歌鳥と桐の枝
歌が苦手でした。歌だけではありません。映画も、小説も、詩も、絵も、そうした所謂芸術と呼ばれるものが苦手でした。そのもの、というよりも、それらに興じる人々を見るのが苦手でした。昔、幼い頃、レストランでアイスクリームをお八つに頂きました。まだ珍しかったそれは、特別なお菓子でしたので、その気持ちも相まって大変幸せな気分になりました。子供というのは大袈裟なものですから、たったのそれだけの事でも、極上も極上、けして覆されることのない楽園にいるかのような気分になったのです。その後、劇場へ連れて行かれ、西洋の音楽に乗せたお芝居を観ました。子供の私は座高が足りず、大人達の座る後ろ姿に阻まれ、ろくに舞台は見えず、外国語の歌の意味もわからず、何も物語を理解出来ませんでしたが、聞こえる音楽のなんと悲痛なこと。きっと悲劇なのでしょうと確信しました。アイスクリームは私の身に起こった本当の幸せで、それもこれまで感じたことも無いような大きな大きな幸せだったというのに、音楽ひとつでその気分が覆されたのです。私の身には、何一つ、悲劇は起こっていないというのに。心というのは、騙されやすく、信用ならない物なのだと思いました。それなのに、人々は、この作品に共感しただの、救われただのと、芸術を信仰しているのです。不安定極まりない不可解な感情というものでこの世がどれだけ構成されているかの実感をそうして得る度、恐ろしくぞっとするのですが、大抵このような事を申し上げると、そんな事が言えるのは人の心が無いからだと言われるのです。その通りですから、私は何も言い返しはしないのですが、どうも、私はこの世から拒まれているのだという気がしてなりませんでした。
その日我が家にいらっしゃって、私が適当にお出ししたお茶を啜り、想い人を待っていらっしゃるのは、女学校時代の御同輩、今は有名な歌手でいらっしゃるお方でした。新しく公彦さんが選んだのが、まさか偶然彼女だとは、本当にこの街は狭いものだと感じました。
どういうわけか、惚気話を聞かされておりました。公彦さんが如何に自分を愛でるのか、と。何をしても、彼は認めてくれるのだと彼女は言いました。
「どうしてそんなに優しいのかしらと聞いたらね、あの人は言うのよ。私が可愛いからなんですって。どんなに、どんなに我儘を言っても、それが可愛いから良いんですって」
成る程、我儘すらも可愛げを帯びていたならば、最早何でも許せると。鉄壁の守りではありませんか。
「だからね、私は声高に、前よりずっと堂々と歌えるわ」
そんな事より、公彦さんはまだ帰っていらっしゃらないのかしらと、私はそればかりを考えておりました。私の客ではなく、彼女はあなたの客だというのに、あなたときたら、何処に行ってしまったのか、お陰で代わりに私が彼女のもてなしをする事になってしまったのですから。
あぁ、この人の白いお洋服がいけないのだわ。これが、私を焦らせるのだわ。ふと、合点がいきました。昔、そう、あのアイスクリームと観劇の晩、私は仕立てられたばかりの白いお洋服を着て出かけたのです。鏡に写った私は、我ながら、綺麗に可愛らしくそれを着る事が出来ているのでは無いかしら、と思いました。そして、私は屋敷の大人達に聞いてまわったのです。ねえ、可愛いでしょう?
大人達は、これから行くところに似つかわしいね、と言うのでした。
そう、だから、私は可愛らしくある事を求められてはいないのです。この歌好きな彼女はそれを求められているけれども、私はそうでは無いのです。私は、その場に相応しい在り方を求められている、それだけなのです。簡単な事ではありました。その通りに居るのは、大して骨の折れる事ではありません。何の文句もないのです。
相応しさというのは、理屈で成り立つものですから、私の思いなどはどうだって良い、寧ろ、邪魔な物なのです。
可愛くある事を肯定された彼女は、思いを曝け出す事を良しとされるのでしょう。素直が良し、可愛らしい、とも良く耳にします。では、それを求められぬ者は、一体、いつ、どこで曝け出せば良いのでしょう。
しかし、どうでも良い事でした。考えてみたら、私には、曝け出さずにはいられない強い思いなど、無いのですから。そのような機会が与えられたところで、無駄というもの。そう、そもそも、アイスクリームの幸せとそれを掻き消した悲劇の様に、心などというのは、気の所為が大部分を占めるのですから。
そうして、次の瞬間には忘れているのです。
先程まであれほど惚気話を私に浴びせた彼女は、いざ公彦さんがいらっしゃると、彼と揉めていらっしゃいました。私は別の部屋に下がっているのですが、彼女のよく通る声は簡単に聞き取る事が出来ました。公彦さんの言っていることはあまり聞き取れませんでしたが、歌手のお嬢さんは、あなただって私の事をわかってくれやしない、と言うのでした。
誰かと誰かがぶつかり合うのを目にする度、私は思いました。大抵、相手に求めるものが得られぬから、そうした衝突は起こるのですが、一体どうして、他人に何かを求める事が出来るのでしょうか。私は、他人にして欲しい事など、本当に、何一つ思い付かないのです。どうでも良いのです。なんの不自由も無いのです。
ただ、私は彼女と私との間に隠れた共通点を見出す事も出来ました。彼女は、恐らく、可愛らしくある事を、求められていたのです。そうでは無い彼女は恐らく除け者とされたのでしょう。想像に過ぎませんが、そうだとすれば、あの様に、縋る様に己の可愛らしさを発散させようとするのも、自然な事なのでしょう。私は、恐らく、その逆で、でも、本質は同じなのかも知れません。
あぁ、それならば、桐の名など私に付けなければよかったでしょうに。
自由にせよ、というのは、本当の事だったのでしょうか。よく思い出してみれば、私はいつ、何を、自由にしたのでしょうか。
結婚もできそうに無い私は、女学校も終盤に入りますと、その後どの様に生きれば良いかを考えました。父や母に提案されたのが、看護の道であり、私は直ぐに、看護学の面白さに目覚め、承諾をしたのです。あら、どうして看護を両親は勧めたのかしら。
看護婦養成所の先生は仰いました。看護婦は清楚でありなさい。従順でありなさい。奉仕の精神を持ちなさい。忠誠の心を持ちなさい。
それは、それは言わば、花嫁修行的でもありました。そう、だから、きっと、両親は私をその道に進ませたのでしょう。
私は何方を求められているのでしょう。娘らしく、可愛らしく居て、何処ぞの殿方に嫁として貰われる事を求められていたのでしょうか。だとしたら、桐の名も、そういう意味だったのでしょう。しかし、それなら、何故私が可愛らしく振る舞うのを、大人は喜ばなかったのでしょう。
鏡を見ました。とても、綺麗とは程遠いのです。仕方の無い事でした。結局は、そういう事なのです。娘らしくある事、それを求められてはいたものの、私は醜い見目をしておりましたから、別の点で、娘らしさを磨く他に無かった。即ち、従順で扱い易く、夫や子に尽くす事のできる女。だから、相応しい在り方を求められた。
でも、考え過ぎなのかも知れません。気の所為なのでしょう。こちらは全て私の妄想、自由にせよとの言葉は、現実にかけられたものなのですから、そちらを信じる方が正しいのです。アイスクリームと観劇の晩、心の思い込み易さに戦慄した事、忘れる筈もありません。
全く、恥ずかしい事に、私は私の醜い顔を恨む事から、事実と異なる妄想を繰り広げたのです。これだから、心など、邪魔になる。
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