絶筆準備
麻比奈こごめ
偽つて生きる
自分を全く偽らずに生きる事の出来る者が、果たして何処に居るのだろうか。子供の頃の、本当に何も解さぬ頃であれば、或いは可能かも知れない。本当に全く偽らず生きるなら、何も解ってはならない。賢くなってはならない。賢さは、その様に生きる為には毒である。子供には大人にも劣らぬ賢さが備わっている。故に子供はいつか、世界とは自分の為に在る物では無いのだと理解する事になる。すると、上手に生きる為には、或る程度の偽りを持つ必要が自然と見えて来る。子供とはそうやって大きくなるものである。
かく云う私もその様な子供の一人だった。今思えば少々周りと様子の違った子供だったかも知れないが、例の点に於いて、私も他の子供も其れ程差異は無いと思っている。同じ様に偽りを覚えた私は、文筆を生業とする際にもその技を駆使する事にした。
女は、物を書く者では無いのだ。
物書きどころか、女は、他の凡ゆる芸術も、する者では無いとされた。女とわかっては、どんなに心血注いだ芸術も、ほんの趣味の一部として評価されるしか無いのである。女は男の様な教育は受け難く、故に、劣るとされるのかも知れないが、私に言わせれば、芸術の本質は学では無い。女であるが出来る範囲で学を得た上でもやはり、学を前提とした芸術というのは大変ナンセンスと感じる。然しそういった考えが私の中にあった所で、世界という物は何も変わらない。人は生きる為に食わねばならない。食う為には稼がねばならない。私は訳あって、未だ年端も無い少女の頃から、自分で稼がねばならなくなった。身体を売るのは向いていない。私は筆を取って、男を真似て物語を書いた。作家名も男の様に、紺堂紫葵、とした。「シキ」と云う響きで女はあまり連想しないであろうと、ただそれだけで、後は雰囲気が良ければそれで良い、それだけで決めた名前だった。
私は男の様に書く事が存外向いていた様だった。本当の男が読んで、果たして本物らしいと思うのかは未だに謎のまま。然し、男の様に書く事に、少なくとも抵抗は無い。同じ年頃の少女達と接して、親和した試しが無かったのは、そういう事なのかも知れない。私は彼女達の様に、容易に気絶する事の出来る情緒も儚さも持ち合わせていなかった。
その様にして、人生最大の偽りが完成した。書いた物を私は出版社に持って行った。今思えば、姿など見せては全く無意味、編集者に見せた段階で突き返される筈だと判るが、未だ少女の私は馬鹿の度胸でそれを持って行った。
運の良い事に、その日出会った編集者は話の分かる男だった。
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