オーロラの雨

七草かなえ

オーロラの雨

 ここは私の夢の中だ。ただっぴろい若草色の野原に、大粒の雨が音もなく降っている。


 夢の中らしくあり得ないくらいに大きな雨粒の中にひかるのは――オーロラ。オーロラの雨だ。


 私はオーロラを実際には見たことはない。写真でならある。虹だったら片手で数えるほどの回数見たことがあるけど。

 本来天空に神秘的に広がっているはずのうつくしい光が、今は雨粒の中で揺らめく。まるで私を試すように。


 あてもなく不思議な雨の降る風景の中を歩き回っていると、ようやく一軒の民家を見つけた。煉瓦レンガ造りの小さな平屋。誰かの隠れ家のようにぽつんと、ひっそりと佇んでいる。


 身に纏う中学の制服であるセーラー服が濡れるのが気になり、私は迷わず民家のドアをノックした。こん、こん、こん。誰かいませんか。

 返事がないので勝手に上がり込むことにする。私の夢に登場するものはすべて私のものだ。どこかのガキ大将めいたことを小声で呟き家の中へ。途端にオーロラの雨の音が遠くなった。


「ようこそ」


 私と同じセーラー服姿の女の子が立っていた。辺りが暗くて、顔がよく見えない。


「あなたは?」

「わたし?」彼女は小首をかしげる。

「……他に誰もいないでしょ」

「ふふ、そうだったわね」


 妖しげに笑む気配。私の背筋が一瞬ながらぞくりと震える。


「わたしはね、あなたを夢の世界から連れ戻しに来たの。自分でベランダから飛び降りてから、ずっと眠っているあなたをね」


「――――ッ!」


 刹那、現実世界であったことが光の速さで蘇る。


 私は中学でいじめられていた。私は周りの子たちが好きになるようなアイドルや配信者やスポーツや、音楽や本やアニメが好きになれなくて。


 でも勉強だけはなぜかやたら良くできたから目を付けられたのだ。女子校という環境も良くなかったのだろう。それまでいくつかのグループにばらけていた教室は、私を攻撃するという目的のために一丸になっていた。


 親は厳しいばかりで私の味方になるとは思えなかったし、教師陣は頼れない面子ばかりだし。


 それでお昼休み、教室からベランダに締め出されたのでそのまま飛び降りたのだ。どうやら打ち所が悪かったらしく、半月経っても私は目覚めない。


「外で降っていた雨はね、あなたの涙なのよ」


 しっとりと湿度を含んだ声で、顔の分からぬ少女は言う。


「涙? あのオーロラの雨が?」

「そう。まだあなたには可能性かあるの。だから雨粒にひかりが宿っているのよ」

「可能性とか……何それ」

「あなたはお勉強が良くできるわ。だからクラスの連中なんかより、ずっと良い学校に行ける。それで見返すのよ」

「偏差値で差をつけろってこと?」

「そうね」


 バッカみたい。親や教師と言っていることが丸かぶりだ。

 いくら良い学校へ行っても、いじめがない確証はない。海外ではいじめ加害者に罰則がくだる国もあるらしいけど、我が国日本ではいじめ被害者ばかりが不登校や自死に追いやられる。そうして加害者がのうのうと生きているのだ。


「そんな可能性があのオーロラってこと?」

「ええ、そうよ。見返して幸せになるのが一番の復讐」


 


「……何それ」




 私の中で、何かが切れた。


「なんで私が見返すために頑張るの? いじめてくるあいつらには何も無しで、なんでわたしが幸せになるように、頑張らなくちゃならないの?」


 早口でまくし立てる。教科書やノートは破られ、靴はゴミ箱に。お弁当箱に虫を入れられたこともあった。階段から突き落とされて、足をくじいたこともある。


 それでどれだけ苦しいか、哀しいか、死にたいか。この目の前の少女はわかっていないのだ。


「どう考えてもあいつらのしたことは犯罪じゃん。器物破損とか傷害とかじゃん! オーロラ程度の可能性で私は現実には戻らない! あいつらが罰を受けるまでは戻らない!」

「そんな……」

「この家も良い隠れ家だななんて思って来たけど、あんたがいるなら出てく」

「待って、外は雨が」

「オーロラの雨は可能性なんでしょ? また綺麗に光る雨粒に打たれたほうがましっ!」


 言い切ってすぐに、私は民家を飛び出した。

 外で、オーロラを宿した雨に打たれながら。どこまでもどこまでも走った。

 


 やがて倒れて、過酷な現実に帰還させられてしまうことも知らずに。

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オーロラの雨 七草かなえ @nanakusakanae

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