第4話

 おかめを受け取ってから時は流れ、およそ一年半が経った。それはメイリーンにとって、とても平和な時間だった。


 約束通りローズリンゼットから声をかけられることはなく、時折何か言いたげな視線を向けられるのみ。


 リアムスもビアンカも騎士団の訓練が忙しいため、メイリーンと休日に出掛けることはなかったが、たまにメイリーンが訓練の休憩時間に差し入れを持っていった。


 学園でのイベントのパートナーは、いつもメイリーンとリアムスで組んだ。


 成績順のため、クラスメイトもほとんど変わることなく、最上学年である三年生へと進級する。



「メイ、待たせたな」

「ううん。訓練お疲れ様です」


 リアムスが少しでもメイリーンと一緒にいたくて、護衛という名目で押しきるように始めた一緒に登下校することも、今や日常と化した。


「リアムス様、そろそろ本格的に婚約者を探さないとですよね」

「そうだな」

「ローズリンゼット様も約束通り見ているだけで接触もありません。そろそろ別々に登校しませんか?」


 静かにそう告げるメイリーンに、リアムスは溜め息をついた。


「俺が好きなのはメイだけだ。婚約するならメイとする」

「私とリアムス様では家格が釣り合いません」


(私じゃ、リアムスの後ろ楯になれないもの。ゲームでは上手くいったからといって、現実で上手くいく保証なんかない。私じゃダメなのよ)


 リアムスの瞳に映る恋情を直視できなくて、メイリーンは視線をそらした。


「俺のことが嫌いか?」

「……そんなことないです」


「じゃあ、何がダメなんだ?」

「私よりも、もっとリアムス様にピッタリの女性がいるはずです」


「それは、俺が決めることだ。俺がずっと一緒にいたいのはメイだけだ。分かってるんだろ? 俺が諦めないことくらい」


 顎を持ち上げられ、メイリーンはリアムスの方を向かされる。それでも、頑なに視線を合わさなかった。

 視線があったが最後、囚われて逃げられなくなる予感がしたからだ。


「メイ、こっちを見ろ」

「無理です」

「俺のこと意識してるのか? 好きじゃないなら、見れるだろ?」


(またそういうことを言う!!)


 視線を合わせれば絡み取られてしまうが、避ければ好きだと言っていることになる。

 メイリーンは、リアムスの意地の悪さに涙目になった。


「好きとか嫌いの問題じゃありません。貴族の結婚は家同士の結び付きを強めるためのもの。私に価値はありません」


 結局、リアムスを見ることはできず、メイリーンは固い声で返事をした。その目には、涙が溜まったままである。


「メイ、俺は三男だ。家は兄が継ぐ。それに、我が家の地位は磐石だ。家格の差なんて気にする必要もないんだ」


 リアムスは、包み込むようにメイリーンを抱き締めた。その力は弱く、逃げようと思えばすぐに抜け出せる。


(いっそのこと逃げ出せないように囲ってくれたら、その胸に飛び込めるのに)


 メイリーンはリアムスから逃げることも身を預けることもなく、温かい腕の中で涙を溢した。

 リアムスはメイリーンの涙を指で受け止めたあと、彼女の肩に顔を埋め、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「俺はこのまま騎士として本格的に勤める。今までのように訓練や王都の見回りだけじゃなく、地方にも行かなくてはならない。寂しい思いをさせるかもしれない。貴族らしい暮らしをさせてやれないかもしれない。それでも、俺といてくれないか?」


 リアムスの声は震えていた。それでもメイリーンは答えられなかった。代わりにポタポタと涙がこぼれ落ちる。


(ごめんなさい、リアムス。私にはあなたが好きだからと、あなたの胸に飛び込める純粋さも強さもない。今、あなたの告白に頷くわけにはいかない──)


 ゲームのリアムスストーリーのエンディングに彼が騎士団長にまで上り詰めるとあった。その一文が、頷いてしまいたいと願う彼女の心を踏み止まらせる。


(守られているだけの私じゃダメなのよ。変わらなきゃ……)


 メイリーンは初めてリアムスの背へと手を回した。

 リアムスはメイリーンに答えを求めることなく、囲うように抱いていた腕に力を込めた。



 その日からメイリーンは変わった。

 リアムスと関わることで視線は集めてきたものの、目立たず静かに過ごしてきた。

 そんな彼女が今まで表に出すことのなかった優秀さと美しさを自分の手で未来を切り開くために発揮し始めたのだ。


 学業ではレイモンドやローズリンゼットを押さえ、学年一位となった。

 今まで使わなかった前世の記憶を使って、目新しく見た目も可愛いお菓子や料理を流行らせ、化粧やドレスも個々に似合うものをアドバイスし、ネイルアートもした。

 安物のドレスをアレンジして自らが流行りの最先端となった。


 静かに微笑んでいた大人しい子爵令嬢は、誰もが振り向くような可憐な令嬢へと変貌を遂げたのだ。


 そんなメイリーンをリアムスとビアンカは複雑な気持ちで見詰めていた。

 メイリーンは目立つのが苦手で、のんびりとお茶をしたり、読書をしたりと静かに過ごすことを好むことを知っていたからだ。


「今のメイも素敵だけど、俺はそのままの君も好きだよ」

「私は変わらなきゃいけないんです」


(リアムス様の隣にいるためにも、私には力が必要なの。学園にいる間に私の有用性をアピールしないと。

 リアムス様の負担になったりしない。私もリアムス様を支えられるようになるんだから)


 強い、強い想いがそこにあった。


 だが、光が強ければ強いほど、影は濃くなるもの。メイリーンを快く思わない者が確かに存在した。

 ローズリンゼットは屋上から双眼鏡を使い、メイリーンを見詰めた。そして、おかめの下で悩ましげな溜め息をついたのだった。

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