進路

 ようやくティロが起き上がってまともに会話が出来るようになると、クロノに面談室に呼びだされた。


「……困ったわね」


 開口一番、本当に困った顔をしたクロノを前にティロは今すぐにでも消えてしまいたいと思った。


「ごめんなさい、やっぱり俺なんか」

「もうその話はおしまい。少なくとも前向きな話をするべきよ」


 ティロが特務へ上がれないことは特別訓練の結果から明らかであった。しかし、ここまで優秀な成績を残した予備生を適性なしと見なすことができないことも明らかだった。


「でも、もう特務には進めないって……」

「そうなのよね……」


 ティロの処遇について、ここ数日特務と予備隊内では大いに議論が尽くされた。任務には使えない、しかし適性は十分で閉鎖空間へ赴く以外のことなら全てにおいて優秀という判断に困る案件を予備隊はここまで抱えたことがなかった。


 策として、絶対閉鎖空間には入らない任務のみを与えることが考えられた。しかし、特務の特性上そんな任務があるとは思えなかった。事務仕事を任せるという案もあったが、才能を飼い殺しにすることになるということで却下された。


「ねえ、もし何か事情があるなら話してみる? あなたが地下に入れない事情に正当なものがあるなら、考慮してもらえるかもしれないわ」


 クロノはティロに何らかの事情があるなら、それを踏まえた策を講じるべきだと考えていた。

 

「……もういいんです」


 しかし、ティロは埋められた話をする気は全くなかった。その話をするのであれば、不都合なことも全て話さないといけなくなるためであった。


「そう、結局あなたからは何も話が聞けなかった。ここにはいろんな子がいるからね、たまにいろんなことを話してくれるんだけど……いいの?」

「そんなに特別な話じゃないですから。ただ家も親もなくて、それだけです」

「またそれだけ、ね。でもそうやってまともに話が出来るようになっただけ成長したわね」


 ティロは青白い顔を上げる。そしてクロノに連れてこられた時のことを思い出した。


「それは、本当に感謝しています。もしここに連れてこられなかったら、どうなっていたのか自分でもたまに怖くなります」

「予備隊っていうのはそういう子を選んでいるのは間違いないんだけど、そう言ってもらえたら光栄ね」


 もしあの時警備隊員を刺さなかったら、もしあの時剣を持たせてもらえなかったらと考えるだけで身が凍る思いがした。思いつくのは野垂れ死にか、更に悪い連中に目を付けられてより酷い目に合わせられたかのどちらかだった。


「覚えているかしら、あなたと初めて会った日。最初にあなたを見たとき、私は殺されるんじゃないかって思ったの。それほど強い殺気を放っていたのよ、あなた」

「そうだったんですか……?」


 クロノと初めて病室で会った日のことは覚えていた。その時は「この人は全く隙がない」と眺めていただけのような気がするが、クロノからすれば強い威嚇に感じたのかもしれない。


「ふふ、自覚がないのもあなたらしいわね。少しでも気を抜いたら私の方がやられるって、ドキドキしながらここまで連れてきたのよ。そんな状態のあなたのことだから、いきなり集団に放り込めば間違いなく何かしらのトラブルが起こる。だからあなたを一度隔離する必要があった。最初にひとりで過ごさせたのはそういうことよ」


 クロノから最初の特別扱いの真相を聞き、更に自分が情けなくなった。


「そんなに酷かったんですか……?」

「酷いなんてものじゃないわ。子供のいる母熊か、飢えた手負いの狼か。そのくらい酷かったのよ。ただ、この子は手懐ければ優秀な狼になる。そう私は確信したから、あなたを連れ帰って、ここまで育てたの」


(優秀な狼、か……)


 獣のようだと言われて恥ずかしかったが、その奥にカラン家の次期当主としての資質を見出してもらっていたことが嬉しかった。自分の正体をクロノに明かしたらどうなるかと一瞬考えたが、待っているのはより惨めな死以外ないと悟った。


「つまり、何が言いたいかと言うと、まだあなたは頑張れる。あんなにどん底だったのに、ここまで立ち直れたじゃない。こんなところで挫けるには勿体ない」

「でも、もう特務には……」


 ティロが項垂れると、クロノが微笑んだ。


「そこで、提案があるの。少し先になってしまうんだけど、私たちの手伝いをしてみない?」

「え?」


 クロノの提案はティロにとって意外なものだった。


「せっかくここまで頑張ったんですもの。それをなかったことにされるのは、私としても非常に納得がいかない。でも、あなたが特務に向いていないというのも間違いない。そこで、あなたに予備隊の教官という進路を用意したいの」

「教官……」


 考えたこともなかった。ただ特務として犬のようにこき使われるだけだと思っていたので、それ以外の待遇があるとは予想もしていなかった。


「ただ、予備隊の教官になるには一度特務に在籍してもらう必要がある。そのために、一度一般兵からもう一度リィア軍に在籍してもらうことになるわ。それから10年、なんとか一般や執行部で頑張って。そこからの外部試験なら十分合格できるはずよ」


 ティロは10年後を想像しようとして、26歳の自分がどうなっているかを全く想像することができなかった。


「つまり、俺は一般兵になるってことですか?」

「そうよ。こんなことは滅多にあることではないから私たちもどうなるかわからない……でも、あなたならきっと乗り越えると私は信じているわ」


 クロノはため息をついて、ティロを見つめた。ティロはクロノから勧められた「予備隊の教官」という進路について少しクロノから話を聞いてみたいと思った。


「あの……どうして教官に?」


 クロノは遠い目をして話し始めた。


「そうね……私も予備隊育ちなのは知ってるわね。生まれも育ちもどこなのかよくわからない馬鹿な娘が馬鹿をやって捕まった。特務の仕事は楽しかったわ。だけど、私は予備隊に未練があったの」

「未練、ですか?」

「ええ、うまく言えないけれど大事なものを置いてきたというか、やり残したことがあるというか……そんな感覚があってね。それなら教官になればわかるかもしれないって思って、志願したの。予備隊の教官なんて地味だからあまり人気が無くて、すぐに配属されたわ」

「それで、その大事なものは見つかったんですか?」


 その質問に、クロノは微笑んだ。


「今でも探しているわ。でも、少しずつ見つかっている気もするの」

「何ですか、それ」

「あなたにも直にわかるわ」


 クロノはそれ以上を話そうとはしなかった。


「それにしても……よくここまで大きくなった。あんなに小さくて怯えていた子がと思うと、結果はどうであれ私は嬉しくて仕方ないわ」


 ティロは「小さい」という言葉に引っかかったが、クロノから褒められているのだということはわかった。


「大丈夫、あなたなら大丈夫よ。またあなたに会える日を楽しみにしているから、それまで頑張るのよ」


 クロノの言葉に、懐かしい響きを感じた。


『大丈夫よ、大丈夫。私たち二人なら、何とか乗り越えられるはずよ』


 エディアを出るときに姉からかけられた言葉だった。クロノの前では涙は見せまいとティロは堪えた。それから面談室を出て、ようやく涙を流すことが出来た。


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