第4話 風俗のパターン

 パチスロ業界は、実際に、四面楚歌といってもいいかも知れない。

 まずは、機種への規制がいろいろ掛かっているということだ。

 以前であれば、大当たりが続けば無制限でいくらでも出てきたものだったが、今はスロットなどは、最高でも2400枚までしか出ないというような機種しか出してはいけないようになった。

 ただし、リプレイであったり、ベルなどが頻発することで、

「コイン持ちがいい」

 という台は増えてきた。

 つまり、

「安い値段で、少しでも遊べるようにはするが、ギャンブル性の高いことはできない」

 ということである。

 どうしても、

「ギャンブル依存症」

 の人が多いので、それも仕方がないことなのかも知れない。

 その工夫の一環として、店内にあるATMなどでお金をおろそうとすると、上限金額が決まっていて、さらに、下ろす回数も決まっている。したがって、近くのコンビニまで走らないといけないなどということが起こるのだ。

 これも、

「ギャンブル依存症」

 をなくすということが目的なのだろう。

 まずは、

「パチスロで、人生をメチャクチャにしないことが大切だ」

 ということであろう。

 そのおかげで、ある意味客足があ遠のいてしまっているのも事実だった。

「今の機種は面白くないからな」

 ということで、パチスロ離れが顕著になってきた。

 さらに、次に問題なのは、

「受動喫煙防止法」

 というものである。

 基本的には、

「自分の家などの自分のプライベートな場所以外の室内では、タバコが吸えなくなる」

 ということである。

 会社の事務所。さらには、一般企業では、完全なる分煙にしても、いけないということのようだ。

 もっとも、会社の方でも、そんなに広くない事務所において、ただでさえ狭いのに、完全分煙の、喫煙ルームを作るなどという非効率的なことを考えるところなどないだろう。

 それなら、

「国がそういう方針なのだから、これからは、本当にどこでも吸ってはいけなくなる流れになっているのに、いまさら喫煙ルームを作るというのは、時代に逆行しているのと同じだ」

 ということになるのだった。

 法律が施行されてから、喫茶店でもほとんど禁煙。飲食店ともなると、まず禁煙であろう。

 全国チェーンのカフェなどは、元々喫煙室を設けていたとこなどあるだろうから、そのままでいいのだろうが、食堂などは、昔から、ランチタイムやディナータイムは禁煙というところが多かったので、さほど気にはなっていないかも知れない。

 しかし、居酒屋など、喫煙ルームなど関係なく、

「酒を呑むところは、タバコも吸える」

 ということになっているところは、どこも、いまさら喫煙ルームを作るようなことができるはずもないので、禁煙としてやるしかない。そういう意味では客離れも甚だしいことだろう。

 もっとも、表に出て、道でタバコを吸っている連中がいるので、法律ができても、あまり意味はないのだ。

「気が付けば道路が、灰皿のようになっている」

 というところは結構あり、パチンコ屋や、居酒屋の近くなどでは、ほとんどがそうであった。

 ただ、コンビニなど、以前から表に灰皿を置いてあるところはそのままで、タバコの臭いが、空気に混ざって歩行者に寄ってくるのは、本当はたまったものではない。今のように、タバコの臭いをほとんど感じることがなくなると、ちょっとした匂いでも目立つのだ。本当に嫌なものである。

 そしてパチンコ屋にとどめを刺したのは、

「数年前から全世界で猛威をふるった、パンデミック」

 である。

 タイミング的に、一番最初の波が来た時と、受動喫煙が一緒にきたので、受動喫煙防止が目立たなかったが、この時、一か月くらい、パチンコ屋に限らず、商店のほとんどが、国からの要請で、休業することになった。

 開いているのは、薬局であったり、スーパー、コンビニなどくらいしかなかった。

 正直、中心の地下街からも、動いている鉄道、バスから人が消え、朝の通勤ラッシュでも、一車両に、10人も乗っていればいいという程度だった。

 会社も学校も、保育園も休みになり、会社では、

「リモートワーク」

 なる言葉が流行った。

 リモートワークができない会社などが通勤をしているのだ。当然、ラッシュ時間でも、街自体がゴーストタウンになっているのだから、当然のことだろう。

 そんな毎日において、国から補助金が出るというが、パチンコ屋などでは、一日の収益が1000万円はないと、損益で、赤字になるというところもあったりする。それなのに、一日5万円とかいう微々たる金で、やっていけるわけもなく、何もせずに潰れるのを待っているだけにはいかないということで、開業している店もあった。

 そのためか、その時に、開業に対して、賛否両論バラバラで、極端な意見が出たりしていた。

 特に、

「自粛警察」

 なる連中がいい例で、

「他の店は皆閉まっているのに開けているなんて」

 と、まるで、戦時中の、非国民扱いのものだった。

 かと思えば、開いている店があると聞くと、開店前から、普段はほとんどいないパチンコ屋でも、長蛇の列ができているくらいだった。

 他府県から来たという人も結構いて、さらに、

「車で、10時間かけてやってきた」

 などという猛者もいた。

 そもそも、県をまたぐ移動は自粛だったはず。というよりも、表に出ることも、ほとんど厳禁に近かった。何しろ、

「通勤してはいけない」

 という時代だったからだ。

 そんな時代、実はパチンコ業界から、クラスターなど出したわけでもなく、むしろ、閉店率が、限りなく100%に近かったのがパチンコ屋だったのに、なぜかパチンコ屋だけが叩かれたのだ。

 きっと、ギャンブルということで叩かれたのだろうが、基本的にパチンコは、ギャンブルではない、あくまでも娯楽の一種であり、括りとしては、ゲームセンターと同じなのだ。

「三店方式」

 という大阪府警が考え出したやり方で、

「ギャンブルではない」

 ということになっているだけだ。

 もっとも、そういう考え方が昔からあることに不満を抱いていた連中が、パチンコ屋というものを、本当は必要悪にすぎないものを、煽ることで、

「絶対悪」

 ということにしたて挙げられてしまったのだ。

 あの頃は、

「どこか一つを生贄にして、不満を他にそらすというようなやり方をしなければいけない」

 ということだったのかも知れない。

 それを聞いて、

「西郷隆盛の征韓論」

 を思い出す人も少なくないだろう。

 そんな感じで、自分の正論をSNSなどでぶちまけて、いかにも、

「パチンコ屋だけが悪い」

 などという風潮を流したことが、いわゆる、

「自粛警察」

 と呼ばれる連中が、ネットの世界で蔓延るようになってきた。

「警察」

 などという名前がついてはいるが、要するに、

「ネットで一つを攻撃することで、自分のストレスを発散させよう」

 という、

「自分一人では何もできないくせに、言いたいことをほざく」

 という連中である。

 完全に、信憑性のないデマを流すというのは、昔から天災などの時にはよくあることで、関東大震災の時なども、

「朝鮮人がやったことだ」

 という、何の脈絡の根拠もないことで、罪もない朝鮮人が虐殺されたという。

 そういうことを歴史でちゃんと勉強していれば、自粛警察の口車に乗ることはないはずである。

 ただ、自粛警察が悪かったのも、パチンコ屋が攻撃されたことが、気の毒だというのも事実であるが、そこばかりに注目が集まるのも問題なのだ。

 そもそも、問題はそこにあるのだろうか?

 開いているからといって、ネットで調べたりして、開いている店に、

「してはいけない」

 と言われている、県またぎの移動をして、それで開店前から並んだ客が、近所に迷惑を掛けたり、もっといえば、

「そんな連中を追いかけて、近所の人に取材をしたりするマスゴミが、そんな連中を煽ったのではないだろうか?」

 そして、自治体が、パチンコ屋の名前を公示しようとしても、

「ここで開示してしまうと、世間に、あそこのパチンコ屋はやっていると宣伝してしまうことになり、また客やマスコミを煽ることにならないか?」

 ということで、開示を控えたりするという事態に陥ったのだ。

 そのうちに、自粛も解除され、何事もなかったかのように世間は動きだす。

 自粛警察も、パチンコ屋が攻撃されたことも、県をまたいで開いてるパチンコ屋にどんどん人が押し寄せたことも、終わってみれば、もう過去の話。誰も、その時のことを検証したりはしないのだ。

 本当であれば、

「あの時どうしてこのようなことになったのか?」

 というのを、宣言を出した自治体や国が検証しないと、また同じような事態になった時、今度は他の業種が攻撃されるかも知れない。

「あれは社会現象というだけではなく、半分は犯罪だったんだ」

 という意識が、誰にもないのだろう。

 それを思うと、

「自粛警察というのが何だったのか?」

 ということが分からず。

「パンデミック」

 であったり、

「クラスター」

 などと言った、その時のただの流行語として、完全に過去のこととして忘れ去られてしまうのではないかと思えるのだ。

「本当に忘れ去られていいのだろうか?」

 少なくとも、パチンコ屋にハイエナのごとく押し寄せた、

「ギャンブル依存症」

 の人間がいるわけだし、それだけではなく、

「それを、仕事という免罪符で煽った」

 という意味での犯罪として、マスゴミは、

「糾弾されるべきではないのだろうか?」

 といえるのではないか?

 そんなことを考えていると、

「受動喫煙防止法」

 と、

「世界的なパンデミック」

 は、実に強烈にパチンコ屋を追い詰めたことになる。

 それでも、昔のパチンコ業界も、右往左往して、いろいろな策を考えていた。「1パチ」、「五スロ」などという発想も、そこから来たのだろう。

 風俗業界もそうかも知れない。価格帯から来たのか、それともサービス内容によって、店の落差を示したのかなのである。

 それだけ、

「客のニーズが多様化した」

 ということもあるだろう、

 そもそも、風俗の歴史は古く、遊郭から始まったといってもいい。元々は幕府の許可を得てやっていたのだろう。江戸時代などは、もぐりで商売などできない時代だったのではないだろうか?

 それが、次第に、遊郭も形を変えていき、時代によっては、

「食いぶちのために、身売り先としての遊郭だった時代もあった。

 戦後になると、

「高級なお風呂」

 という意味での、

「トルコ石などを使った」

 ということで、

「トルコ風呂」

 が出現した。

 トルコ風呂のサービスは、元々、垢すりなどの蒸し風呂だったという。それが、赤線青線の廃止という、

「売春防止法」

 が制定されたことで、青線赤線の失業した女性たちを救済するという意味で、トルコ風呂と、性風俗が一緒になったのが、元々だったのだ。そしてそのうちに、川崎の嬢が、身体に泡を縫って相手の身体と密着させるというサービスを編み出した。それにより、

「トルコ風呂」

 の時代がやってきたのだった。

 しかし、それも、そんなに長くはなかった。昭和の終わり頃になって、あるトルコ人の留学生が、

「自国の名前を模した性風俗店がある」

 ということで訴えると、社会問題になった。

 それで、

「トルコ風呂」

 という名前を使わないということで結審し、今の、ソープランド、いわゆる、

「特殊浴場」

 と呼ばれるものが出現したのだ。

 そして、

「特殊浴場」

 という言葉を使うことで、サウナ風呂のようなものという法律的な位置づけになった。だから、昔のソープには。浴室の中に、

「個室サウナ」

 のようなものが設置されていたのだ。

 それがなければ、営業できないということである。

 今は、そういうものが亡くなったが、どうしても、時代にはいろいろな流れがあるので、ソープランドができてから、40年近くになるが、その間には、いろいろなことがあっただろう。

 最初は、皆高級店だった。

「ソープ嬢は、マットができて当たり前」

 という時代があったが、そのうちに、価格体験の多様化で、格安店、大衆店では、必ずしも、マットの技術を必要としないようになった。

 それところか、

「素人っぽさがある方が新鮮でいい」

 という客もいて、

「店に入店前は未経験」

 という子が、結構人気があったりするものだ。

 確かに、プロの技を楽しみに行くというのも、男の醍醐味なのかも知れないが、普段は味わえないような、恋人気分、イチャイチャする気分を味わいたいという客もいる。

 要するに、

「本当に素人の女の子とでは、会話もできないし、普通につき合う自信がない」

 という男が増えてきたということだろう。

 つまり、高級店というのは、昔からある、

「マットなどの技を中心にした、徹底的なサービスを駆使したお店」

 ということであり、激安店は、本当に、短い時間で、ことが淡々と行われるので、

「会話などしている暇はない」

 というような、そう、ちょうど、会社に行く前などに、ちょっとストレス発散で出向くという目的などで行く人もいるので、

「早朝サービス」

 などという、開業時間ギリギリの午前6時開店というお店が結構あったりする。

 そういうお店は、ただでさえ安いのに、早朝料金にすることで、早朝の固定客を狙っているのだろう。値段としては破格で、本番なしのヘルス並みのところもあるくらいだった、

 では、

「大衆店というのは、どういうものなのか?」

 ということになるのだが、こちらが、ここ20年くらいで出てきたといってもいいのだろうが、ざっくりいうと、

「激安店と、高級店の間」

 ということになる。

「そんなの分かり切っていることだ」

 ときっというかも知れないが、

「では具体的にはどういうことなんだ?」

 と聞かれて、どこまでこたえられるだろう?

 大衆店というのは、

「高級店ほどの値段は取れないので、マットなどのサービスを受けることはできない。しかし、その分、お店ごとにいろいろなコンセプトを設けているのだ。例えば、コスプレ専門店、素人専門店、などといった専門店というコンセプトや、お部屋自体をイメージプレイができるように改装し、学校の雰囲気や、ナース、会社の事務所風にアレンジした店もあったりする。いわゆる、イメクラと呼ばれるようなお店だといってもいいだろう」

 というものだった。

 つまりは、

「それだけたくさんのお店が乱立しているわけだから、何かの特徴がないと、客が固定しないだろう。そういう意味での専門店としての立ち位置と、イメージプレイで、それをさらに具現化するというのが、目的である」

 といえる。

 そして、客側からすれば、

「高級店だったら、年に2度のボーナスの後くらいしかいけなかったものが、2か月に一度、あるいは、少し頑張れば、毎月でも行くことができる」

 と思うのだ。

 そこで、自分のお気に入りの女の子ができて、毎回指名していると、気分は恋人気分にもなれるだろう。

 中には、

「普通の恋愛など自分にはできない」

 と思っている人にとってはありがたい。

 毎月でも遭えるというのは、風俗だと分かっていても、嬉しいと思う。それを、

「癒しだ」

 と思うことで、毎日の活力になるというものだ。

 ただ、中には、風俗ということを忘れて、

「マジ恋」

 をしてしまう人もいるだろう。

 本当に好かれていると勘違いする人、もっともっと会いたくて、借金をしてでも通う人とさまざまであろう。

 ただ、こういう色恋ということになると、ひょっとすると、

「キャバクラ」

 のような、業種の方が強いのではないだろうか?

 マサムネは、あまり酒が飲めないこともあって、キャバクラに行ったことがないので、ドラマやVシネマでくらいしか知らない。

 さらに、マサムネがキャバクラに行かないのは、昔のピンサロを思い出させるからだ。

 あれはまだ若い頃、結構減ってきてはいたが、いわゆる、

「ポッキリ」

 に誘い込まれたことがあった。

 暗いカーテンで仕切られただけの部屋に連れ込まれ、そこで、バニーの恰好をした女の子、いや、おばさんといってもいいような女性が登場。たぶん、30代だろうが、当時まで二十歳そこそこだったマサムネにとっては、十分におばさんに見えたのだ、

 ビールを一本だけ持ってきて、

「私も飲む」

 といって、乾杯すれば、それで一本が終わってしまう。

 そこで女は、

「おかわりは?」

 というので、言われるままに頼み、元々ムラムラしていたから誘われて入ってしまった店なので、女の子に触ろうとすると、条件によって、追加料金を言い出した。

「話が違う」

 と思ったので、

「もう、帰る」

 といって、会計をすると、まだ店に入って、15分くらいしか経っていないのに、

「25000円になります」

 というではないか。

 さすがにここでごねると、裏から怖いお兄さんたちが出てきて、

「フクロにされる」

 ということが分かっているので、逆らうことはできない。

 結局払うしかなかったが、それから、

「お酒を呑むお店で、性風俗を伴うようなお店は、ぼったくりが、あるいは、色仕掛けで金をむしり取られるかのどちらかだ」

 という先入観を持ったのだ。

 だとすれば、値段は高いが、時間と値段が決まっていて、疑似とはいえ、イチャイチャできて、恋人気分になれるソープの方が、よほど健全で、計画的に遊べると言えるのではないだろうか?

 昔の、ピンサロや、キャバクラに比べて、性風俗が濃いということで、敬遠する人もいるかも知れないが、よほど健全である。

 そういう意味で、昔、同じように、ピンサロなどに騙された経験のある人間にとって、ソープランドという業界は、実にありがたい。

 しかも、自分の好みに合わせて遊ぶことができる。コンセプトを持ったそれぞれの店があるということは、実にありがたかったのだ。

 ちまたでは、

「コンセプトカフェ」

 というものもブームである。

 メイドカフェであったり、本当に、店をそのように改装しているカフェである。

 ちなみに、ソープはあまりにも改装してしまうと、

「新規参入」

 と見られたりするので、そんな印象がないように、ちょっとした小道具や、衣装で雰囲気を出したりしているのだ。

 コンセプトカフェも実は嫌いではない。メイドカフェには何度か行ったが、すぐに飽きてしまった。

 それよりも、一時期、いろいろなコンセプトのお店に行って、実際に抱いていたイメージとかなり違った感覚になったことを新鮮に感じたこともあった。

 意外と共通していたのが、どこの店舗も、

「芸術的なことに、造詣が深い」

 ということであった。

 特に絵画などが趣味の客も多く、店のスタッフにも、絵を描くことを趣味にしているという人も多かったりする。

 そういう意味で、

「芸術での繋がりが深い」

 というのも、意外と知られてはいないが、マサムネには嬉しいことだった。

 そのおかげで、マサムネも、少し絵を描いてみることにした。そして実際に描いてみると、そんなに難しいわけでもなく、意外と馴染みやすかったし、何と言っても、自分としては、

「上手に描けている」

 と感じたものだ。

 鉛筆デッサンなので、スケッチブックと、鉛筆と消しゴムさえあれば、いつでもどこでもできるというものだった。

「安上りで簡単にできる趣味を与えてくれたコンセプトカフェは、仕事の疲れを精神的に癒してくれる場所」

 ということになったのだ。

 そして、ソープランドは、疲れを癒してもらうというよりも、自分から癒しを求めていくとことであり、恋人に会いに行っているような感覚にしてくれるところであった。

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