今生の別れ

 クロノから予備隊の教官になるために一般兵へ在籍することを勧められたティロは、残りの数か月の予備隊への在籍を許された。後に正式に予備隊を出てから一般兵としてリィア軍に在籍することが決まり、それまでに自殺未遂騒動で不安定になった体調を戻すことに専念するよう言われていた。


「さて、こいつともこれでお別れだ」


 シャスタが予備隊を去る日がやってきた。29番の認識票を首からはずし、シャスタは振り回してみせる。認識票を返還すれば、二度と予備隊へ戻ってくることは許されなかった。


 ティロは相変わらず理由のわからない重苦しさでベッドに倒れていた。部屋にもうひとつあるベッドの周囲のものはきれいに片付けられ、そこに誰かがいた痕跡を探すことはできなかった。


「そして俺は明日からシャスタ・キアンなんだってさ」


(キアン姓か……うちの犬みたいな名前だな)


 ティロもリィア軍に所属する際に、姓を持たない孤児に送られる「キアン姓」を名乗ることになっていた。


「なんだろうな、俺も立派になったな。もう29番! って呼ばれなくていいんだっていう実感が全然なくて」


 シャスタはキアン姓でも名前をもらったことが嬉しそうだった。


(結局聞けなかったな……こいつの事情)


 特務に上がれないティロがシャスタと話が出来るのは、これが最後だと思った。特務に上がれば二度と日の目を見れないようなことをしていかなければいけない。それは一般兵という表の世界に放り出されるにティロとは相容れない裏の世界だった。


「あのさあ……」

「何だよ」


(どうせもう二度と会えないなら、せめて本名を明かしてもいいんじゃないか)

(でも、あいつは特務に行くんだ。どこかで俺の正体がわかったらこいつも無事で済むものか)


 ティロは大いに悩んで、何も言うことはなかった。最後の機会に話すことを一生懸命考えたが、ある意味命の恩人である彼にかけるべき言葉が見つからなかった。


「何も言わないなら俺から言わせてもらうぞ」


 先にシャスタが詰め寄ってきた。


「いいか、お前は一般兵なんてぬるい世界で生きていいタマじゃないんだ、それはわかってるよな?」


 急に痛いところを突かれて、ティロはますます黙り込んだ。


(そりゃな……本来なら俺は一体何してるんだって奴だからな。何もなければ今頃士官学校に行ってたのかな……)


 気持ちがどこまでも沈んでいるため、本来のジェイドとしての在り方を考えそうになってしまいティロは慌ててシャスタの方に向き直った。


「そうだろう? 一般兵でごく普通の警備隊員なんて絶対お前に相応しいと俺は思わない。でも、特務が無理って言うならきっとそうなんだ。俺もそれは仕方ないと思う。だけどな、だからと言ってもう自分から死ぬなんてのはやめてくれ」


 全てが痛い言葉だった。もしシャスタが駆けつけて来なかったら河原で力尽きていたことを思うと、とりあえず進路が開けた今になってティロは恐ろしいことだと思っていた。それでも体を覆う黒いものは「死ねば楽になるのに」と囁いてくる。


「いいか、二度と馬鹿な真似はするな。今度やったら死ぬより酷い目に合わせるからな」

「うるせーな、わかったよ」


 ティロは黒い塊の囁きを振り払うように何とか起き上がった。予備隊に入ってずっと一緒に暮らしてきたこの男とはこれでおしまい、と思うと名残が尽きなかった。


「まだ時間があるんだろう? 今から手合わせ、するか?」


 ティロは動かない体を何とか動かしてみせる。シャスタには少しでも元気であるように見せたかった。


「いいよ。どうせ勝てないし、今のお前に勝っても仕方ないし」


 シャスタは相変わらず他人の気持ちを推し量らないような返事をした。その返事にティロががっかりしたのを見て、シャスタは更に続けた。


「それに、最後なんて嫌じゃないか。また今度手合わせしようぜ」


 その「また今度」が来ないことはわかっていた。それでも、いつか再会できると信じるくらいの希望が欲しかった。


「……そうだな」


 心底別れがたいという気持ちが互いの中でひとつになっていた。


「それまで生きてろよ」

「わかった、生きてる」

「死んだらぶっ殺すからな」

「それはお互い様だ」


 名残は尽きなかった。シャスタは最後まで「死ぬなよ」とティロに念を押し続け、部屋を後にした。ひとりになったティロはシャスタがいなくなったことで、ようやく我慢するのを止めて泣くことができた。


「また俺は友達を失ったんだ……俺が至らないばっかりに……もう二度と何も無くしたくないって思ったのになあ……」


 涙を流しながら今去って行った親友と、かつて手を離してしまった親友のことを思い出す。事あるごとに災禍のあの日を思い出していた。守りたいと思ってずっと握っていた手を二度と握れないと知ったあの瞬間は、姉との出来事の次に夢に見るほどティロの中で深く傷ついた出来事になっていた。


(大丈夫、僕らがいるじゃないか)


「そうだ、そうだね……予備隊も出たら、僕はまたひとりぼっちになるんだ。誰も知らないところで生きていかなきゃいけない」


(もう死ぬのはやめたのか?)


「まあね、だって死ぬより酷い目に合わせられるからな」


(そっか、じゃあもう少し生きようか)


「うん……せっかく僕のためにみんな一生懸命動いてくれたんだ。この体を何とかして、僕に生きていていいって言ってくれた人のために働かないと」


 それからティロは涙が落ち着くのを待って、修練場に行くと一心不乱に鍛錬を始めた。


「もう俺には剣しか残ってないからな」


 それから予備隊を去るまで、ティロはずっと剣技の鍛錬をしていた。剣を持っている間は何も考えなくてよかった。上級生として指導すれば下級生から礼を言われ、ティロの進路について話を聞いた教官からは「お前が来てくれるなら心強い」と励まされた。


(きっと剣なら、俺の悩みは全部解決してくれるんだろう?)


 かつて剣を持って声を出せるようになったことを思い出していた。また剣に頼めば、この体を覆う黒いものを完全に剥がせるのではないかと期待した。


***


 数か月後、ティロが予備隊を去る日がやってきた。身体の感覚は大分戻ってきていたが、心を覆う黒いものがどこかに行くことはなかった。


 早朝、誰もいない修練場でティロは模擬刀を右手で持って鍛錬をしていた。


「大丈夫、剣だけは絶対裏切らないんだ。俺は剣を信じていけばいいんだ」


 模擬刀を納めると、ティロは修練場の扉を閉めた。


 そしてティロは32番の認識票を返還し、自他共に様々な心配を残したまま予備隊を去った。ひとまず残された希望である「再度特務に戻って予備隊の教官になる」という目標は胸にあったが、それ以外は不安しかなかった。

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