第 肆 話
* * * * *
「──それで、おめおめと取り逃がしたと言うのですか?」
村の中を移動していた燈子は、オレの方を見ずに淡白な声色で問い掛けてきた。
言葉の選び方に、そこはかとなく馬鹿にされているような気配を感じる。
「うるっせぇな……。説教が聞きてぇんじゃねぇんだよ」
「そうですか、すみません。……あぁ、慰めて欲しかったんですか? 取り逃がして残念でしたね」
横目でオレを見ながら、表情を一切変えずに慰めてきた。
いや、かなりの勢いで馬鹿にされている。
最初に助けた時に感じた儚さは何処に行ったのやら。
だが、不思議とイライラはしない。
「慰めもいらねぇし、気持ちが全く入ってねぇ。なんだその塩対応は? そりゃ、友達も出来ねぇ訳だ」
「大きなお世話ですよ。必要ないからしないだけです。……いや、そんな事よりも、何で付いて来るんですか?」
燈子は足を止めて、オレを真っ直ぐ見ながら問い掛ける。
橙子を見返すと、困惑と怪訝が入り混じった微妙な表情をしていた。
「ん? お前を見つけたから」
「い、いや、そういう事ではなく。ワタシ達は連れ立って歩くような仲ではない、ですよね?」
「そうだな」
「では、何故隣を歩いているんですか?」
「お前に興味が湧いた。よく観察するにはなるべく近くにいた方が良いだろ?」
オレの返答を聞いた燈子は、眉間の皺を増やしながら、オレから一歩距離を取る。
「……またそういう歯が浮くような言葉を平然と!」
「あと、なんか買い物に苦戦してそうだったから」
声を掛ける前、燈子は米屋と味噌屋から袖にされていた。
何とか食い下がって買わせて貰っていたようだが、あんな調子では時間がいくらあっても足りない。
「み、見てたんですか⁉︎ ──じゃなくて! べ、別に苦戦はしていません! ここからが本番です!」
燈子は一瞬慌てた表情を見せて弁明し始める。
何で村の連中に冷たく扱われているのかは俺には解らないが、燈子としては自分で何とかするつもりのようだ。
「そうか、じゃあ頑張れ」
「も、もちろんです。……任せて下さい」
覚悟は決まっているようだ。
しかし、同時に不安も表情に出ている。
そんな表情で、高圧的な奴らを黙らせる事が出来るのだろうか?
燈子は、次は八百屋で野菜を購入したいようだ。
少し離れた所で右往左往した後、やっと腹を括ったのか、八百屋の店主に声を掛けた。
「あ、あの、や、野菜を、頂きたいのですが……」
「あん? なんだって? ここには嬢ちゃんに売るようなもんは──」
案の定、この店主も燈子に対して冷たい態度を取る。
オレは音を立てずに燈子の影から顔を出し、店主の視界に入り、無言の圧力を放つ。
──コイツに野菜を売れ!
「──ひっ⁉」
オレの圧に気付いた店主は小さく悲鳴を上げると全身から脂汗を吹き出した。
しかし、そこは腐っても店主。
燈子に対して引きつった笑顔を見せながらも口を開く。
「は、ははは、じ、嬢ちゃんは何が欲しいんだい?」
「えっ⁉︎ えっと、じゃあ、コレとコレと──」
緊張からか、店主の様子に気付かない燈子は、最初こそ驚いていたが、好機とばかりに野菜を選び出した。
「……ぬ、また会ったな。お主」
少し離れた場所で燈子が買い物を終えるまで待っていると、つい最近聞いたような声が後ろから聞こえてくる。
振り返ると、昨日河原で追い払った道中姿の武士が立っていた。
「あ? ……あぁ、昨日の
「某を人攫いと一緒にするでない! この女を遊郭に入れるなどありえん。然るべき位の然るべき場所にて、養われるべきだ」
武士はもっともらしい事を言いながら、うんうん頷く。
「怪しいし、大きなお世話だろ」
「怪しくなどない。某の名は『
「色々長ぇし、興味ねぇ」
「……ぬぅ、お主は辛辣だな」
丁度、燈子も買い物を終えたみたいだし、これ以上付き合う義理もない。
買った野菜を風呂敷に器用に包む燈子の姿を見ていると、野菜を並べる棚の端に、黒くて丸い物体がある事に気が付いた。
いや、正確に言うなら、煙のように揺らめく黒い気配を纏った物体だ。
一切の光を飲み込むかのような黒い煙を見ていると、生理的な嫌悪感を覚える。
間違いない、あれは『妖気』だ。
「おい店主。この黒い丸は何だ?」
「ヒェッ⁉︎ く、黒いの? どれの事ですか?」
「……それだ。その丸い奴だ」
他に黒い物は無いはずなのに、店主はどれの事を言っているのか分からない様子だった。
──やはり、店主には妖気が見えていないか。
あまり近付きたくなかったが、少し近付いて黒い物体を指差して、やっと店主は理解する。
「あぁ、これは近くの河原で拾った『桃』だよ。……別に黒くはないだろ?」
店主は手のひら大の桃を躊躇する事なく手に取ると、手首を左右に回しながら桃を観察しだした。
「これが『桃』? 某は初めて見るので、何とも言えんな……」
「ワタシも普通の桃に見えます。特に痛んでいる様子もありませんが?」
他の面々も桃を見るが、妖気は見えていないようだ。
まぁ、妖や、それに連なる存在でなければ知覚する事すら出来ない物だしな。
「美味しそうな良い香りがするんだ。何処から来たか分からないが、大自然の恵みに感謝だな。……一切れ食べてみるかい?」
「いや、いらねぇ。……て言うか、それ、食べないで捨てとけよ?」
店主の提案を突っぱねて、オレは睨みを効かせる。
どうなるかは分からないが、口にしない方が良いのは明らかだ。
「え、こんなに良い匂い──」
「チッ! 拉致があかねぇ」
「あぁっ⁉︎ お客さん、何を‼︎」
黒い桃を奪い取り、地面に叩き付ける。
追い討ちを掛けるように、黒い桃を踏み潰した。
黒い桃が纏っていた妖気が霧散していく気配を覚える。
「な、何するんすか、お客さん! 貴重な桃だったのにぃ。……弁償して下さいよ!」
半泣きになりながら店主が訴えてくるが、オレが非難されるような事は何も無い。
「拾ったんだろ? なら代金はいらねぇな?」
「うっ、いや、それは──」
「いらねぇな?」
「…………へい」
勝った。
いや、勝ち負けの話じゃないんだけどな。
正直、気分は良くなかった。
草履越しとは言え、妖気を纏う気色悪い桃を踏み潰すのは、生理的嫌悪感を拭えない。
オレは肩を落とす店主や驚いている周囲の奴等を放置して、その場を後にした。
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