第 伍 話

 * * * * *



「ま、円さんっ! 待って下さい」


 店主が黒い桃を拾ったと言う河原に向かおうと、少し歩いた先で呼び止められる。

 振り返ると、燈子が風呂敷を抱えながら走り寄って来ていた。


「何だ? またお説教か?」

「違います。貴女に助けて頂いたお礼を、まだ言ってなかったので」

「……何の話だ?」

「嘘が下手ですね。ワタシが買い物出来るように、後ろで店主さんを威嚇してましたよね?」


 燈子は呆れたように溜め息を吐く。

 オレが去った後に店主にでも聞いたのだろうか?

 オレは明後日の方を見ながら口を開いた。


「さて、どうだったかな? そんな事より、さっさと媼の所に帰るんだな。時期に夕暮れになる。あんまり待たせると媼にシバかれるぞ?」

「あの、もし宜しければなんですが……」

「……ん?」



 * * * * *



「何だ、円か。そちらから足を運ぶという事は、何か進展でもあったか?」

「……報告に来たわけじゃねぇ」


 オレの言葉を聞いた着物を着た白髪の老婆『魔狩まがりおうな』が、訝しむ表情を見せながら首を傾げる。

 燈子に連れられて辿り着いた場所は寺子屋の裏手にある家だった。

 誘いを断っても良かったのだが、『貸しを残したままでは目覚めが悪い』と言い、何処か覚悟を決めたような雰囲気を放つ燈子の気配に興味が湧いてしまったのだから、仕方がない。


「ワタシがお誘いしました」

「ほぅ、珍しい。お前が友を招き入れるとはな」


 燈子の言葉を聞いた媼が感心したように頷く。

 だが、媼は勘違いをしている。


「いや、友達ダチじゃねぇ」

「……ほぅ?」

「頼んでいませんが、ワタシの買い出しを手伝って下さったので、不本意ながら借りを返しておこうと思いまして」

「ほぅ、そうか。それはさぞ楽しかったのだろうな」


 今度はオレを見ながら感心した表情を見せた媼。

 オレの内心を読み取ろうとしている気配を感じる。


「探るような目で見んじゃねぇよ。タダ飯に誘われたから来ただけだ」

「そうかそうか。まぁ、何はともあれ、客人という事ならもてなしてやらない事もない」

「……アンタにもてなされると、後が怖そうだ」

「では、準備をしてきますので、少々お待ち下さい」


 不敵に笑う媼に身構えつつも、今更帰る気にもならないので、居座る事にした。

 とは言え、媼と同じ空間にいるのは気まずいので、縁側に腰掛けて燈子を待つ。

 媼の趣味だろうか。庭に生えている木々や池は、綺麗に手入れがされていた。

 庭を挟んだ反対側にも建物が建っている。


「その先は道場だ。……と言っても、大した広さではないがな」


 オレの思考を読むように、媼が勝手に答えた。


「道場? 何某なにがしかの流派なのか?」

「いや、おおやけに『流派』と名乗れる程の物ではない。……そうだな。では一つ、手本を見せよう」


 媼はオレに酒の入ったお猪口ちょこを手渡してきた。

 まだ日が明るい内に飲もうとしてたのか、この婆さんは?


「それをしっかりと握っていろ」


 言いながら媼は居間から刀を取り出して構える。

 オレとの距離は七尺ほど約ニメートル


「おいおい、そっから何を──」


 オレが言いかけた時には、お猪口の下半分が別れて手から滑り落ちた。

 中に入っていた酒も零れて縁側付近の地面が景気よく飲み干してしまう。


「……おい、何をした?」


 ただの見えない斬撃、というだけではない。

 オレの手を一切斬らずにお猪口だけを真っ二つにしていた。


「己の定めたモノのみを斬る。それがわしの剣術だ。……名は特に決めていない」

「どういう仕組みだ?」

「……そうさな、『真眼しんがん』とでも言おうか? あらゆる障壁を無視して『真に斬るべきモノのみを斬る眼』を養う事で可能となる業だ」

「悪ぃが、その説明じゃ何も解んねぇぞ?」

「……考えるな、感じろ」

「さては説明が面倒になったな?」


 媼はオレの指摘を無視して刀を居間に戻すと、新しいお猪口と徳利とっくりを持って、オレからニ、三人分空けた縁側に腰掛ける。

 オレの分のお猪口は、無い。


「……儂の扱う術は、全てあの子に与えてある。武力という意味では、あの子は十分な力を身に着けている」

「なるほど。やっぱアイツ、剣術使えたんかよ。……じゃあ、何でアイツは頑なに使わないんだ?」

「……『悪』に対してのみ、使用するらしい」


 オレの質問に答えた後に、媼は手にしているお猪口を煽った。

 老人とは思えない、気持ちの良い飲みっぷりだ。


「定義が曖昧だな。何をもって『悪』とする?」

「自分の父が基準だそうだ。……この村では、あの子の父は悪人とされている」

「……へぇ、物取りでもしたか?」

「それは──」


「殺人ですよ」


 媼の声を遮って背後から声が聞こえてくる。

 振り返ると、食事を運んできた燈子が立っていた。

 燈子は配膳しながら話を続ける。


「ワタシの父は、罪の無い人々を殺めた悪人なんです」


 声色から燈子の感情を窺い知る事は出来なかったが、村の連中の態度もなんとなく理解する事は出来た。

 だが、共感はしない。

 仮に今の話が本当だとして、罪人の子供は罪人なのか?

 オレはそうは思わない。

 オレ自身がそうであるように、燈子もまた、無実の存在でしかないんだ。


「……その親父は何処に行った?」


 手早く配膳を終えた燈子は、少し沈黙した後に口を開いた。


「分かりません。父は母を連れて何処かに消えたそうです。ワタシが産まれて間もない時の話です」

「……」


 燈子の話を聞きながら、媼はお猪口に酒を注いで一気に煽る。

 所作は同じはずなのに、先ほどとは受ける印象が違う。


「さ、暗い話は終わりです。大した物ではありませんが、夕食になります。どうぞご笑味しょうみ下さい」


 飯の支度を終えて、こちらに顔を向けた燈子は、とても明るかった。

 自分の境遇を話した事といい、食事を用意してくれた事といい、少しは打ち解けたのだろうか。


「……あぁ、遠慮なく」


 自身の境遇に反発するような、不自然で儚い印象を受ける笑顔を見たオレは、控えめに笑って飯の前に移動する。

 他人が作った夕飯に舌鼓しながら、日が沈むのも忘れて『団欒だんらん』という物を久しぶりに噛み締めたような気がした。

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