幕間1
お疲れ様です、レーナ様!
アルトさんたちを見送ってから、もう三時間ほどが経っただろうか。
その間に、シルヴェスター長官が街にばら撒いたという脅迫状の確認がとれ、さらに対応の目処がついたので、そのことを報告したかったのだけれど……。
「まだお説教が続いてるなんて、レーナ様も相当ご立腹みたいね」
執務室のすぐ目の前、じっと立ち続けていると少し肌寒さを感じる廊下にて。腕を組みながら一人つぶやく。
さっき扉をノックしようとした際、あどけなさの抜けきっていないレーナ様の可愛らしいお怒りの声が中から漏れ聞こえたため、今の私は部屋の外で待機を続けている状態だ。
「まったく、あの人はどれだけ人に迷惑をかければ気が済むのやら……」
本来不必要な労働をさせられた上にこんな待ちぼうけまで食らってしまうと、全ての元凶に対して愚痴の一つでも言いたくなる。
外遊終わりでお疲れのレーナ様に飽き足らず、この私の貴重な時間まで奪うとは……。
「――し、失礼します」
すると、ようやく執務室の扉が開かれ、中から疲労困憊といった表情のロータス補佐官が出てきた。
それに続いて、
「レーナちゃ……様、今日は悪かったね。それじゃあ、また!」
一番反省するべき男が反省の欠片さえ見せず、堂々と私の前に現れた。
「……どうやら、ロータス補佐官もかなり絞られたみたいですね。長時間労働の陳情の方は受け入れてもらえましたか?」
「さ、サンドラ副侍従長……。えぇ、今回の件は私にも非があったので、きつくお叱りは受けましたよ。……ただ、レーナ様の寛大なご配慮によって明日一日、休暇を頂けました。ほ、本当に、感謝しかありませんッ」
「な、泣くほど嬉しいとは……。それは良かったですね」
いつも通りの情緒不安定さを見せるロータス補佐官に対し、私は思わず苦笑い。
この人はこの人で話すと疲れるタイプの人間なので、話は早めに切り上げるに限る。
私は目線を横にずらし、もう一人の面倒な人間に向けて話を振った。
「それで、シルヴェスター長官は中で話をちゃんと聞いたんですか? ずいぶんと明るいご様子ですが」
「あったり前だ! レーナちゃんってば、めちゃ怒ってたんだぞ! 見た目は可愛らしいが、さすがは王族で迫力があって怖かったなあ」
「だったら、もっと少ししおらしくしてくださいよ。まったく……」
「まあ、最後はワシもレーナちゃんもアルトのことを心配しているという点で合致して大団円を迎えたからな。自然と気持ちも明るくはなるわ、はっはっは!」
なるほど、こんな調子だから今の今まで説教が続いていたのか。
王族からの叱責を受けた後にこんなにも場違いな高笑いをする姿を見せられると、三時間もの長丁場でさえ時間が足りないように感じてしまう。
「……はい。そんなバカなことがレーナ様に聞こえたら、また新しい説教が始まりそうなのでお二人は早く行ってください」
そして、どこかの心優しい王女様と違って気の短い私は、早々にこの男を見捨てた。
「おっ、そうかそうか。それじゃあお前さんからも、レーナちゃんにワシのフォローを入れておいてくれ。頼むぞ」
「し、シルヴェスター様、待ってくださいよ! あ、あの、私もこれで失礼します!」
シルヴェスター長官がそう言ってすたすた歩いていくと、ロータス補佐官もそれを慌てて追いかけていった。
最後まで面の皮の厚さを見せつけてられてむかついたが、これでようやく報告ができる。
「レーナ様に体力が残っていれば、だけどね」
そんな一抹の不安を抱えつつ、私は一息ついてから執務室の扉をノックする。
すると、返事はすぐに返ってきた。
「……はーい、どうぞぉ」
レーナ様の少し掠れた声を合図に中に入ると、案の定と言うべきか。
「かなりお疲れのご様子ですね……。ご心労、お察しします」
「ほんとだよもぅ……。サンドラ、ちょっと肩揉んでくれる?」
「はいはい、分かりましたよ」
机に力なく突っ伏している王女様に近づき、言われたとおりにその小さくて丸みのある肩に手を乗せる。
普段はこんなことを私に頼んだりしないので、相当疲労がたまってしまったのだろう。
なので仕事の、というよりシルヴェスター関連の報告は、また日を改めて行おう。
「あっ、いい感じ! そこそこ、その強さで! あぁ、気持ちいい……。あ、あれ? これだとお年寄りみたい?」
「そんなことないですよ。レーナ様はどこからどう見ても、可愛らしい女の子です」
「そ、そう? それなら良かった! ……あぁ、天国みたい」
……本当は少しババくさいけど、それを言うとショックを受けてしまいそうなので黙っておく。
なにしろ、レーナ様の乙女の部分に関わる報告はまだ残っているのだから。
「それでレーナ様、アルトさんの件なのですが――」
「そうだった! アルトくん私に何か言ってた⁉」
報告の冒頭を口にした途端、レーナ様は驚いたように体を捻って顔を上げる。
「ちゃんと私が言ったことアルトくんに伝えてくれたんだよね⁉」
「……えぇ。レーナ様が冒険者登録法を元に戻すことをお伝えしたところ、お礼をおっしゃっていましたよ。レーナ様がシルヴェスター長官の愚策を追認なされた理由は黙っておきましたけど」
「そっか、それなら……って、なんで全部言ってくれなかったの⁉」
「『私もあの親バカと一緒でアルトくんの近くにいたくて、つい魔が差しちゃった!』なんていう告白まがいのことは、レーナ様が直接言うべきかと思いまして」
「わ、私そんなこと言ってないでしょ! 内容はだいだい合ってるけど……、告白じゃなくて、ただ久しぶりに会いたくなっただけだから‼」
とうとう私のマッサージを押し返すほど取り乱し始めたレーナ様。
外交の場面では何十歳も年上の他国の王様にも物怖じしないというのに、アルトさんが相手だとこうも違うのかと驚いてしまう。
「この会いたいって気持ちも、それはあくまでも友達としてだし……」
「友達、ですか。まあ、それが今の本音かもしれませんね」
国王陛下の一人娘としてずっと、陛下のご病気に伏せられた今は国の最高権力者として。
あまりに重い重責を背負ってこられたレーナ様には、自分を出せる時間なんてのはほとんどない。
だからこそ、レーナ様はそんな責任をまだ理解してなかった幼少期を共に過ごしたアルトさんを特別視するようになったのだと思う。
その特別が、一体何か分からないまま。
「……でも、直接言わないとって部分はサンドラの言う通りかも。アルトくんは沢山のゴーレムをやっつけるくらい大活躍してみんなの役に立ってるのに、私はそんなすごい人の邪魔をしちゃったんだから」
「そうですね。一応は父親が王城で働いているのですから、いつかまたアルトさんがここにいらっしゃることもありますよ。その時に、ゆっくりお話されてください」
「う、うん。今度は恥ずかしがらずに、ちゃんと自分で話す」
自分の心に整理がついたのか、レーナ様は覚悟を決めたように口を結んだ。
ただ、そんな引き締めた表情は、
「……はぁ、でもまずは、あの自由奔放なシルヴェスターさんをちゃんと制御しないとだよね」
喫緊の課題が頭に浮かんだことによって、一気に曇ってしまった。
「そ、それは私も全力でサポートいたしますので、一緒に頑張りましょう!」
「ほんと、あの人がアルトくんのお父さんじゃなかったら、すぐクビなのに……」
(レーナ様、あなたにとってはただの友達のお父さんかもしれませんけど、一応あの人は魔法の実力だけはあるんですよ)
魔法庁の問題児の意外な残留理由が判明したところで、レーナ様のお食事の時間が迫ってきた。
レーナ様専属の従者として、私もその準備に取りかからなくてはならない。
「では、私はここでいったん失礼します。食事は私室の方に運ばせますが、それでよろしかったですか?」
「もちろん大丈夫。ありがとねサンドラ、気を遣ってもらって」
「いえいえ、とんでもございません。それではまたすぐに」
私は執務室から出る際、自然といつもよりも深いお辞儀をしていた。
まだ慣れてないであろう国のトップの仕事に奔走する王女様に。
いろいろお疲れのレーナ様にリラックスして欲しい、なんていう意図は、あっという間に見透かしてしまう私の主人に。
そして、気になる男の子への接し方に真剣に悩む、至って普通の女の子に向けて、心からの労いを。
お疲れ様です、レーナ様!
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