第7話 自傷行為

異物

 予備隊を卒業したティロは、一般兵ティロ・キアンとしてとしてリィア市街の警備隊員に配属されることになった。 リィアでは警察と軍が独立しておらず、一般兵の仕事はほぼ警察と同じものだった。一般兵の階級は見習いの12等から始まり、見習いの研修を終えると誰でも11等に昇進できた。


 ティロは予備隊役を考慮され、研修を免除されたためにいきなり11等として勤務することになった。ティロが所属する隊の隊長は、勤務初日に面談と称してティロを呼び出した。真新しい青鼠色の隊服に身を包んだティロには不安しかなかった。


「予備隊を出たのに特務行かなかった? 何故だ?」

「……閉所恐怖症です」


 隊長はティロの資料をろくに読んでいなかった。新人に丁寧な指導などしているだけ無駄だという考えの隊長は、予備隊についても憶測と偏見でしか理解がなかった。


「だから何だ? つまり、無能ってことだな? 全く、とんでもない荷物を押しつけやがって……どうせろくでもないんだろう?」

「はい……」


 威圧的な隊長に、ティロは何と言ってよいのか全くわからなかった。


「せいぜい問題を起こさないよう頑張ってくれ」


 隊長からは何の期待も抱かれなかった。下手に気に掛けてもらうより気楽だと思う反面、言い様のしれない感情が溢れてきた。ティロはその感情を咄嗟に見ない振りをして、曖昧に笑うしかできなかった。


 勤務初日はただ先輩の後ろに着いていけばいいだけなので、楽であった。しかし、その夜に同僚たちから「歓迎会だ」と無理矢理酒場に連行され、ティロはずっと狼狽えることになった。


(どうしよう、全然どうすればいいのかわからない……)


 予備隊での暮らしが長く外界と隔てられていたティロは、いわゆる「普通の人」との会話の仕方を忘れていた。言われたことは淡々とこなせるが、それ以外の会話については全くできそうになかった。


「お前どこから来たんだ?」

「キアン姓なんて苦労してきたんだろう?」


 同僚たちはティロに何事かを話しかけてきたが、何を答えていいかわからないのでティロはただ頷いたり笑って誤魔化したりを続けた。次第に同僚たちも今回の新人が「つまらない奴」だということがわかってきた。ティロも勧められるままに酒を飲まされたが、水でほどよく薄められた酒の味はよくわからなかった。


 そのうち酒が回ってきたのか、同僚のひとりが切り出してきた。


「なあ。隊長から聞いたんだけど、お前予備隊出身なんだって?」

「え、あ、そうですけど……」


 予備隊という単語で一気にティロに注目が集まった。


「人殺したことあるのか?」


 なんと答えればよいのか一切わからなかった。肯定をしても否定をしても、どこか馬鹿にされていることは覆らないと思った。ただ黙って下を向いているティロを見て、同僚たちはこの陰気くさい訳ありの男には関わらないほうがいいと察した。


 その後すぐ店から出たが、誰もティロに話しかけることはなかった。ティロを置いてさっさと二軒目を探しに行った同僚たちから逃げるようにティロは宿舎へ戻っていった。


(やっぱり予備隊出身だってわかると、警戒されるよな……)


 リィア軍に所属していれば、予備隊が触法少年の溜まり場という共通認識があった。エディアでの過去に加えて予備隊という過去も封印されたティロは再び世界から切り離されたような気分になった。


 それから気がつけばいつも下ばかり向いて、無意識にどこかに隠れるようになっていた。予備隊では支給してもらっていた睡眠薬がなくなったため、ますます不眠はひどくなっていった。必死で仕事は覚えたが、褒められることは一切なかった。


***


 一般兵でも定期的に剣技の稽古はあった。予備隊ではティロの剣技の腕があれば周囲も何とかしてくれるだろう、と慰めてくれていた。しかし、ティロはこの時間が一番嫌いであった。


(何が悲しくて俺がこんな稽古に参加しなくちゃいけないんだよ……)


 それはティロにとっては初等とも呼べない、ただの寄り合いのような稽古であった。多くの参加者は剣技の稽古を義務として面倒くさがっているか、同僚と楽しむ社交の場としてしか認識していなかった。


(真面目にやりたかったら街の修練場へ通えって言うんだよな。でもそんな金もないし、そんなところで学ぶことなんてないだろうし)


 毎回稽古に嫌々参加しながら、ティロは隅の方で小さく素振りを繰り返すだけだった。それすらも次第に面倒くさくなり、初めて参加してから5回目の稽古では不眠4日目ということもあって、まともに素振りをすることもなかった。


「おい! そこの予備隊野郎!」


 寝不足でぼんやりしていたために、その日の稽古主任に目を付けられてしまった。


「……はい?」


 思わぬ差別的な呼びかけに、ティロの頭の中で何かが切れた。


「何だその口の聞き方は!? そんなんだから特務から弾かれたんじゃないのか!?」

「それとこれとは関係ないだろう!! こんな稽古ダルくてやっていられるか!!」


 寝不足と様々な鬱憤が混ざって毒づくティロに一斉に非難の視線が飛ぶ。


「貴様、稽古を何だと思ってる!?」

「うるせえ! まともに素振りも出来ないくせに偉そうなことぬかすな!」


 生まれたときから剣を握らされてエディアの公開稽古を背負う立場だったティロから見れば、一般向けの定期的な剣技の稽古は腕ならしにもならなかった。それどころかティロから見れば稚拙な指導で、腹立たしいこと仕方なかった。


(なんだよ、全員ぶった斬ればいいのか!? やんのか!?)


 冷静さを欠いたティロが飛び出す前に、もう1人の稽古主任が間に入った。


「まあ、待ちなさい。君、よほど腕に自信があるんだろう?」


 もう1人の稽古主任は、この辺りでは一番の腕を持つと評判であった。


「どんなに自慢の腕があっても、そう刃向かうばかりでは剣技にならない。どうだ、私とひとつ手合わせをしないか?」


 その提案に修練場は沸いた。

 

「いつもの強いところ見せてやってください!」

「いいぞそんなチビやっちまえ!」


 修練場内部は稽古主任の味方をしているようだった。


「遠慮なくかかってきなさい」

「いいんですか?」


 模擬刀を持って対峙し、ティロは念を押す。


「いいに決まってるじゃないですか、手加減なんて要りませんよ。さあ試合を始め」


 言葉は途中で途切れた。ティロの鋭い一撃が稽古主任の胴を思い切りなぎ倒していた。相手を倒して冷静になったティロが感じたのは、他の参加者の冷たい視線だった。


「なんだあいつ」

「ちょっとできるからって偉そうに」

「予備隊だって言ってたからな」

「下手すると殺されちまうかもな」


 ひそひそと聞こえてくる声に居たたまれなくなり、ティロは模擬刀を捨てると修練場から逃げ出した。


(何だよ、何だよ!! 俺が何したって言うんだよ!! 手加減するなって言ったから真面目に試合しただけなのに!!)


 その後、ティロが稽古に参加することはなかった。参加することを強制されてもティロは頑として出席せず、稽古から逃げ回った。そのせいでますます周囲からあることないこと囁かれ、ティロは孤立を深めていった。

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