太陽の子
大きな地震のあったあの日、大人たちは皆動揺しているのだと、幼かった私は思いました。私は、もちろん、感じたこともない大きな揺れと、街のそこらが火に飲み込まれ、見知った世界が牙を剥いて襲いかかって来るのを感じ、それはそれは怖いと感じましたが、怖さを表出するのが苦手な子供でありました。怖いからこそ、普段通りを装わねば、恐怖に心が飲み込まれてしまうのではないかと感じました。だから、そんな事も考えず、怖さを表出できる大人達や、泣き喚く他所の子供達も、私の目には、私よりも強い者たちという風に映ったのでした。心が恐怖に飲み込まれる事を我慢できる人達なのだと感じました。しかし、それはそれで、とてもつらいことなのではないかしら、と幼い私は考えました。強くても、怖いものは怖いのですから。私は仕事に出掛けていたために今何処でどうしているか安否もわからぬ父のことを思い緊迫した顔をした母の隣で、何時もの顔をして、庭の秋桜が燃えずに生きていた、とってもきれいだわ、お母様も見て、と言いました。
父が無事帰ってきた時、母は言いました。怖いもの知らずの桐子が居てくれたので、少し心が楽でした、と。父はそれを聞き、お前は我が家の太陽だと私を抱きしめて言うのでした。いつでも、毎日必ず、照らしてくれる。そんな太陽そのものだと。私は嬉しくなりました。恐怖に飲まれたく無かっただけの弱い私が、役立ったのです。太陽になろうと思いました。太陽は、気分で出たり出なかったりはしないのです。いつも同じ形で、昇ってくるのです。幼い私は新月というものをよく理解してはおりませんでしたから、月とは本当に気分屋で、太陽はそんな事をしないのだな、などと考えておりました。そして、太陽になれば、私は喜ばれるという事を学んだのです。
「君は何時も落ち着いて、おれの話をよく聞いてくれるんだな」
言われ慣れた言葉でした。そうするように努めてきたので、当然のことでした。何度そうして他人の話を聞いてきたか、最早わかりません。私はただ黙って聞くだけでした。話して欲しいと言わずとも、人は私に思いを打ち明けて、ひとりでに解決して帰ってゆくのです。太陽は、そこに居るのが大事なのであって、動いてはならないのです。動けば、焼いてしまうかもしれないのです。
「君は、傀儡の様じゃないか」
誰かが言いました。そんな事は無いのです。これは私の意志なのです。たとえ傀儡だったとしても、そうなる事を決めたのは、私なのです。良いではありませんか。人の心がないと言われる者は、いっそ傀儡となれば良いのです。人の心がないので、何をさせられようと、なんの苦痛も無いのです。傀儡である事を不幸せと呼ぶのは、唯の一般論。そう、そもそも、私は皆から幸せ者と呼ばれる身の上なのですから、何を間違えていると言うのでしょうか。
そういえば、地震のあと、物資が不足し社会は混乱に陥っておりましたので、暫くお八つはありませんでした。
しかし、それでも、我が家は運良く殆ど壊れる事もありませんでしたし、元々お金にも余裕がありましたので、取り敢えずの暮らしを維持する事には何の困難もありませんでした。やはり、私は幸せ者なのでした。住処が全壊、資産になる物が燃えたり、家族、特に両親を亡くした子供なども山といらっしゃいましたので、私は本当に恵まれていたのです。
けれども、お八つの無い暮らしというのは、子供には堪えるものでした。私は、珍しく、その時は駄々をこねたのです。キャラメルが、キャラメルが欲しいとねだりました。お母様は、見たことも無いような形相で、もっと辛い人が山ほどいるのに我儘を言ってはなりません、と私を叱りました。本当に、その通りだと思いました。幼い私は、それはもう、深く深く自らの行いを恥じました。
恵まれている、幸せな私を意識するようになったのは、その頃だったかも知れません。
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