13Totally!
ガラリと勢いよく、年季の入った教壇側の教室の戸は開かれた。
すこしくしゃついた臙脂色のブレザーを纏い、
黒髪を荒ぶらせる、
自信満々の黒い瞳がギラリと輝いた。
「黒野ちゃん先生ッ!!! 来ましたよ俺が!」
「ほーほー来たか? お前が? 何しに? 今頃?」
突如押し入ってきた一人の男子生徒の元気が授業中の教室中の注目を集めた。
黒野先生は黒縁メガネのハナかけをかちりと何度かおさえ上げて眉間にしわを寄せ、彼生徒の居る左の方を向き問いただした。
「んーとそいつぁ。アオハル?」
先生の発した良からぬ圧にたじろいだのは一瞬、
顎に手を当て一瞬、
導き出したアオハルという答えを左の手銃にノセてお茶目に撃ち抜いた。
眼鏡のレンズにぴきっと……その予想外のアオハル発言がぶち当たり、
音もなく跳ね返り教室の床に落ちていった。
「馬鹿! しんどけ!」
「え、しんどけ!?」
「そいつぁしんどけええええ! グラウンド10周だああああ! アオハルはしんどけええええ」
1年B組の遅刻魔である充瞳のアオハル発言は余程黒野先生の癇に障ったらしく、怒号で彼に告げられたのはグラウンド10周というとりあえず二桁にノセた罰であった。
「ええええ!? ……ネコは?」
「ぶっいきなりネコに舵を切るナああああ!!! まったく脈絡がないだろ、聞いてなかったのか10周だ10だ10! 授業に堂々遅れてアオハルなどと寝ぼけをぬかした充瞳! お前はアオハルではなく現状サイアクだああああ!」
「そんなに心配しなくとも!」
「馬鹿か! 何をもってグラウンド10周がお前への心配となるッ心配ではなく遅刻しないように心肺を鍛えろおおおおお」
「お、おおおお!? なら8周してきます!」
何を感心したのか軽く何度も頷いた男子生徒は黒野先生へと要領を得ない返事をした。
「なぜそうなる10だ10! 勝手に楽をするな!」
「しんぱいの
「おー、ってなるか弱い弱い! 18周だ、罰としてシンパイ
「うそだろばかああああ」
「誰に向かって馬鹿だお前の先生だぞきゃきゃっといってこおおおおい!」
怒りや色々を込めて先生の赤いチョークでデカデカと書かれた18という数字にざわつく教室。
「まじいいいい」
「粘るナ! 見てるからな!」
「ええ!? 見ないで! ミツルミナイデ!」
「だっまれ!」
「……」
まるで石像のようにその場から動かなくなった充瞳。
すんとした魂のぬけた馬鹿らしい表情を演技した彼に、呆れたような言い回しで先生は冷たく告げた。
「粘んなよ。いつまでモアイ像になろうが18ルートは変わらんぞ」
「特大ネコ畜生おおおおおお」
「誰に畜生だ! たんに……って誰が特大デコ畜生だああああ充瞳いいいい!」
充くんより先生の心肺の方が心配かも……。
生徒との全力のやり取りで汗が黒髪から覗くおデコは、チョークに汚れていない方の手をあて拭われた。
グラウンドに降りたひとりの男子を窓際の生徒たちがちゃんと数えて応援しながら赤い18の数字はひとつづつ減っていく。
授業は進みながらも教室はざわついている。アオい空の下の頑張りにクラス委員長はくすりと忍んで微笑んでいた。
▼
▽
朝の頑張りもあり遅刻は黒野先生の粋な計らいでなんと帳消し。
学校の授業もスベテ無事に終わり、今日は学校での突然のテキシューはなかった。
この日はスベテ完璧学校に行って良かったと思える一日のデキでそれはありがたいんだけどさ。
俺はいくら完璧に一日をやり繰りしてもイチ一介の学生。このところおろそかになってしまっていた学校の授業の方もそこそこには頑張らないといけないわけで……。
今の状況は……委員長と一緒に勉強している。俺の家で、俺の部屋で、滅茶苦茶ありがたいことに!
遅れた分の数学のノートを見せてもらえている。
とりあえず数学と英語だけは遅れるわけにはいかねぇ!
「っはぁ! あー俺数学ってほんとソコナシに苦手だぜ……」
引っ張り出してきた古いローテーブルの面積を二人で分け合い、一緒にお勉強。
頭を抱えながら質問を挟みながらもノートを書き写した充瞳の様子を、向かいで正座しながら観察していた縫栄は、まとめた数ⅠAの一通りの公式をコピー用紙に書き彼にその特別なイチマイをすっと差し出した。
「充くんは意外と深く考えるクセがあるからあんまり考えずまずは公式を全部覚えた方がいいと思うよ、ここにまとめてあるから躓いても先に覚えた方がチカラがつくとおもう」
「おおー、たしかに俺ってそういうすぐ疑っちゃうとこ数学に関してはあるかもしれねぇ……Totally!」
「そうね……」
最後に英語で何故か返してきた彼に苦笑いしつつも、数学が苦手だという充瞳に後で思えば安直にも思えた公式を羅列しただけの紙を……素直に受け取ってもらえたようで縫栄は表情が緩んだ。
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何をやっているのか。怪しい男ね。
ここまで見てあの木偶の坊の妹に釣り合っているようには見えないけど、
一緒に勉強なんてちょっといちゃついて何アオハルみせつけてくれちゃって。
しかし相変わらず男選ぶセンスが壊滅ね。ちょっと弱そうだしいつでもこの状況からでもクビを取れそうよ。
だから言ったのよねぇ……忍者としても能力が私より低くて落第でも、だからって底無高校なんかでいい男を見つけるだなんてそっちの方がよっぽどあの子にはハードルが高いわ、自分の女としての価値を背丈を理解してない陰気な臆病な奥手なんだから。目つきも私より鋭いしね、そこは好みの範囲だけど。
にしてもたどたどしたのとダメダメなのの組み合わせは合ってないわねー見ててイライラするわ。遊んでこなかった真面目だけが取り柄だからダメ男でも急に好きになったのかしら?
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「にしても今日はさんきゅーな。委員長はできてるのに俺の勉強に付き合わせちゃってさ」
「問題ないわ。私も教えることで復習できるし私もそこまで数学には熱心で得意じゃないから、今日の勉強するタイミングも充くんがいなきゃしてないから、全部プラスよ」
「そ、そうか! ゼンブプラスかはははそりゃ教えてもらって良かった……! でも意外だな? 委員長ってタコイカ学習帳でキマイラの戦い方とかはすぐ内容以上に覚えるじゃん結構あの姿は勉強熱心に見えたぜ」
「……そうね。嫌いなことより興味あることはすんなりもっと覚えたいと脳が空き容量の引き出しを生み出して作用するから、タコイカを覚えるのは……そういう意味では数学より得意ね」
「ははは、まそれは分かるかな引き出しかーたしかに俺も……あ、別腹的な! Totally!」
「ふ、そうね」
それから時刻は午後6時20分過ぎまだ明るいので彼の見送りはいらないと、縫栄は充瞳の住む三階のアパートを後にした。
手をゆらりと振り感謝し彼女を見送った。
ガチャリとドアは閉まり、
鍵を閉めることはなかった。
後頭部に両手を組み頭をるんるんと揺らしながら満足気な顔で自室へとまた戻っていく。
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なーにが別腹よ馬鹿。タコイカ? ゼンブプラス? きま、なんてった? 一日中メルヘンやってんじゃないわよこの馬鹿男。
変な言葉作って何キャラを目指してんのよ。
実は腹黒とかあるわねこいつ。
それこそ少女漫画のぽわぽわ天然系おっとり腹黒女子の腐ったダメ男版って感じね。
ま、ここまでは腹黒はないけど?
戻ってきたっこれからよ! 見てなさいよこいつのえっぐい性癖とか──
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「あのー、さっきからさ。そこでナニ見てんだお前?」
後頭部を抱えたまま見上げる視線の先、何の変哲もない木目の天に家主の男は苦笑う顔をじーっと向けている。
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バカナ!?
気付かれたっていうの!?
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「勘違いだったらすまないんだけどもしもーし、さっきから視線が痛すぎる気が……やっぱ見てるよな? 上の階の人か? こんな感覚初めてだからさ幽霊じゃないよな? いや待てこの場合……幽霊であってくれた方が断然怖くないな! いや幽霊はやっぱ怖いぞ!」
細工していた木板は下に蹴破られた。
びゃーーーーん。
ガラっと天に空いた暗がりから、音を立てて出てきた水色の作業着を着たオンナが手を突かず華麗に着地。
自重の勢いを殺した曲げた膝を戻し、堂々と充瞳の部屋端に立つ。
「おわっ!? えええええ!?」
「ナニ自分から挑発しておいてびびってんのよ」
相対する女は目深に被っていた作業着と同じく水色の帽子のツバをひょいと少し上げた。
どこかで見たような見てないような若干鋭い目つきがそこにあるが、それには気付かずそれどころではなく、
天井にぽっかりと空いた穴と部屋に落ちた見たことのない木板の裏っかわに高速交互に目をやった……そして驚きふためく家主。
「いや天井! 俺の天井にナニしてんだ!」
「細かいわねー、今そこぉ? トロ過ぎ」
茶髪混じりのポニーテールを左手の甲でさっと揺らし掻き上げ、ふんっと鼻息を短く鳴らす。
ぷいと呆れた表情でオンナは家主の男を横顔で横目に見た。
「いや細かくはないだろう……まいっか。お前誰だ」
「んぎっ!? 三下かと思えば調子狂うわね、誰でもいいでしょ」
オンナのド派手な登場に驚いていた男からつづき期待される三下なお決まりなセリフはなく、至って冷静な頭にスイッチしオンナが何者であるかを問いただした。
その変わりようにすこし驚きながらも、手を広げて首をかしげる開き直ったような態度のオンナがいる。
「いやー、ちゃんと自己紹介してくれないと困るぜぶっちゃけ不法侵入だし」
「不法侵入でちゃんと自己紹介が微妙に意味が分からないけど、まいいわ沼津魅枝よ」
「……なんだそれ」
あっさりすぎてよく聞き取れなかった。
自分よりも小さい背丈でやけに態度のデカいオンナの自己紹介に、充瞳のクエスチョンマークの雲がもくもくと浮かび始めた。
「わかるでしょ、ヌ・マ・ヅ・ミ・エ」
今度はハッキリとゆっくりと耳にノコったその名前、その言葉、その声。
そして作業着のオンナの姿勢は前傾しながら1、2、3、4、5、と指差し数えた。
そのまま上目遣いの鋭い圧のある眼光を充瞳へと。
どこか少しダレかと似ている……。
「ヌマヅえええええ、てことは」
充瞳がおどろきひらめき連想されるのは、
「フ、そうよ」
「沼津委員長の妹!!!」
ギラリと、そのオトコの特別な瞳はこの茶髪ポニーテールで水色作業着のオンナの正体を見抜いた。
「フ、そう……って誰が妹おおおお!!!」
「あええ!? じゃなんです?」
充瞳の自信のあった予想が外れた。
間違いとハッキリ叫び反応する女に、
彼はわからないなぁという表情で顎に手をやって訝しみを一層深めた。
「なんで出てこないのよ可能性は逆のヒトツしかないでしょうに!」
はぁ、とため息。呆れて掲げて示した1という彼女のちいさな人差し指の数字に、
「──わかってるよ可能性としては委員長の姉さんだな……。一応とことんお決まりはやっといた方がいいと思って」
ぴっと、1同士を合わせるように近づけた男の左指をぺしりと姉は弾き返した。
「そんなからかわれるだけのお決まりがあるかァァァそんなのに一応もとことんもヤットクもない! ナメてるの!! あんたここまで終始思考回路おかしいんじゃないの!」
「いや、ごめん……あはははははTotally!」
「フツウに失礼を笑って誤魔化してんじゃないわよ! そのさっきからとーたりーって何よ!」
「え、なんかつづければ日常的に賢くなれるかなって」
「馬鹿なんだからやめときなさいよ」
「ははは初対面なのに言われるなー……トー」
「ヤメロっ!」
「ハイ……!」
その姉である彼女のただならぬ形相に、誤魔化し頭を掻く手が止まった。
そこそこ気に入り始めていたトータリーもついに封印した、せざるを得ない。
充瞳は不法侵入者の沼津委員長の姉と名乗る人物に対していい加減話を前に進めるため真面目な対応へと戻った。
▼
▽
「にしてもあんただれ? 聞いたことないわね」
「は? 充瞳だけど、不法侵入でも表札ぐらい」
「そういうことじゃないのよ」
「どういうことだ?」
「こういうことよ!」
びゅっ! 一瞬鉄色がカゼを斬った。
さっきから腰に両手を当てて偉そうに突っ立っていた2、3歩の距離に居た小さな女から──
「どわっ!? ナニやってんだお前!?」
「なんでもないわよ、いちいちうるさいわね」
「いやお前……マイナスドライバーで俺の鼻柱斬ってただろ!!!」
やっぱりこいつ……目と勘がいい。素人ながら……。
この私の高速マイナスドライバーのご挨拶を余裕でかわすなんてやるじゃないの……!
「おいなにニタニタしてんだ……いや絶対にお前避けなきゃアレ……!」
「うるさいわねー、チッ! ってこれ何よ」
「ん、あーこれはアレだろアレ、サボテン置き」
「絶対違うでしょ……」
ここの天井裏に忍び潜んでからというものずっと気になっていた部屋の中央にドスンと鎮座している黒い盤面を男はサボテン置きだという。
その頓珍漢な答えに呆れて、つかみどころのない男のペースに女は付き合い受け答えをする度に飲まれていった。
そして────
「女子に天井直させる男って信じられないわねあんた」
「俺も異様に鋭いマイナスドライバー持った作業着着た天井蹴破って降りてきた不法侵入の女子は女子とは別と思いたいぞ……」
「はいはい、終わったわよ」
「おー、わっ!?」
突然ビリリと映るその先を予感した、天からチカラなく落ちる水色と逆立つ茶髪の光景に慌てて駆けつけて────
ぽすり、
ちいさくおさまっていた。
「おい大丈夫か? 今のフツウに危なかったぞ」
「ま、ギリね」
俺を見上げるその女の瞳の種類が余裕もあり動揺も無しにワラっているのが謎で……チョイスされた言葉も上から気取っているようでナゾであった。
「なんだぁそれ……」
しばらく無言で見つめ合い、制服シャツの両腕に収まった軽くて柔いものがある。
思えばなんとも経験したことのない状況に……どちらかの体温で接する面から熱帯び始めた────
ここからどうしたらいいのかとプランはなく、くるりと回ってゆっくりと恐る恐る慎重に移動────
アソコに置いた。
「サボテン」
「しばくわよ」
黒いサボテン置きのそこに置いてもまだ彼女は見上げる。
いつまでも堂々としている作業着の姉沼津の目がじーっとしっかりと充瞳の目の奥のミエナイ輝きまでを見ようとかすかに微笑っていた。
この人なんだろう不思議ちゃんだな? この人が……本物の沼津さんの姉だったらそれって……姉妹って性格までは全然似ないんだな、はははは。いや、短い一言一言の圧は似てる瞬間もあるかも? 姉妹って似るのか?
たしか充瞳。名は体を表すというけど、こいつの
それでいてアレを避けてこの私の圧すらものともしないようね、ふふふ逸らしたら負けって言いたいわけぇ? ふーん妹が求めていたのはこの瞳の説得力か?
フフ、妹にしては目の付け所が上等じゃない。
……でもまだ先がありそうよ、私がちょっとブッ刺して見極めてあげるわ!
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