第3話 運命の彼女
路上のゴミ
オルド国を撃破したことにより、リィア国内では祝勝ムードが続いていた。道行く人の挨拶は「おめでとう!」になり、商店では祝勝記念の品物が祝勝特価で売られ、飲食店ではどこもかしこもお祭り騒ぎであった。
そんな中で、1人だけ塞ぎ込むことも通り越して荒れに荒れている人物がいた。
「畜生やってられっかってんだ、俺はな、いつでも兵隊なんか辞めていいと思ってんだからな! そっちが報奨も何にもくれないってんなら、俺にだって考えがあるんだよ!」
リィアに戻ってきてから、ティロの警備隊での扱いはますます雑になっていた。2日連続で昼も夜も勤務を入れられたことにティロは抗議したが、「敵前逃亡したんだから文句を言うな」と取り付く島が無かった。
この日の夕方、ようやく勤務から解放されたティロは隊服を脱ぎ捨てると馴染みのよれよれの服に着替えて宿舎から逃げ出した。祝勝の雰囲気から逃げようにも逃げることが出来ず、ティロは安い酒を買って歩きながら一瓶を一気に飲み干していた。
行き場のない怒りと不満、それに伴う様々な感情が酔いを加速させてあっという間にティロは正体を失った。何もかもがどうでもよくなり、このまま死んでもいいとさえ思えてきた。
「大体さ、なんで100人は殺ったのに報奨がゼロなんだよ! 俺はタダ働きした覚えはねえぞ! どうなってんだこの国は!? おかしいだろどう考えたって!」
酒瓶を持って喚く男の周囲から自然と人が遠ざかっていった。「100人殺った」との発言も、酔っ払いの誇大妄想が言わせていると誰もが思って真面目に取り合おうとしなかった。
(どうせ、誰も俺の話なんか聞く気はないんだ)
小隊長から受けた「社会不適合者」の言葉がまだティロの胸に残っていた。
(俺だって一生懸命やってるっていうのに……どうしてこうなったんだろう……)
少なくとも、トリアス山では命を賭けて戦ったはずだった。それなのに、全てがなかったことにされたことが異様に腹立たしかった。
(もしエディアが何事もなければ、俺は今頃一体何をやっていたのかなぁ……)
18歳と言えば、士官学校を卒業する歳だった。そこで首都防衛について徹底的に勉強して、将来はカラン家と公開稽古も継いでそのうち親衛隊となって、エディア王家を守っていく。そんなことを幼い時はぼんやりと考えていた。
(もう嫌なんだよ、全てがなかったことにされるのは……)
過去も名前も全てを奪われた上に、予備隊で努力したのに特務へ上がることもできなかった。それに加えて今回の件で、ティロの心は「死にたい」という気持ちを通り越してしまった。
「あーやめたやめた! もうそんなのどうでもいいんだ! どうせもう俺はダメ人間の社会不適合者の欠陥品ですよ! まともに生きてるのが悪いんだ! はやく死ねばいいのに!」
どこにも行き場のない激しい感情を、自分の中で抑えることができなくなっていた。目の前の笑っている人間を全員殺して回りたいくらいの強い衝動がこみ上げてくる。そして、それを実行しようと思えばやすやすとこなせることも想像する。
(市民を殺して回ったら、死刑になるよな)
常に隠し持っているナイフの存在が大きくなった気がした。人にナイフを向けたことは何度もあった。トリアス山では大勢のオルド兵相手に剣もナイフも何でも突き刺してきた。そんなことを考え始めると、目の前の市民が全て倒す敵に思えてくる。
(その前に取り押さえられたところで殺されるな。いや、取り押さえにきた奴らも全員殺してやる。きっと全員オルド兵なんかより簡単に殺せるだろうな。やろうかな、やったら楽になれるよな、何人殺せるかな。100人より多く殺せるかな)
自分がどうやって取り押さえられるかという想像をしているうちに、急に愉快な気分になった。それと同時に全身がふらふらと揺らぎ、建物の壁にもたれかかる。そのまま仰向けに転がって、空を仰ぐ。
「でも今はダメだ、流石にまともに歩けねえや。やっぱり俺はダメなんだ」
寝転んだまま、横になって煙草に火をつける。全てがどうでもよくて、全てを忘れたかった。災禍のことも、予備隊のことも、トリアス山のことも、そして姉のことも自分のことも。とにかく全てを忘れたかった。
(全部忘れたら、どうなるんだろう。楽になるのかな。それとも、ただわけもわからず辛い感情だけが残るのかな)
酒と煙草のせいで乱高下する感情に身を任せ、ティロはひとりで笑い始めた。
(なんでもいいや。どうでもいい。どうせ俺なんて死んでるのと一緒なんだから)
空っぽの酒瓶を抱えて道端に寝転び、煙草を吸っている自分が酷く惨めで哀れだった。哀れになればなるほど過去の良い子だったジェイドを痛めつけて殺していくような気分になり、胸が軽くなるような気分になった。姉の指輪に触れようと胸に手を入れると、認識票に手が触れた。
(ティロ・キアンなんて存在しないんだよ。存在しない人間は報奨も階級ももらえないんだよ、わかりきったことじゃないか)
「どうせ俺はダメでクズでゴミの社会不適合者の欠陥品なんだから、認められたいなんて思う方が間違いなんだ。バカだよなあ、俺」
予備隊を出てから褒められたことは無かった。露骨な嫌がらせこそなかったが、反対に存在をなかったことにされることは多かった。大勢の中にいても話の輪には入れず、いつも隅の方に逃げていた。名乗るだけで気まずそうな顔をされたり、上辺だけ同情されたりした。喧嘩の仲裁や犯罪者の制圧に何度か駆り出された時は、せめて皆の役に立ちたくて危険なことも率先して行った。しかし返される評価は「あいつは予備隊出身だから」という色眼鏡だけだった。
一般兵として透明な存在で居続けることに限界を感じていた。しかし、リィア軍から出て行ってもますます透明な存在になるだけだという確信が除隊を思いとどまらせていた。
(せめて剣技だけでも思いっきりやりたいな。誰かと、思いっきり試合したい。勝ち負けとか、上下関係とか、そういうの一切なしでさ……そうでないと、俺が俺でいる意味がないんだよ)
剣技のことを考えると胸が痛くなってくる気がしたので、慌てて次の煙草に火を付ける。煙草を吸っている間だけは煙草のことに集中できた。それ以外のことは全てがどうでもよくなってくる。
「へへへ……泣きたいのに涙も出ないや。やっぱり欠陥品なんだ」
相変わらず身体は笑い続けていた。心は悲痛を訴えているが、頭はそんな心を押さえつけようとしている。張り裂けそうな胸の痛みを煙草で誤魔化し、酒で愉快な気持ちを上書きする。その繰り返し以外、この苦しみから逃れる方法が思い浮かばなかった。
「ざまぁねえな、こんなんがまともに生きたいなんて思うんだもんな、本当にバカ、俺ってバカ。望むだけ無駄じゃねえか。なんもねえのによお」
思いつく限りの泣き言を誰にともなく零す。そんな自分が惨めすぎてティロは再び笑い転げた。
「ねえ、隣いい?」
急に声を掛けられて見上げると、赤い髪の女性が隣に腰掛けていた。酒と煙草のせいか、その女性はやけに美しく見えた。
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