トリアス山

 トリアス山の麓に築かれたリィア軍の拠点は緊迫していた。長時間の自動車移動で、ティロは既に消耗していた。


 隣国とのオルド国とリィアが開戦状態になって数か月ほど経っていた。国境沿いの難所トリアス山で両軍はにらみ合い、先発で出陣した第1連隊は善戦するも突破口を開けずにいた。


 その理由はトリアス山の地形はもちろん、オルド側の備えもあった。山岳を多く有するオルド国で育った兵に比べ、平地の多いリィアの兵は山岳での戦闘に不向きであった。その上でオルド軍はトリアス山を重点的な拠点として、戦闘が困難になる冬までリィア軍を消耗させる作戦に出ていた。狭く慣れない山中での戦いにリィア軍は苦戦し、戦場では既に多くの血が流れていた。


(結局何でもいいんだけどさ。今の俺が死んだってどうせ誰も悲しまないし、この辺りで適当に死ねたら楽だと思うんだ。元々死んでいる身だし、元に戻るだけだ)


 一般兵になってから改めてエディアの事故を調べるために読んだリィア戦記には「被害概要」が別冊でついていた。最近編纂されたそれには詳細な被害の内容と死亡者と行方不明者の一覧があり、その中にジェイドとライラの名前を見たティロはひとつの大きな区切りを得た気分であった。自分が生きていることをリィア軍が認識していないことを確認できたのはよかったが、それでも今の自分について考えることが余計恐ろしくなって薬に頼る日々が続いていた。


 連れてこられた一般兵たちは整列させられ、7人の小隊を組まされた。ティロは第17小隊の一員となり、それぞれ等級と名前を確認された。


「なんだお前、11等だと……? ふざけてるのか?」


 小隊長にティロはさっそく目をつけられた。在軍歴3年以上という出兵条件の中で、いつまでも11等というのは通常であればあり得ないことであった。


「11等です、間違いありません」

「認識票はあるのか?」


 ティロは認識票を取り出して小隊長に提示する。小隊長は認識票をじっくりと眺め、再度ティロに問い糾す。


「本当にただの11等か?」

「……そのはずです」


 ティロのおどおどした様子を見て、小隊長はため息をついた。


「しかもキアン姓か。足手まといになるなよ」


 小隊長は吐き捨てると、ティロを見ることはなかった。他の第17小隊の隊員たちもティロを遠巻きに眺めるだけで、積極的に関わろうという者はなかった。何か嫌な感情が溢れそうだったが、キアン姓なんかに構う方がおかしいんだとティロは嫌な気持ちに蓋をした。


(別にどうでもいいか。俺ひとりいなくなっても構わないだろうし)


 その後、出撃に備えて到着した兵士たちへの訓示が行われた。前方で指揮官が何事かを怒鳴っていたが、全てティロにはどうでもいいことだった。


(ま、いいや。で、何だ? オルド兵をやっつけりゃいいんだよな)


 実戦で刃のついた真剣を持たされるのは初めてであった。一般兵の装備は警備隊員をしているときと同じ、防刃チョッキだけであった。それに加えて真剣を持たされて、他の一般兵たちは多少慄いているようだった。


(要は味方を斬らなきゃいいんだよな?)


 雑な理解でティロは真剣を握る。試合で剣を持って相手と対峙することは数え切れないほどあり、害するために刃を他人に向けたことも何度かあった。それまでは身を守る目的がほとんどであったが、今度のティロは心持ちが大きく違った。


(つまり、斬って斬って斬りまくっていいんだな?)


 特務に上がれず、実力を発揮することが出来ない鬱憤は積もりに積もっていた。剣の鍛錬は一応続けていたが、実力に見合う相手がいないので思うような鍛錬は出来ていなかった。


(とりあえず深緑色の奴ならいいんだよな?)


 オルド国の一般兵の制服は深緑で、山の中では青鼠色のリィア国の制服の方が目立つ。相撃ちにならないことだけを考えてティロが剣を握っていると、同じ小隊の隊員に小突かれた。


「ほら、お前の荷物だ。ぐずぐずするな」

「え、あ、荷物?」


 隊員から大きな荷物を受け取り、ティロは困惑する。


「お前話聞いていなかったのか? 第16小隊から第20小隊は補給部隊に入るって言われただろう?」

「補給部隊……」


 ぼんやりしていたティロを隊員は哀れむような目で見ると、既に歩き始めている他の隊員の後についていく。急いでティロも荷物を背負って隊の後ろに並んだ。


(そうだよな、11等ごときがまともに敵と戦えるわけないよな。そういうのは撃破部隊の仕事なんだから……俺たちは最低限の装備で、物資を運んで往復するだけなのかな)


 渡された真剣も護身用の意味合いが強いことをティロは悟り、勝手にひとりで盛り上がっていた自分が心底嫌になった。


***


 リィア国が位置する半島の付け根にある山脈にオルド国は位置し、領内には人が通行するのが厳しい山々が広がっていた。その山々に高地で遊牧を行っていたオルド民族は通路を通し、関所のそばに宿場町などを設けることで交通の要所として国家を築いた。大陸と半島の玄関口として大陸側に位置する首都には大きな関所があり、そこから山脈を超えて人や物が半島に入ってきていた。


 人が入れないような他の険しい山に比べて、トリアス山は比較的通行が容易であった。しかしそれでも切り立った崖や渓谷、むき出しの岩場などが各所に点在して危険な箇所が多かった。その中をティロは大荷物を背負って部隊の後ろをとぼとぼと歩いていた。


(山は久しぶりだな……)


 ティロは予備隊時代の山岳訓練を思い出した。大きな荷物を背負って何度も拠点と拠点を往復したのを思い出し、その訓練の成果が今発揮されているのかと思うと何とも情けない気分になった。


 全滅を防ぐため、補給部隊は小隊ごとの行動になっていた。ティロの所属する第17小隊の隊長も他の隊員も、険しい山に入るという経験はあまりなさそうだった。


(俺が特務に所属してたら……いや、カラン家の次期当主だって知ったらみんなどう思うんだろう。荷物背負いなんかしてる場合じゃないんだよ、敵を斬って斬って斬り捨てるし、そもそも俺はこんな前線にいていい奴でもないんだよ……って、そんな話はもう誰も信じないよな。俺はただの荷物持ちだし、そもそも欠陥品のお荷物みたいな奴だし、ここいらで討ち死にとかした方がいいのかもしれないな)


 悶々と山を登っていると、ついに目の前にオルド兵が現れた。ティロが振り返ると、後ろからもオルド兵の小隊がやってきていた。しかし、前方のオルド小隊に気を取られて第17小隊は後方のオルド兵の接近に気がついていなかった。

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