれているわけではない。

 ただ、マサムネとしては、

「せめて、お気に入りの子の中にいるお客の中で、特別な存在だと思ってくれればそれでいいと思っている」

 と感じているのだった。

 ここでいう特別というのは、

「大切」

 という言葉よりも、はるかに距離が近いものだと思っている。

「女の子が大切だと思っているのは、客皆に対して出ある。ある一人の人に思い入れが深ければ別だが、そうでなければ、どんぐりの背比べと同じで、誰か一人が大切なら、皆同じくらいに大切だといっていい」

 と思う。

 しかし、特別は違う。

「皆が大切」

 という中で特別な存在ということは、

「彼女が、自分のことだけを考えてくれる時間がある」

 ということだろう。

 そうでもなければ、誰かを思うと、皆を意識するのと同じことになってしまうからだった。

 30歳くらいまでは、毎月通っていたような気がする。

 しかし、30歳を過ぎると、今度は少し間を置くようになった。

 仕事が若干忙しくなったというのもあるが、自分の中で、

「30歳を過ぎるとあっという間だ」

 というのを、20代後半から聞かされて、

「そうなんだろうな?」

 という意識がある中で、実際にその年代になると、

「まさにそうだった」

 と感じるからだ。

 だから、1カ月に一度の割合で通っていると、まるで、

「一週間に一回」

 という感覚に近い者になる。

 別にお金をそんなに使っているわけでもないのに、そんなに頻繁に行くと、却って疲れる気がしたのだ。

「一か月に一度くらいだから、ちょうどいいんだよな?」

 と感じていた。

 彼女ができると、

「毎日でも抱いていたい」

 という気持ちになるのだろうが、それも、

「20代くらいまでだ」

 ということが分かってきた。

 20代前半くらいまでは、大学時代を含めて、

「彼女がほしい」

 と思っていた。

 それは、

「彼女として付き合っていく」

 という、恋人としての関係と、

「性欲を解消してもらう」

 という、オンナとしての対象で見ていたのだ。

 いくら、格好つけたとしても、結局性欲に勝てるわけはない。

「身体が目的ではない」

 という言い方は正しくない。

「身体だけが目的ではあい」

 という方がよほど理にかなった回答ではないだろうか?

 大学時代は、なかなか彼女ができなかった。友達にはなるのだが、それ以上が進まない。いわゆる、

「友達以上には思えない」

 という言い訳のような言葉で玉砕するだけだった。

 どちらかというと、いつも、

「玉砕覚悟」

 の方だった。

 本当なら、

「告白さえしなければ、このまま友達関係を続けられて、いずれは恋人になれるかも知れない」

 と思うのだろうが、それでは自分が許せなかった。

 ある程度一緒にいて、そこから進展しないということは、

「時間を無駄に使っている」

 と感じるのだ。

 もし、ダメなら次に行くというくらいの潔さがなければ、それは、時間のムダだと感じるようになったのだ。

 だが、それは、少し究極の思いといってもいいだろう。ただ、それだけ時間というものに執着があるのか、それとも、恋愛というものに淡白だといっていいのだろうか?

 20代の頃は、

「淡白だなんて、ありえない」

 と思っていたが、30代になると、

「淡白も十分にありえる」

 と思うようになった。

 それが、時間が経つスピードが本当に違うということを、30代になって身に染みて感じるようになったからだ。

「まさか、俺は、そのことを20代の頃から分かっていたということなのか?」

 と思った。

 20代の自分に予知能力があるのか、それとも、その予知能力というものが、30代になると、自分で分かってくるということを、予感していたということなのか、そのあたりを感じているのだった。

 30代になったら、

「結婚を考えるだろう」

 と思っていたのだったが、まったくそんな気持ちにはならなかった。

 結婚したいと思うような女が現れるわけでもないし、身体の性欲の問題であれば、

「風俗で十分だ」

 と感じていたからだ。

 その頃になると、風俗も2か月に一度、長い時は、半年も行かないこともあったくらいだ。

 それは、20代から30代になって、自分が、

「30代になったんだ」

 とハッキリわかることだった。

 というのも、30代になってから、時間が経つのがあっという間だと思うようになると、2カ月に一度が、まるで1か月に一度というくらいの気持ちになるのだった。

 それが、

「先に精神的なものが年を取り、その後で肉体がついてきた」

 と感じた証拠だったのだ。

 本当なら逆なのかも知れない。

「前は平気でできていたことができなくなった。年を取ってきたからかな?」

 と感じるというのを、よく聞いたものだった。

 そういう意味で、

「先に肉体、そして、精神的に自覚してくる」

 というものだろうと思っていたが、逆だった。

 これが、性欲に対してのことだけなのか、それともそれ以外の体力的なこともすべてなのか、そこまでは自分でもよく分からなかった。

 だからなのかも知れないが、

「風俗に前のように1か月に一度の割合で言っていると、今度は、身体の感覚がマヒしてきて、せっかくの楽しみが半減してしまうかも知れない」

 と感じるのだった。

 確かに風俗というものを、上から見ると、他の肉体的なことと同じでなければ辻褄が合わないと感じ、

「性欲だけではない、身体全体に言えることだ」

 と感じるかも知れないが、自分が風俗を上から見ているという気はしない。

 というのは、上から見ているというのは、

「風俗というのは、恥ずかしいものだ」

 ということで、

「本当は行ってみたいが、まわりの目を気にしてしまって、いけなくなるというような感覚に陥るのではないか?」

 という目で見る、普通の人の感覚なのかも知れない。

 しかし、実際に、自分から風俗というものに飛び込み、その楽しさや、今まで知らなかった世界を知るという喜びを考えると、

「絶対に上から見ているというようなことはない。少なくとも、風俗という海の中に飛び込んでいる」

 という感覚だということに気づいていたのだ。

 そういう意味で考えると、

「やはり30代に変わったと思うのは、性欲に関してのことだけではないだろうか?」

 と感じたのだ。

 そもそも、

「性欲が出てくれば、風俗に行く方がいい」

 と思うようになったのは、20代後半に入った頃だっただろうか? 会社で好きになった女性がいたことから始まった。

 その子は、どこか、マサムネのことを意識しているように感じられた。元々、女の態度に疎かったマサムネが分かるくらいだから、きっとまわりの人もピンと来ていたことだろう。

 本人であるマサムネがピンと来ていなかったというのは、まわりは意外だったようだが、それも、今までのマサムネの特徴だったのだ。

 マサムネが、その子のことを意識し始めると、その子は今度は、他の同僚を意識し始めたかのようだった。

 それが、最初からそうだったのか、マサムネが彼女を意識するようになったから分かったのか、自分ではよく分からなかった。

 しかし、その彼女の様子を、

「あざとい」

 と思えるほど、マサムネは、女性に対して敏いタイプではなかったのだ。

 それが、それまで彼女を持ったことがあまりなかったという証拠だといってもいいかも知れない。

 そんなことを考えていると、

「彼女というものがどういうものなのか、少し分からなくなってきた」

 と思った。

 確かにその女性は、肉体的な魅力は十分だったが、そのあざとさは、

「ひょっとすると、その肉体に魅了されているからなのかも知れない」

 と感じた。

 すると、急にそれまでの気持ちが少しずつ萎えてくるのを感じたからだ。

 それは、自分が、風俗経験が豊富だからだといってもいいだろう。

 肉体にあざとさが感じられると、

「意外と普通の恋愛の方が、計算高くて、どうにも嫌な感じがするな」

 と思った。

 確かに風俗というと、

「お金での繋がり」

 と感じるのだが、身体を重ねている時は、本当に幸せな気持ちになれるのだった。

 それまでに付き合ったことがある女性で、抱いた女性も数人いるが、今から思えば、どこかに打算的なところがあり、別れたからといって、ちょっとした寂しさはあったが、それは、

「今までそばにいた人がいないだけだ」

 というだけのことであり、ショックを受けるような別れ方ではなかったのだ。

 それを思うと、

「何かアッサリした関係でしかなかったのだろうか?」

 と、感じるのだった、

 それにくらべて、風俗の女性との逢瀬は、正直夢のようだった。

 確かにお金がかかっているというのもあるのだが、こちらが望むことを言ってくれたり、してくれる。自分が望んでいること、つまり、

「痒いところに手が届く」

 ということだ。

 痒いところに手が届くというほど、ありがたいことはない。それが自分の手ではなく、他の人、特に女性だったら最高ではないか? そう思えば、お金が何だというのだ。

 例えば、毎日が忙しい人がいて、

「その人は一分一秒でも無駄にしたくない」

 と考えていたとしよう。

 その時、

「タクシーを使えば、3000円かかるが、電車を使えば、一時間遅くなる」

 と考えたとしよう。

 普通だったら、

「3000円もかかるのなら、一時間くらいかかってもいい」

 と思うだろう。

 だが、その人は、一分一秒がもったいないのだ。

「お金を払ってでも、時間を買いたい」

 と思っているとするならば、

「3000円くらいもったいなくもない」

 と思うだろう。

 それは、その後の時間にも影響してくるからだ。

 その時の一時間だけではなく、その後のスケジュールをすべて、1時間前倒しにできるのだから、それを考えれば、

「1万円だって惜しくない」

 と思うかも知れない。

「時は金なり」

 というが、まさにその通り、

「お金と時のどっちがその人にとって大切なのか?」

 ということだ。

 それを考えれば、ソープも同じではないか?

 時間の代わりに、ストレスや、精神的な癒しを求めるという意味で、お金を払うことの何が問題だというのだ?

 いや、このことを問題だと思っていること自体が問題なのではないか?

 というのも、どうしても、風俗というと、まわりに大きな声で、

「俺は風俗に通っている」

 とは言いにくい。

 なぜなのかと考えればいろいろ理由はあるだろうが、一番考えられるのは、

「彼女でも作ればいいのに、彼女も作れないから、寂しく風俗に行くしかないんだ。可哀そうなやつだ」

 と、まわりから思われるのが嫌だという考えだ。

 しかし、マサムネにそれはない。

「彼女が変にいて、その人だけに束縛されることを思えば、風俗で気になった女の子を選んでいる方が、いいじゃないか?」

 と思うのだ。

 それは、どこか心の中で、

「相手を一人に絞ってしまうと、身体に飽きてきた時、どうすればいいのか、想像がつかない」

 と思っているからだった。

「なるほど、彼女を作るというのは、肉体関係だけではないということであれば、確かに、彼女がいれば、風俗に通う必要などない」

 といえるだろう。

 しかし、身体に飽きてくると、どうしても、刺激を求めて、

「誰か他の女の子を」

 と思ってしまう。

 その時、別の彼女ということになると、それは浮気ということになる。考え方はいろいろだが、

「相手が風俗であれば、浮気ではない」

 と思う人もいるだろうし、

「私という者がありながら、わざわざお金を払ってまで、風俗に行くというのが許せない」

 として、オンナとしてのプライドが許さないと考える女性もいるだろう。

 結婚していても、風俗遊びがやめられない人もいる。

 逆に女性の中にも、ホストクラブに嵌ってしまい、ホストの口車に乗って、湯水のように金を使い、結局、借金まみれになって、

「自分が風俗で働いて、ホストに貢ぐ」

 という人もいたりするという話を聞いたことがあった。

 どこまでが、本当なのか分からないが、話としては信憑性があるというものだ。

 確かに、世の中にはいろいろな人がいる、相手に拘束されたり、拘束することに快感を覚える人もいれば、

「俺は自由を楽しめればそれでいい」

 と思っている人もいる。

 だから、

「俺は彼女なんて、煩わしいものはいらないから、お金を出してでも、快感を得ることができるのであれば、それでいい」

 と感じている人だって、結構たくさんいるかも知れない。

 人に束縛されることを嫌う人がたくさんいる。それは、相手が異性であっても同じだ。

 いや、相手が異性だからこそ、束縛に余計に神経質になるのかも知れない。

 そもそも、異性というものをどのように考えているのかというと、

「精神的なものと、肉体的なものを、切り離して考えたいと思っているけど、それがなかなかできない相手」

 といってもいいのではないだろうか?

 相手もきっと似たようなことを思っているだろう。時に、彼氏彼女だと思うと、相手との距離が友達よりも近く、夫婦よりも少しある関係だと思っていることだろう。

 特に、年齢的に、結婚適齢期と、かつて言われていた年齢ともなると、結婚を一度は真剣に考えてみるものであろう。

 ただ、最近は、結婚する人もあまりおらず、そのくせ、離婚は非常に多い。

 まるで、

「結婚する人よりも離婚する人の方が多い」

 と考えるようになると、

「結婚もしていないのに、離婚なんてありえるんだろうか?」

 と、不思議な感覚に陥ってしまうような気がしてくる。

 特に、結婚を考えた時、昔はドラマなどでの憧れから、結婚式の様子が出てくると、

「ああ、結婚に憧れる」

 と女性は感じたものだったが、最近のドラマなどでは、年齢を重ねても、結婚できない人や、結婚しない人の話題が結構あり、それを葛藤として描いているようには見えるが、実際には、視聴者に対して、

「結婚しないで一人でいるのって、本当に寂しい」

 という気持ちにさせるわけではなかった。

 どちらかというと、

「こんな煩わしい感情や態度を取らないと、結婚できないなんて、面倒臭いだけだ」

 と思わせるだけではないか?

 ドラマなのだから、いろいろ紆余曲折があって当たり前なのだが、そのたびに傷ついたり、無性に寂しい思いをするのだが、最期にはハッピーエンドになったとしても、印象に残るのは、その途中の煩わしさである。

 昔であれば、ハッピーエンドになることは分かっているので、

「どんなストーリー展開になるのか、それが楽しみだ」

 と思って見ていることだろう。

 だが、昔の、トレンディドラマなどと言われていた時代は、ある程度想像がつくような気がするが、最近のドラマでは、予測不可能なものも結構あったりする。

 トレンディドラマは、有料放送などで、見ることができるので、一時期嵌って見ていたが、

「トレンディドラマが流行った時期というのは、僕にとって、まだ思春期になる前だったので、見たとしても、よく分からなかっただろうな」

 と思えるのだった。

 だが、知識としては後から得たものとして、今のドラマとの違いは、一番は、

「時代の違い」

 といってもいいだろう。

 そしてもう一つは、当時のドラマは、有名脚本家が、オリジナルで書いていたものが多いが、最近のドラマは、原作がマンガで、それを脚本家がドラマにするというものが多いのだ。

 それに、最近のドラマは、恋愛ものというよりも、何かのコンセプトに沿ったドラマが多いというか、

「グルメドラマ」

 だったり、

「旅などを中心にしたものをドラマにしたり」

 と、どちらかというと、

「一話完結系」

 が多いのではないだろうか?

 昔の一話完結というと、刑事ドラマや、ミステリー系の小説ばかりで、今も探偵ものなのが結構放送されているが、同じ探偵でも、

「本職は他に持っていて、探偵は趣味のようなもの」

 という人もあれば、

「探偵だけでは食えないので、他の仕事をしながら探偵もしている」

 というような、

「変わり種」

 と言われるような人が、今は、探偵ドラマでは主流となってきている。

 そもそも、今から思えば、

「ルポライターが本職で、探偵が趣味だ」

 といっている、兄が警察庁の、

「あの探偵」

 くらいから始まったのではないだろうか?

 今では、

「○○探偵」

 などというのは当たり前になっていて、家政婦が探偵のまねごとをしたり、子供の恰好になっているが、実は高校生だという探偵や、本来であれば、架空の小説の主人公である探偵の孫だというのもある。

 ちなみに、この探偵は、小説では、最期まで独身だったので、孫どころか、子供もいないはずなのに、どういうことなのだろう?

 そんな脱線もしたくなるというものだ。

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