ロゥ・ビー・リーズ

「……大変なことになっちまったな。だが、このチャンス、逃さない手はねえ」

 スパイダーと共にエストレアム王国へ襲撃をかけた二人の魔族。彼らは「ミユウには手を出すな」というスパイダーの命令通り、監獄以外の場所を戦場として街を襲っていた。

 そんな魔族たちが暴れている様子を、とある建物からひっそりと観察しているのはハバネルだ。

 フゥと共に指名手配中の彼は、誰にも伝えていない隠れ家へと彼女を連れて一時的に避難していた。

「ギルドハウスに張り付いていやがった王国騎士達は、この混乱でさすがに魔族との戦闘に加勢しに行ったと思うが……結局、外に出るのは危険か。まったくミユウと出逢ってから碌な事がねえぜ」

「……ミユウさん」

 城内でミユウが連行された後、当然ではあるがフゥは彼との共犯を疑われた。全ての事情を知る彼女は、それ故に素直な弁明をするが逆効果となってしまう。唯一、あの場でスパイダーを魔族だと判断できるワイズも、そのスパイダー本人が消えてしまっては調べようもなかった。

 そして、そのままミユウ同様に連行されそうだったフゥを助けたのがハバネルだ。

 謁見の間までなんとか入ることができた彼だったが、もはやギルドマスターとしても一人の知人としても彼女を救う方法は逃亡しか残されていなかった。

「ハバネル、なんで私を──」

「それは……お前の母親との約束だからだ。「フゥを守ってほしい」それがあの人と俺が交わした最後の言葉だったから……。だから俺はお前を守る。お前がどれだけ俺のことを嫌いになってもな」

 幼い頃に母親を亡くしたハバネルにとって、仕事で家を空けることが多かった父親の代わりに何かと面倒を見てくれたフゥの母親、ロゥ・ビー・リーズは彼の育ての親と言っても過言ではなかった。そしてロゥもまた、ハバネルのことをを実の息子のように、フゥの兄であるかのように思っていた。

 そんな二人の子どもがダンジョンに行くことを、彼女は少なからず心配に思っていたが、本当の兄妹のように仲睦まじく出掛けていく様子を見てしまっては何も言えなかった。

「お母さんが……」

「ああ。だからギルドを作った。そのまま、なし崩し的にお前も職員にするつもりだったんだけどな……。あの時はまさか断られるとは思ってなかったぜ。そこまでダンジョン配信に拘る理由はなんだ?それに、随分と危険なダンジョンにまで行く理由もだ。俺達は……少なくとも俺はダンジョンに関わる仕事ができればそれでいいと思ってた」

「それは……」

 フゥは口ごもっている。彼女はその理由をこれまで誰にも話したことがない。

「いい加減、教えてくれてもいいだろ……。このままじゃあ、いつか助けが間に合わない日が来るぞ。ただでさえミユウに助けられたのは奇跡だったんだ。ダンジョンで死にたいわけじゃあるめえし……」

 ハバネルの口調は諭すように優しくなっていく。指名手配を受け、魔族に国を襲われている今。これからの日々がこれまで通りにはならないことを十分に理解している彼は、フゥとの問題にケリをつけようと覚悟していた。

 そして、それはフゥも同じだったのかもしれない。

「……お母さんが死ぬ前の最後の夜、あなたが帰った後にわたしもお母さんと話をしてた。お母さん、きっと自分がもう長くないってわかってたんだと思う。あなたと同じように、わたしとも約束したの」

「まさか、その約束が理由か?」

 ロゥがフゥに対して、ダンジョンに無理矢理行かせるような約束をするはずがない。ハバネルはそれだけは確信していた。

 二人がダンジョンに行くのを、ロゥがあまり良く思っていなかったことに彼はうっすらと気づいていたのだ。

「いったいどんな約束を……」

「お母さんは悪くない。ただ「二人でずっと仲良く」って……」

「それじゃあ!ダンジョン配信なんてさっさと辞めて──」

「私はッ!私は変化が怖いの……。あなたと過ごした記憶なんて、ほとんどがダンジョンに行ったことだけ。それ以外のことをして、何かが変わってしまうのが……壊れるのが怖かった。だから、ギルドなんて捨ててからまた一緒にダンジョン配信を……。けど、あなたはそんなわたしを置いてずっと遠くへ行ってしまったと思ってた……」

「……そうか……はは。なんだよ、そんなことか」

 ハバネルは心の底から安堵した様子で、窓から空を眺めると、その後ゆっくりと目を閉じた。ロゥが死んだ日から、二人が心の内をお互いにさらけ出したことはなかったのだ。

 ハバネルは約束のために覚悟を決め視野が狭くなり、フゥは約束のために変化を恐れ立ち止まっている。

「そんなことかって……わたしにとっては大事なのッ!誰もがあなたみたいに、すぐ変わられると思わないで……」

「いや、解ってるよ……解ってたはずなのにな。フゥがそういう奴だって。簡単だ……俺達二人とも、ロゥさんのことが本当に大好きだっただけだ……」

「あ……」

 フゥは亡き母を思い、目に涙をためている。彼女の生まれ持った性格は簡単に変えられるようなものではないが、この瞬間から変化への恐怖が僅かに少なくなったのは間違いないだろう。

「それにな、フゥ。変化が怖いなんてのは最初の一回だけだ。一人で突っ走っちまった俺が説教なんてできる立場じゃねえが、立ち止まってるだけじゃあ相対的に世界から後退しちまう。世界ってのは常に広がってるからな。どんな方向を向いていようが、足踏みからでも始めるべきだ」

「……足踏み、ね。うん。そうする」

 それは、ロゥが死んでから初めてハバネルに対してみせた笑顔だった。細めた目からは涙が流れるが、ハバネルにはそれがどんな水よりも澄んで見えた。あの日から止まっていたフゥの足に力が入る。

「それじゃあまずは、指名手配と魔族をなんとかしねえとな。ミユウの協力があればどうとでもなりそうだが、監獄まで無事たどり着けるかどうか……」

「そうね……。それでもまずは、ここを出て向かっていくしかないんじゃない?生憎、今は足踏みからしてる余裕はなさそうだし」

 したり顔を見せつけるフゥの提案に、ハバネルは目を見開く。

「──それもそうだな。ったく自分で言ってて出来てないんじゃ説教も台無しだ。これだから勢い任せはよくねえ……」

「それじゃあ、お互い様ってことで」

 並んでドアを出ていく二人のその姿は、ロゥがいつも玄関で見送っていた子どもたちの姿そのものであった。

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