心臓がうるさい
「アルトさんも疲れてるのに、こんなわがままを聞いてもらってありがとうございます」
「い、いや! わがままなんかじゃないから気にすんなよ! 俺の方こそ、夜遅くのこんな寂しい場所なんて女子一人じゃ危ないってのに、気づかなくてごめんな」
「そんな、アルトさんが謝ることなんて一つもないですよ。私からしたら感謝しかありませんって……」
(どうしてこんな事になったんだっけ?)
俺は不慣れな状況からくる緊張に耐えかね、早期離脱を決め込むはずだったのに、なぜか今はその緊張の一番の原因であるクラリスと並んで薄暗い夜道を歩いている。
しかも、こいつは昼間に俺に足かけてよじ登ろうとしていた奴と同一人物とは思えない程にしおらしくなってるし、余計に調子が狂う。
「そのー、クラリスの家ってまだ遠いの? もう結構歩いた気がするけど」
「えっ、何言ってるんですか? まだ三分くらいしか歩いてませんよ」
「……確かに。よく見たら周りの建物も見覚えしかないな」
どうやら俺は重症らしい。
頭が真っ白なせいで周りが見えていないし、時間の感覚も完全におかしくなっている。
「まあでも、私の家はアジトから結構近いので、もう少し歩けば着いちゃいますけどね」
すると、ここで俺にとっての朗報がクラリスから伝えられる。
この緊張しかない時間もあと少しで終わるのなら、俺もどうにか頑張れそうだ。
(ここは最後に紳士的なところでも見せて、俺がアガりっぱなしのやわな男じゃないってこと示してやるか)
「家の近くまで来たら教えてくれよ。お前も知り合ったばかりの男に家の場所知られるのは嫌だろうし、適当なところで俺は帰るから――」
「だから着く前に、話を聞いてもらっていいですか? アルトさんにどうしても言いたいことがあるので……」
「……はぇ?」
最後に意地でかっこつけようとした瞬間、クラリスから想定外の言葉が飛び出した。
それにより、俺の計画はすぐに破綻。情けない声が漏れ、どうにか動かしていた足も急停止する始末だ。
そんな突然歩みを止めた俺に対し、クラリスは一瞬驚いたような顔を見せる。
しかし、その時間は本当に一瞬だけ。
クラリスは覚悟を決めるかのように唇を噛むと、棒立ち状態の俺の前へと歩み出てきた。
目の前に来たあどけなさの残る顔を見ると、その表情は堅い。
ただ、月光に照らされた瞳だけは力強く、そしてまっすぐに俺を捉えている。
こんな状況で『どうしても言いたいこと』と言ったら……。
(なに? 俺告白されんの?)
「えっと……、話というのは?」
「その、二人っきりになったら言おうと思ってたんですけど……」
(いやもう告白じゃん! 完全にそうでしょ!)
クラリスは少し言葉に詰まりながらも、思わせぶりなフレーズをどんどんと言ってくる。
(でもクラリスと会って話すのなんて今日でまだ二回目だし、クラリスのことを好きだとかは……)
「アルトさん? わ、私の……」
「ちょっと待って! 俺まだクラリスのこと全然知らなくて――」
「私の魔法の先生になってくれませんか!」
「だから告白とかは……。えっ、先生?」
告白の場面ではそうそう出てこないようなフレーズが飛び出し、完全に舞い上がっていた俺は冷や水を浴びせられたような感覚に襲われる。
「魔法の先生ってことは何? 俺に魔法を教えて欲しいってこと?」
「……はい、そうです」
(まじかよ。緊張して損したわ!)
人生初告白だと勘違いした俺の、このピュアなドキドキを返して欲しい。
「ていうかアルトさん、さっき告白とかなんとか……?」
「な、何言ってんだよ。そんなこと言うわけないだろ⁉ 絶対聞き間違いだって!」
「そ、そうですよね。すみません、変なこと言って」
クラリスはそう言うと、恥ずかしそうにして俺から目を逸らす。
(多分俺はその百倍以上は恥ずかしい思いをしてるけどね!)
「まったく、変な勘違いはしないでもらいたいな! ほんと!」
ほんの少しだけ嘘はついたけど、こんな勘違いしてもしょうがない状況にしたクラリスも悪い……はず。だからこれでおあいこだ。
とにかく、これでどうにか勘違い男の汚名を被ることは免れた。
「あのー、関係ないことを言い出した私が言うのも変なんですけど、話を戻しますね」
俺が内心ほっとしていたところ、そんな真面目な声が聞こえてくる。
それに反応して視線を戻すと、クラリスからの真剣な相談が始まった。
「アルトさんも今日でよく分かったと思うんですけど、私って魔法の才能が全然ないんですよね」
「あれはあれで、ある意味才能みたいなところあるけどな……」
クラリス渾身の魔法は、魔力回復としてはゼロ点だったが、呪いとして考えればすごい効果だった。
体を完全に硬直させるなんて、狙って簡単にできることではない。
「……私は田舎の小さな魔法学校に通ってたんですけど、そこで勉強してた時からずっとこんな調子で。そのせいで魔法学校も途中で退学になってしまいましたし……」
「えっ、魔法が上手くないってだけで退学なんてひどくないか? できない奴に教えるのが学校の役割だろ」
「まあ、実習用に捕まえられてたモンスターを勝手に逃がしたり、逆に校舎の中に野生の子を放しちゃったりするモンスター絡みのトラブルをしょっちゅう起こしてたことも影響したんだと思うんですけど」
「いや、絶対そっちが原因だろ! 百パーお前が悪いわ!」
牢屋にぶち込まれていないことが不思議なほどの悪行を聞き、さっきまであった同情の気持ちが一気に消え去る。
こんな奴のために一瞬でも怒った俺がバカだった。
「と、とにかく。退学になったせいで、私は魔法がまともに使えるようになる前に学ぶ機会を失ったんですよ! 私には一人前の魔法使いになったら叶えたい夢があるのに……」
「夢……? それって、どんなの?」
「私が白魔法を選んだのは、白系統には操縦魔法があるからなんですよ! だからいつか白魔法を完璧にマスターできたら操縦魔法を使って、私の大好きなモンスターの子たちと心を通わせたいんです! そして思いっきりなでなでしたいんです!」
「あー、結局そっち方向ね」
クラリスは自分の願望を熱弁しているが、それ叶うことによって、俺には迷惑しかかからないように思えるのは気のせいだろうか。
「内容を聞いちゃうと、一気に協力する気が失せるな……。それに俺って最近は緑系統の風魔法しか勉強してないから、白系統の魔法は教えるほどの知識なんて持ってないぞ」
「で、でもアルトさんはパルディウス出身ですし、全ての系統の魔法を一度は中級のレベルまで習っていますよね?」
「確かにそうだけど……、なんでそんなこと知ってんの?」
「あっ、その……。ぱ、パルディウスはこの国の魔法使いなら知らない人はいない有名校ですし、私も魔法使いの端くれとして、それくらいは知ってますよ!」
「まあそんなもん、かなー?」
俺自身、クラリスの歯切れの悪い返事に多少の違和感は覚えたが、
「だからお願いします‼」
「ッ! び、びっくりしたぁ……」
「私を一人前の白魔法の使い手にしてください! こんなこと、アルトさん以外に頼めないんです!」
目の前で勢いよく頭を下げられると、それ以上詳しく話を聞くことはできなかった。
「クラリス……」
自分の膝につけたクラリスの小さな両手が震えている。
頼む側と頼まれる側。俺はクラリスとは正反対の立場にいるはずなのに、その心の内が分かる気がした。
それは不安。自分の夢が叶うか叶わないかの瀬戸際で感じる、どうしようもない心痛。
この数日の間に、俺は何度も味わった苦しみだ。
そんな苦しみを知る俺が出せる答えなんて、たった一つしかない。
「あーあ! ほんとは面倒でやりたくないけど、俺はお前の手下だからなー!」
「……えっ」
クラリスは驚いて顔を上げるが、俺はそれに構わず下手な小芝居を続ける。
「だからしょうがない! ……なるよ、お前の先生に。俺も胸張って先生を名乗れるくらいに白魔法を勉強して――」
「ありがとうございます! やっぱりアルトさんは私の英雄ですっ!」
俺が全てを言い切る前に、嬉しさが爆発したらしいクラリスは、その小さな両掌で俺の右手を包み込んできた。
突然やって来たその温もりと柔らかさに、俺は一瞬にして頭が真っ白に。
そしてクラリスの方はというと、くしゃっとした笑顔を見せながらぴょんぴょんと飛び跳ね、全身で喜びを表している。
(……まじでそういう勘違いしそうになることはやめろよな)
「あっ、そうだ! 明日の朝、アジトに行く前に最初の授業をしましょうよ! 場所はアジト近くの公園で。場所分かりますよね?」
「えっ、場所は分かるけど……。ちょっと待って。明日の、朝⁉」
俺の手は握ったまま、文字通り浮き足立っていた足をようやく地面にくっつけたクラリスから無茶ぶりが飛ぶ。
「善は急げ! 決まったからには、お互い張り切っていきましょう!」
「いやだから、俺は白魔法について勉強する時間が欲しいんだって……」
「大丈夫ですよ。明日は私が持ってる白魔法の本をいっぱい持って行きますから」
そう言ってクラリスはようやく俺の手を放すと、すぐ後ろの建物へと駆けていった。
そして入り口の前で振り返ると、両腕を広げてその建物を指し示す。
「ここが私の家なので、もう送ってもらわなくて大丈夫ですよ。今日はいろいろとありがとうございました!」
「えっ、もう着いてたの⁉」
見ると、そこはこの辺りによくあるタイプの古びたアパートだった。
(ていうか、ここって……)
「それじゃあ、また明日です!」
クラリスは中に入って顔が隠れるその瞬間まで、ずっと俺の方に向かって手を力いっぱい振っていた。
あそこまで喜んでくれると俺も先生役を引き受けた甲斐があるってものだが、今はこっちの事実の方が気になる。
「クラリスって、俺と同じアパートなんだ……」
(なんとなくだけど、このまますぐに入っては駄目な気がする)
そう思った俺は、十分ほどぼんやりと夜風に当たってから、少しだけ落ち着けなくなった新居へと帰った。
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