第 陸 話

 魔狩家を出た時には、既に太陽は眠りに就いていた。

 宿泊する事も燈子に提案されたが、夕飯だけで十分だと言って遠慮する。

 まだ確認したい事もあったし、そもそも空が見えない環境ではあまり寝付けない。

 暗がりの村を歩きながら空を見上げる。

 雲一つない夜空に満月が輝いていた。

 満月の光が村全体を照らし出してくれるお陰で、灯りが無くても問題なく歩を進める事が出来る。

 こういう時に、あてもなく出歩くのが一番好きだ。

 だが、夜の静けさを楽しむ事は叶わなかった。


 ──おいおい、これはどういう状況だ?


「店主殿! 落ち着かれよ!」

「は、ははは、ハハハハハハハ」


 八百屋の店主が高笑いをしながら、道中姿の武士に襲い掛かっていた。

 武士は店主を宥めようとしているが、店主が止まる気配はない。

 武士の名前は、何て言ったっけな?

 長……五郎……駄目だ。思い出せねぇ。


 オレは、素早く駆け寄って店主を側面から蹴り飛ばす。

 不意を突かれた店主は、そのまま受け身も取れずに転がっていく。


「おい、五郎。何があった?」


 横目で五郎を見ながら声を掛ける。

 五郎は突然現れたオレに驚きつつも、次の瞬間には安堵の表情を浮かべた。

 よく見ると、あちこち切り傷が出来ている。

 この状態で刀を抜かないのは、何かの縛りか掟か?


「お主! よくぞ来てくれた! 助かったぞ! あと某の名は長曾我部ちょうそかべ──」

「なげぇ。状況を説明しろ!」

「ぬぅ……、店主が乱心した。某は走り去ろうとする店主を追ってここまで来たが、止めるまでには至らぬかった」

「店主がどうしてああなったか分かるか?」

「すまんがハッキリとした事は言えぬ。だが、お主らが去った後、すぐに河原へ向かって行ったようだ。もしかしたら──」

「アハ、アハハハ!」


 店主が高笑いながら、ゆっくりと起き上がった。

 手にしている包丁が月明かりに照らされて妖しい光を放っている。

 そして、店主から感じる嫌悪感は、日中潰したはずの『黒い桃』と同じだ。

 店主は妖気を纏っていた。


「また河原で拾って、食いやがったのか……。馬鹿野郎が!」


 店主はオレを敵と認識したのか、オレの声に反応して襲い掛かってくる。

 人間とは思えない速度で駆け寄ってくると、手にしている包丁を振り下ろしてきた。

 オレは店主の動きに合わせて懐に潜り込み、店主の振り下ろしている腕を掴んで、勢いそのままに投げ飛ばす。

 店主は再び受け身も取らずに転がっていく。

 まるで木偶人形を投げ飛ばしているような感覚だ。


 ──さて、生け捕るにはどうする? 四肢を砕くしかないか?


 ゆっくり起き上がる店主を見ながら思考を巡らせていると、店主の体が突如として真っ二つに分かれて崩れ落ちる。


「……は?」


 それが斬撃によるものだと気付くのに少し時間が掛かった。

 崩れ落ちた店主の先に抜き身の刀を手にした紋付羽織袴もんつきはおりはかまを纏った総髪の人物が立っている。

 総髪の根元に刺してあるかんざしが辻斬童子の動きに合わせて月明かりを反射していた。


「……辻斬童子!」

「なんと! あれが噂の『辻斬童子』!? ……想像よりもかなり華奢だな」


 辻斬童子は切り伏せた店主の亡骸を静かに見つめていた。

 相変わらず鬼を模した赤いお面の中を被っているせいで辻斬童子の表情を窺い知る事は出来ない。


『……何故、ここにいる?』

「あ?」


 お面を被っているせいか、くぐもった声が聞こえてくる。


『ここから先は地獄へと続く道。早々に立ち去れ』

「気取ってんなぁ。こちとら地獄から這い出てきた獄卒なんでな。今更ビビる場所じゃねぇんだよ」

『……愚かな。昨晩のように、見逃しはせんぞ?』


 辻斬童子から落胆する気配を感じ取った。

 手にしている刀に付いた血を掃い、下段に構える。

 どうやら今回はヤル気があるらしい。


「五郎、下がってろ。巻き込まれるぞ。あと、脇差を貸せ!」

「……斬るのか?」

「人斬りはしねぇ。棍棒代わりだ」

「委細承知。すまぬが任せたぞ」


 五郎から脇差を受け取り、逆手に構えると同時に走り出す。

 店主の亡骸を飛び越えて辻斬童子に肉迫する。

 鞘に収まったままの脇差を鬼の面に向かって振り下ろす。


『……何故、立ちはだかる?』


 半身でオレの一撃を躱しながら、辻斬童子が問い掛けて来る。

 オレは振り下ろした勢いのまま体をコマの様に回転させて再び辻斬童子の面を狙う。

 今度は躱さずに受け太刀をした辻斬童子に向かってオレは口を開く。


「お前が人間を殺したからだ」


 店主は明らかに何者かに操られていた。

 それを容赦なく切り伏せたコイツを野放しにするわけにはいかない。

 何か事情を知っているなら、情報を引き出す必要がある。


『これは最早人に在らず、悪の実を取り込み、悪道に染まった者の末路。われはただ裁きを下したに過ぎない』


 オレの手にしている脇差を掃いながら辻斬童子は後退する。

 距離を取って様子見したいんだろうが、そうはさせない。

 オレはすぐに距離を詰めて辻斬童子に肉迫する。


「悪人を裁いて善人気取りか? お前がやってる事は、人殺しと同じだ。人間の世界では、同族殺しは大罪なんだろ?」

『同じではない。……かつて悪鬼は人によって裁かれた。故に悪人は鬼が裁かなければならない。例え望まぬ末路だったとしても』


 オレの一撃を防がれた事で、再び辻斬童子と鍔迫り合いとなった。


「なるほど、一理ある。なら次に裁かれるのはお前だな。……人間如きが鬼を騙った罪は重いぞ?」


 近付いて確信した。

 コイツは人間だ。

 コイツからは妖気を全く感じない。


『──っ⁉』


 オレの気迫に圧されたのか、辻斬童子が息を飲む気配を感じ取る。


『貴女は、──いや、皆まで言うまい』

「……あ?」


 辻斬童子はオレの脇差を力任せに掃うと、一歩下がり刀を下段に構えた。

 早々にけりをつけるつもりのようだ。


『不本意だが、事が済むまでここで大人しくしてもらおう。覚悟!』


 言うが早いか、辻斬童子の動きが瞬間的に高速化する。

 流れるような上下段の二連撃。

 初手の下段からの斬撃で、オレの持っている脇差を弾き飛ばし、続け様に刀を振り下ろし、無防備となったオレの体を狙う。

 一切の無駄を廃した動きは、見惚れてしまいそうになるほど美しい。

 鍛錬を積む事で、確実に成果を上げる『人間』だからこそ出来る至難の業だ。

 口惜しいが、それだけは素直に認めざるを得ない。

 ──だが、それと大人しくやられる事とは話が別だ。


『──なっ!?」


 オレは一歩踏み込んで半身になり、上段からの斬撃を肩で受ける。

 当然、痛いし血が出るが、そのおかげで高速斬撃は止まり、辻斬童子の体が一瞬硬直した。


「悪いな。こちとら特別製でな。手加減された斬撃なんざ、効きゃあしねぇんだよ!」


 目で追える時点で、手加減されている事は解っている。

 本気で殺しに掛かっていたら、店主の時のように斬られた事にすら気付けないはずだ。

 理由は解らないが、なめているなら容赦はしない。

 半身になった際に後ろに下げた手で握り拳を作り、全身のバネを利かせた渾身の一撃を辻斬童子の仮面に叩き込む。

 偽りの面を打ち砕き、その先にある素顔を殴り飛ばす。


「──ぐっ⁉︎」


 受け身すら取らずに辻斬童子は地面を転がっていく。


「どうだ、良いのが入ったろ? ──って、お前は⁉」


 転がった先で辻斬童子が見せた素顔は、オレが最近よく見る顔だった。


「おいおい、燈子とうこ……。お前、正気か?」


 魔狩燈子が地面に膝を付いた状態で、そこにいる。

 だが、服装と髪形だけで随分と印象が変わるもんだな。


「すみません、その『燈子』という名もまた偽りです。性別も男です」


 ──女の方が偽りかよ。


 内心、動揺しそうになるのをなんとか抑え込んで、オレは口を開く。


「……何で女を装った?」

「女性のフリをしていたのは、元々村の子供達に女装を強要されていたからです。最近は、ちょっと楽しくなってきちゃいましたが」


 楽しくなっちゃうものなのか?

 いや違ぇ、指摘するべきなのはそこじゃない。


「加えて、祖母から貴女の事を聞き及んでいました。かつての英雄『桃太郎』を恨んでいると。そんな貴女に僕の本当の名前『桃次郎とうじろう』を名乗るのは危険と判断しました」

「とうじろう? ……おいおい、まさか」


 話の流れからして想像したくない事だが、コイツは奴の──。


「はい、僕は『桃太郎』の息子です。と言っても僕が産まれてすぐ、母と共に行方をくらませてしまったらしく、会った記憶は無いんですけどね」

「…………」


 オレは言葉を失った。

 単に騙されていた、という事もそうだが、仇の息子が近くにいて気付きもしない自分の不甲斐なさが一番大きいかもしれない。

 正直、感情がごちゃ混ぜになっていて、なんとも言えねぇ。


「すみません、貴女の言うように僕は大噓つきの悪人でした。……悪人狩りが一番の悪人だなんて滑稽ですよね。なので、悪人らしく、落ちるところまで落ちようと思います」


 オレの一撃を喰らった事によって、体がフラついていたが、燈子──じゃねぇ、桃次郎は踵を返して逃げようとしていた。


「おい待て! 動くな桃次郎!」

「したらば、これにて」


 取り押さえようとするが、肩の痛みで動きが鈍る。

 桃次郎は、その一瞬の隙を見逃さず、手にしていた刀をオレに向かって投擲した。

 負傷した肩に向かって正確に投げられた刀を辛うじて躱わすが、足が止まってしまう。


「──くっ、忍者かお前は⁉︎」


 悪態を吐きながら桃次郎を見ようとするが、既に桃次郎はこの場から離脱した後だった。

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