ピンク・スパイダー
「向いてない……そんなことは解っていますよ。でもハバネルが──」
「俺さ、この一ヶ月で一応ギルドのメンバー全員に会ったけどさ。なんだかんだ、皆やりがいってやつを感じてたよ。辞めたいって考えの人もいなかった」
フゥは俯いており、こちらからは表情が伺えない。
「それと、フゥが言っていた以前辞めたって人にも会った。こっちは偶然だけどね」
「……!そうです!彼は辞めたあと無理矢理ハバネルにダンジョン配信を邪魔されて──」
「今は別のことを仕事にしてた。でも、彼はそれで良かったと言っていたよ。いざダンジョン配信から離れて外側から見てみると、自分のような者にできることではなかったってさ」
「それじゃあなんですか……。私は被害妄想と自己中な考えでハバネルを恨んでたってことですか……」
彼女の声は小さかったが、洞窟にはよく響きはっきりと聞き取ることができた。声音は怒っているとも悲しんでいるとも思えない。強いて言うなら、自分に呆れているといった感じだろうか。
「今日はもう帰るか」
「……はい」
止めていた足を入り口の方へ一歩進める。
瞬間。
背後、洞窟の奥から何かが接近してくる気配を感じる。信じられない速度だ。間違いなく、これまでに遭遇したことのない何か。
「ミユウさん?どうしたんですか?帰り道は──」
フゥの言葉は最後まで聞き取れなかった。
俺は殴り飛ばされたのだ。咄嗟に腕で守りに入ったが、勢いまでは殺せなかったか。
「……武器、持ってきてた方が良かったかな」
まさか洞窟型のダンジョンでこんな目に遭うことができるとは。嬉しい誤算だ。
殴られた一瞬、相手の姿を見たがアレは間違いなくモンスターではなかった。
「……ふん。まあ、寝起きの一発目はこんなものか。それにしても、随分静かだと思ったが蜘蛛たちは殺されたのか。殺したのはお前か?それともさっき死んだあいつか?まあ、どっちにせよ今からお前を殺すことに変わりは無いがな」
「嘘……!ミユウさんが……!」
「いやいや、死んでないから!ちょっと両腕の骨にヒビが入ってるかもしれないけど……問題無し」
勢いに任した正拳突き、吹き飛ばされ壁面へぶつかった衝撃、さらに追い打ちのように崩れかかってきた岩。どれも初めての体験だったが、いい勉強になったな。
さて、出会い頭に殴られたんだ。こちらもお返しで一発いかせてもらうか。
「ミユウさん!」
「なんだァ?死んでなかったのか。寝起きとはいえ割と本気だったん──!」
とりあえず今はコイツとフゥとの距離を取らないと。俺も彼女を巻き込まずに戦えるかはわからない。
「フゥはできるだけ早く逃げた方がいい。アレの相手は俺一人でする。いや、したい。アレは多分……魔族だ」
「魔族……ってあの魔族ですか?でも彼女はどう見ても人間──」
「あァ!このスパイダー様を人間なんかと一緒にするとはいい度胸だな!女ァ!どっちも殺すが、まずはお前からだッ!」
魔族。
太古、世界の支配を目論んだ種族。そして、それを人族を含むあらゆる種族に阻まれ、戦争の末に絶滅した……とされている種族。
しかしそれも、現代を生きる者たちからしたらただの昔話だ。一部では、魔族など作り話であり、過去の戦争を美化するための嘘だとも言われ始めている。
ただ──
「アンタが魔族だろうが、そうじゃなかろうが俺には関係ないけどねッ!」
「きゃァ!」
言葉通り、スパイダーは一直線にフゥの方へ攻撃を仕掛けてくる。これはフゥだけ逃がすというのは難しそうだな。防衛戦は苦手だが、仕方ない。俺は二人の間に立ち、スパイダーの無数の打撃を受け流す。
確かに大雑把に見ると彼女は人間のようだ。
蜘蛛糸の束を無造作に、身体中に巻きつけただけの様な彼女の服装の中に見える皮膚も亜人のようには見えない。フゥでなくともそう言っていただろう。しかし、打撃を受ければ解る。
皮膚の硬さ、骨の密度、筋肉の瞬発力。身体の造りがまるでモンスターである。
こんな生物が本当に種族として大量に存在していたならば、大昔に生まれてみたかったものだ。
「なにを……ニヤニヤしてやがるッ!」
なかなかフゥへと攻撃が通らずに焦燥したのか、彼女の動きに無駄が見え始める。今ならフゥを守りながらでも、カウンターを決めることができるだろう。
「最高だ!」
「──がハッ⁉」
「今!最高に生を実感してるよ!」
攻撃の予備動作でできた隙を突くカウンターが、腹部へと綺麗に入る。
きっと俺はコレを求めてダンジョンに来ていたんだ。冒険者だろうがダンジョン配信者だろうが、なんならそれ以外のなんでもいい。魔族と戦えるのなら。
「……てめェ、一体ナニモンだ?まさか魔族ってことはねェよな」
俺から距離を取ったスパイダーは、先程までの獲物を狙うような目から一変して得体の知れないものを訝しむ目になっている。
「……何者、か。今までそんなことを聞かれたことも考えたことも無かったな……。こういう時は何を答えるのが正解なんだ?名前か、それとも職業、いや今回の場合は種族?」
俺は助けを求めてフゥへ目を遣ったが「私を巻き込まないで下さい!」といった具合に、彼女は顔を背けてしまった。
まさかフゥのやつ、自分が真っ先に怒りを買って命を狙われることになったのを忘れているのか?
「……俺はピンク・スパイダー!お前が言う通り魔族だ!どれだけの時間、封印されていたかは知らないが今一度この世界を支配するために返ってきた」
仁王立ちでそう高らかに宣言する彼女は、もしかして身を持ってお手本を示してくれたのだろうか。ならば俺はそれに倣って返すだけだ。
「俺はミユウ・ダンズ。人間……だと思う。生きるためにダンジョン配信をして、生を実感するためにモンスターを狩っている」
「そうか、人間か──ってそんなわけがあるかァ!クォーター……いや、少なくともハーフ。竜人か獣人、なにか亜人の血が混ざっているはずだ!ただの人間の……人間ごときの身体能力じゃ到底なかったぞ!」
彼女の赤い髪はその濃さを増していき、前髪は天を向いている。まるで威嚇する蜘蛛のようだ。なるほど、魔族は髪の毛にまで魔力が通っているのか。名前に違わぬ生態である。
しかし、彼女はなにをそこまで怒っているのだろう。先程のフゥの件と言い、やたら人間という単語に敏感である。
「もしかして、人間が嫌いなのか?戦争で負けたのを根に持ってるとか……?」
「──決定だ。やはり殺すのはお前からにするぞ!ミユウ・ダンズ!冥土の土産に、このダンジョンの真の力を見せてやろう!」
ダンジョンの空気が変わった。
彼女はひと呼吸置くと、目をゆっくりと閉じる。空間を肌で感じているその様子は、まるで洞窟と一体化しているようですらある。
そんな姿に思わず魅入ってしまうと、彼女は何かを呟いた。
「──『
それを合図に洞窟の壁はピンク色に輝き始める。
「これは……魔力か?」
「壁に……しかもただの洞窟の岩壁に魔力が流れるなんて、聞いたことありません」
「ただの洞窟じゃねえ。俺のダンジョンだ。魔族にとって自分ののダンジョンは自らの身体の一部も同然。魔力が流れるのなんて当たり前だ」
壁の光に目を奪われていた俺とフゥに対して、スパイダーは別人のようにゆっくりとした口調でそう言った。
否、口調だけだはない。
これまで人間のような見た目だった彼女の身体も大きく変わっていた。
全身に流れる魔力は血管と混ざり、皮膚を赤紅色に光らせている。さらに、その赤は身体だけに留まらず、その身に纏う糸にまで及んでいる。
「これが、魔族……」
恐怖か感動か、あるいはその両方か。震える声でフゥはそうこぼした。
「あいつの怒りの矛先は俺に向かってるはずだ。フゥは隙を見て今のうちに逃げてくれ」
口ではそう言ったものの、スパイダーから俺への怒りや殺気のような気配は無くなっている。かと言ってフゥに戻っているかと言われればそうでもない。
理由はわからないが、彼女はいたって冷静であるように見えるのだ。そしてその冷静な瞳で、こちらをジッと見つめている。
「そうしたいのは山々なんですけど……足が竦んでしまって……」
「……そうか、それじゃあ仕方無いな。今日のところは一旦出直すとしよう。悪いが運ぶぞッ──!重たッ!」
なんだこれ!フゥを抱えて運ぼうとしたが、彼女の身体はまるで地面に引っ張られるようにその場に留まろうとしており、僅かに持ち上げるので精一杯であった。
「なッ!ななななんてこと言うんですかッ!確かに最近、少しだけ──」
「すまない。ただ、本当に持ち上がらなくてだな……。力を入れてみてもいいんだか、そうするとフゥの骨が心配だ」
これは……重いというより、まるで地面に縫い付けられてるみたいに引っ張られてるぞ。
「二人とも逃さねえよ。お前らはもうこのダンジョンに掛かった餌だ」
俺達の一連の流れを静観していたスパイダーだったが、やはりこの現象の犯人は彼女だったようだ。
「その女はダンジョンの壁から出ている、見えないほどの細い蜘蛛糸で雁字搦めになっているのさ。無理に引っ張ろうものなら、糸で全身ズタズタかもな。そしてミユウ・ダンズ、お前も直に動けなくなるだろう」
「そんな……!」
「おォ……確かに身体が重くなってきたな」
これが魔族の力。ダンジョン本来の姿というわけか。これに加わって、モンスターまで使役されるとなれば厄介さはさらに増すだろう。
「だけど、これくらいの負荷があったほうが逆にいいかも……。骨もそろそろ治ったし、ちょっと本気出してもいいかもね」
「いやいや骨がそんな早く治るわけがないですから……」
俺はフゥとスパイダーの位置関係を確認しておく。元はと言えばダンジョンへフゥを連れてきたのは俺だからな。彼女の安全は最後まで確保しなければ。ピンクスパイダーの口振りからして、魔族とダンジョンの力も全て出し切っていると考えてよさそうだ。
そろそろ決着といこう。
「……減らず口をたたくのもそれくらいにしておけよ、人間。お前の力は認めるがこの状況で俺に勝てると考えているなら、自惚れが過ぎるぞ」
「そっちこそ──魔族が人間に負けたのを忘れてるんじゃないの!」
立った状態から、助走なしで出せる最高速度。先程カウンターを決めた腹部へもう一度ブローを決める。
「──ぐッ⁉ナメやがって!」
ギリギリで防がれたか。だが、彼女の体勢は次の一撃を防げるような状態ではない。
間髪を入れずに攻めれば終わりである。
左脚を軸に側頭部を目掛けての廻し蹴り。数秒前と比べてダンジョンから出ているの蜘蛛糸はさらに増えているのか、身体は水中にいるような感覚である。
果たして俺の本気の攻撃がこの状態でどれだけの威力になるのだろうか。
「──死なないようにね」
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