失礼な杞憂

 俺のバファルッツ入りが決まった日。


 俺が家出したばかりで金も住む場所も無いことを団長に話すと、前借りの給料三ヶ月分と二日間の休みを気前よくくれた。

 その金と時間を使って家を探せということだったが、何より驚いたのはその給料の額だ。

 もらった金は、全部で百二十万テレン。


 一月あたり四十万もあって、これだけあればちょっと贅沢な生活だってできる。

 これは、ここベンザール王国の中でもかなりの高収入の部類に入るだろうし、宮廷魔術師になっても初めのうちはこんなにもらえないはずだ。

 そんなアジトのボロさからは想像もできない好待遇に、最初は冗談でも言っているのかと思っていた。


 しかし、いざ目の前に金貨がずっしり入った袋を出されれば信じる他ない。

 アジトを出る前、クラリスに給料のことをこっそり聞いてみてもそれぐらいは貰っていると言っていたし、秘密結社恐るべしだ。


 こうして十分な軍資金を得た俺は、休みの間にアジト近くのアパートを借り、家具や服なんかも揃えて新たな生活の基盤を整えた。

 

 ――そしていよいよ、今日が初出勤の日だ。


 ここ二日は部屋探しなんかで疲れていたはずなのに、今朝はえらい早くに目が覚めた。

 それが慣れない新品のベッドのせいなのか、新しい環境へ飛び込む緊張からなのかは分からないが、気分は悪くない。


 だから多分、今もやむことがないこの胸の高鳴りが原因だろう。

 まるで誕生日の子供みたいな反応だが、そうなってしまうのも無理はない。


 あの小賢しい親父の策略を乗り越え、大得意な魔法を使う仕事を手に入れたのだから!


「よし! これからじゃんじゃん稼いで、さっさと冒険者になれる外国に高飛びしてやるぞ!」


 俺はにやけ顔もそのままに、渡されていたアジトの鍵を錆の目立つ鍵穴に差し込む。


 思えば学生時代。授業では決められた魔法しか使えず、唯一自由に魔法に打ち込める時間といえば、授業が終わってから寮の夕食時間までの二、三時間くらいだった。


 それが今日からは違う。


 一応組織の中での活動なので、冒険者と違って多少の制限はあるかもしれない。

 ただ、団長も実戦の場面は俺に任せると、そこは明確に言ってくれていた。


 つまり、『あいつを倒せ』くらいの指示はあるだろうが、倒すかは俺の自由。これは冒険者になる前の、良い予行演習になること間違いなしだ。


 俺は目前に迫った自分の活躍シーン思い浮かべながら、少し回しづらい鍵を開けた。


 団長からは、中に入ったらすぐに鍵を閉めるよう言われているのでそれに従う。

 俺は短い廊下をそのまま歩きながら、絶対入室禁止と言われているハインツと団長の部屋のドアを通り過ぎた。

 そしてようやく。


「おはようございまーす」

「アルト⁉ よかったぁ、ちゃんと来てくれた……」

「ほら、私の言った通りじゃないですか。アルトさん、おはようございます」


 面接を終えて以降初めて、このアジトのメインルームに戻ってきた。


「あのー、その微妙な言い回しは何なんですか? なんか俺が来ないとでも思ってたような言い方ですけど」

「そういうわけじゃないんだが……。そ、そんなことより、住む家は決まったか?」

「……まあ、決まりましたけど」

「そうかそうか、それは良かったな。はっはっは。……じゃあ、ちょっとお茶でもいれてこようかなーっと」


 団長はそう言うと、そそくさと台所の方に向かっていった。


 俺が部屋に入った時、クラリスはソファでくつろいでいて、団長の方はと言うとなぜか机に突っ伏して頭を抱えていた。

 団長は部屋に入ってきた俺を見るなりパアッと顔を明るくしていたが、一体何があったのだろうか。


 俺がそんなことを疑問に思っていると、ソファに座っているクラリスがひょいひょいと手の先を揺らして俺を呼んでいることに気づいた。


「どうしたの? もしかして、団長のこと?」


 ソファの空いていたところに腰掛け、隣のクラリスに問いかける。

 ちなみに、まだ年下女子との関わり方の正解を見つけられていないこともあり、クラリスとの間のスペースは少し広めだ。


「はい、まさにそのことでお話が」


 少しむっとした表情を浮かべながら、クラリスは話を続ける。


「さっきの団長かなり挙動不審だったじゃないですか。実は団長、おとといからずーっと、アルトさんがお金を持ち逃げするんじゃないかって、ぶつくさ言ってたんですよ」

「えっ、そうなの?」


(まじかよ。『ちゃんと来てくれた』って、そういうことかよ)


「しかも今日なんかは、『あー、先にお金渡すんじゃなかったな。もう絶対来ない! 分かるよ、あれはやっちゃうタイプの人だから!』とか言っていて」

「まじで失礼だな、あのおっさん!」


 クラリスのものまねのクオリティもひどかったが、団長の俺への評価も相当ひどい。


(ていうか、『やっちゃうタイプ』とか、たかだか一回しか話したことないあいつに俺の何が分かるんだよ!)


 俺が金を持ち逃げするなんて、そんなことするわけ……。

 

(あれっ? もしかしてあのお金があったら、別にこんな秘密結社で働かなくても外国で冒険者になれた?)


 そこまで考えが回らずに、普通に家まで借りちゃったけど……。

 

(……いや、しないよ。持ち逃げなんてしないけどね! あくまで、あのお金を国外脱出費に使うってのは、もしもの話だから!)

 

「あっ……」

「おまたせー。ワタシの部下のアルト君、すっきりしたお紅茶でもいかが?」


 俺が誰向けなのか分からない言い訳を頭の中で並べていると、丸いトレーにカップとティーポットを載せた団長と目が合った。

 不自然にという部分を強調していて、分かりやすいことこの上ない。

 

「あのー、団長? さっきクラリスから聞いたんですけど、団長は俺がもらった金を持って逃げ――」

「あっ、そうだ! 今日はハインツが帰ってきたら、みんなでダンジョンに行こうか。うん、それがいい!」


 このおっさん、完全にごまかす気だ。

 団長は不自然に大きな声を上げながら、机の上に置いたカップにお茶を注いでいく。

 

「戦闘での個人の特徴は、早めに理解しておいた方がお互いの為だからな。君らもそう思うだろう?」

「ま、まあ……」

「……そうですね、私もそれでいいと思いますよ!」


 俺たちの方に振り返る動きも話す声も芝居がかっていたので、この話の急展開も自分の痛いところに触れさせないためのものだろう。

 さっきからずっと団長のことをジト目で睨んでいるクラリスは、今も不満そうだが。

 

「あのー、ハインツって今どっか行ってんの?」

「……はい? あっ、ハイちゃんですか?」


 あのお茶くみゴブリンは自分の部屋にいるのだと思っていたが、団長自らお茶出し業務に精を出しているところを見ると、どうもそうではなさそう。

 ハインツの所在は団長に聞いても良かったのだが、なぜか不機嫌なクラリスをこれ以上放置するのはまずそうだったので、ここは話を変えることにした。

 

「仕事の依頼書を回収しに行ってるんですよ。うちは便利屋みたいな仕事もしてるわけですけど、一応は秘密結社なので。その仕事はこのアジトじゃなくて街外れにひっそりとある回収ポストで受け付けてるんです」

「あぁー、なるほど。そうやってここの秘密を守ってるわけね」


 多分だが、それなら目立ってしょうがない緑色のゴブリンが行かない方がいいと思う。

 まあ、それでやっていけているんなら良いんだけど。

 

「おーい。ハインツが帰ってくるまでに、二人ともちゃんと準備しておけよ」


 すると、いつのまにか椅子に座って自分の入れた紅茶を飲んでいた団長が、頭だけをこちらに向けて話しかけてきた。


 ――ガチャ


「おっ、意外と早く帰ってきたな」


 すると、入り口の方から鍵の開く音がして団長は持っていたカップを置く。

 

「じゃあ、二人ともすぐに出る準備をしろ! 今からダンジョンに乗り込むぞ!」

「あの、私はまだ、団長がアルトさんに変な疑いを持っていた件については――」

「よし! じゃあちょっと出迎えてくる。ハインツ、おかえりー!」


 立ち上がった勢いそのままに、団長が跳ねるように部屋から出て行くと、残された俺とクラリスは互いに顔を見合わせ、

 

「……団長は大体いつもあんな感じなんで、はい。……お互い頑張りましょうね」

「うん、なんか……、クラリスの苦労がよく分かった気がする」


 これからも続いていくあのおっさんとの関係を頭に浮かべ、深い深いため息をついた。

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