閉じて生きる

 編集の男は、久我といった。

 久我は奇妙な男だった。誰が何を言っても、概ねにまにまと楽しそうなのだ。そうで無い時というのは、人が理不尽に虐げられている場を見た時くらいのものだが、だからといってけして聖人らしくも見えない。普段は笑って、他人をおちょくるのが趣味のようにしている。はっきり言って煩い男だった。


 変なものを好む男らしい。彼は妙な人間ばかりに特に興味を示していた。未だ少女の癖に出版社などを訪ねて男の名で書いた原稿を渡すような私の事も、そうした理由で興味を持ったようだった。


「わざわざそんな事をしなくても、若い娘の書いた小説、面白いと思うが。俺は読みたい。見た所、小説としての出来は良いし、十分戦えると思うがね」

「それに色眼鏡の効果がかかるから、こうしているんです」


 それもそうか、と久我はにまにまとして言った。


「まぁ、かの紀貫之も女の振りをして書いたんだ、それも面白さ。良いだろう、俺が載せてやる。しかし、完結まで書き上げているのか、本来雑誌連載だから、最初だけでも良かったんだがね」


 まあ、その分他の小説を書くなり休むなり、好きにしてくれ、と久我はまた笑っていた。


 久我は其れからずっと私の担当をしていた。私は特に他にする事もないので、常に何かを書き続けていた。そんなに書いても連載が追いつかないと久我は言った。いつ書けなくなるかもわからないから、書いておくに越したことはないのだと話した。

 久我はまた笑って詰め寄ってきた。


「嬢ちゃん、何にそんなに焦っているんだ?」

「焦っていません」

「君は何時もそうだな、ずっと閉じている」


 全員が全員内側を開けて生きていたら、それは収拾がつかないではないか。久我は開き過ぎなのだ。何でもかんでも開ければ良いというものでは無い。


 第一、開ける必要性も感じない。自分のことなどを開示して一体何の意味があるというのか。然しそれでも彼はしつこい男だった。面倒だったので私は適当に嘘を吐いた。好きな食べ物は塩鮭で、嫌いな食べ物は南瓜の煮物。どちらも大して好きでも嫌いでもない。どうでも良いが、そういうことにしておいた。実際には、何が好きで何が嫌いか、よくわからない。それでもそうと答える必要性は別に無いはずなのだ。雑談の内容に大した意味があるはずがない。


「そうだ、先生、評判の方は上々ですよ。俺が見込んだだけの事はある」

「見る目がおありなんですね」

 反射的に答えた途端、はっとした。

 そういうところだけは、似ているのだ。ああ、恥。

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