特務予備隊編

第1話 子供の世界

ひとりぼっちの夜

 名もなき野良犬から、32番のティロとしてリィアの特務予備隊に所属させられてから1年ほどが経った。


 話に聞いていたとおり訓練は過酷であった。剣技や体術はもちろん、筋力や持久力を強化する訓練、更に座学の場でもティロは多くの脱落者を見た。数度の脱落でこれ以上の見込みがないとされた者は、次の日の朝には姿を消していた。どこに行くのかを教官たちは教えてくれなかった。


 また、訓練途中で大怪我をして再起不能になり、そのまま息絶える者もいた。最初は死人が出ることと周囲が平然としていることにティロは驚いた。しかし、予備隊で1年経つうちにティロもすっかり慣れてしまった。


 そんな過酷な環境であったが、路上で明日をも知れぬ生活をしているより幾分もマシであった。ロッカー事件以降は、格上の相手数人に一人で立ち向かったとして周囲からは一目置かれるようになった。剣技もしばらく全くの初心者のふりを続けたが、半年ほど過ぎた辺りで思い切り剣を振ってみると、死んだ気で馴染ませた左手やリィアの型がかなり様になってきた。素人の「実演」も行う必要がなくなり、剣技については心配事がなくなった。


 剣技の他に行われる訓練や集団生活などには何とか死んだ気で順応できたが、もうひとつ生活面で大きな問題を抱えていた。


(後は、これさえなければここも悪いところじゃないんだけどな……)


 それは夜、寝るときのことだった。10歳以下は男女を問わず、大部屋の三段ベッドに無理矢理押し込まれる。ひとつの段に大体3人が押し込まれ、更に三段ベッドのため低い天井が圧迫感を与える。不眠症に加えて閉所恐怖症のティロには耐えがたい環境であった。


 それでも一生懸命この環境に馴染もうと努力したが、馴染もうとすればするほど閉所恐怖症と不眠症を拗らせていくばかりだった。最終的に諦めたティロは全員が寝入った後にベッドから降りてひとりで夜を明かすことを選んだ。最初は寝室の窓からずっと外を見ていたが、眠っている他の子供たちに気兼ねして次第に夜間を外で過ごすようになった。


(眠れるなら思いっきり眠りたいんだけどな)


 どんなに訓練で疲れていても、身体の疲れが完全にとれる前に悪夢で跳ね起きてしまう。そのまま朝までじっとしていると余計に疲れてしまい、眠れないときは無理に眠ろうとせずに気が紛れることをしたほうがいいという結論になった。教官たちも最初は彼の行動を咎めていたが、最終的に何も言われることはなくなった。


 その日は浅い眠りから目が覚めても昼間の疲れが体中に残っていたので、しばらくベッドで横になっていた。少しでも横になって休みたい気持ちと一刻も早くこの狭い環境から抜け出したい気持ちが同時に押し寄せ、毎晩何かにせき立てられているように感じていた。


 隣では予備隊に入って最初に友達になった29番ことシャスタがよく寝入っていた。ロッカー事件の謹慎後、久しぶりに大部屋に戻されたときにシャスタは喜んでティロを迎え入れた。それから周囲に「こいつは俺の友達なんだからな!」と随分と喧伝して何をするにもくっついてくるようになった。


(本当に変な奴だよな……ま、いいけど)


 友達だと宣言されて、悪い気はしなかった。話をすれば同じ年で、剣技が好きという共通点からすぐに親しくなれた。何をするにも彼は要領よく、ティロに予備隊生活のことだけではなく集団生活での規律とそれから少し逸脱することをよく教えてくれた。


 基本的に明るく、剣技やその他訓練だけでなく座学においても非常に優秀な彼が一体どういう経緯で予備隊に所属させられたのかティロは不思議で仕方なかった。彼は「いろんなところをたらい回しにされて行き着いたのがここ」とだけ語り、それ以上のことはあまり話したくないようだった。他人に知られたくないことがあるのはお互い様なので、過去を探られないこともひとつ彼との関係において居心地をよくしていた。


 ただ、シャスタも予備隊にいる以上何か相応の理由があるのだろうということをティロは察していた。彼もよく悪夢にうなされていることがあった。あまりにも酷いときは何度か起こすことも考えたが、少しでも眠りの妨げになることはよくないとティロは自身の経験から導き出していた。それが少しでも友達に対する情であるとティロは考えていた。


 しかし目の前の新しい友人と親しくすればするほど、どうしても胸の奥にいる「友達」だった彼とシャスタを重ねてしまうところがあった。


(アルは……俺のことを恨んでいるだろうな。俺ばかりこんなところで生き延びてしまって)


 厳しい訓練の中でも時に過るのは、アルセイドをはじめエディアの思い出だった。活気溢れる港からやってくる海風を懐かしく思うが、その思い出を語ることすらできないことが悔しくて仕方なかった。


 エディアの一連の事故をリィアでは「災禍」と呼び、多くの死傷者が出たことだけが今のところ真実として語られていた。その原因や経過などは一切情報が出回らず、ティロとしてはあの日の出来事は今だ謎に包まれていた。


(きっと特務に上がれば、あの日何があったのかわかるかもしれない)


 自分の人生を変えたあの日の出来事が一体何だったのかを突き止めなければ、ここにいる意味がないと思っていた。倉庫街の最初の火事、突然の衝撃波、広がる猛烈な火災に避難しきれなかった人々、瓦礫だけになった倉庫街、そして本島での火災に急激なリィア軍の侵攻。更に逃げる姉と自分を襲ったリィア兵の暴漢。


(あいつらの顔と名前は覚えているから、きっとそのうち調べることが出来るはずだ)


 うまく告発することが出来れば、未だにあの廃屋に埋められている姉の遺体と父の指輪が揺るがない証拠になるはずだった。ただ、その場合自分も正体を追求されて処刑される可能性は十分にあった。


(それは、その時考えよう……)


 体中に土が纏わり付くような感覚が襲ってきて、ついに気分が悪くなってきた。眠たい体を起こしてベッドから降りると、そっと外へ行く。ティロは宿舎の裏庭の石段を夜更かしの定位置としていた。


「そういうわけで、今夜は何故俺は眠れないのか自分でも真剣に考えてみようと思う」


 大抵は空が明るくなるまで、ティロは「友達」と話をすることで時間を潰していた。


(そうやって真面目に考えるから眠れないんじゃないの?)

(あんまり考えすぎが良くないっても言うからな)


「しかし、この状態は異常だと自分でも思う。俺だってちゃんと寝たいんだ」


(寝たいんだ、って寝ればいいじゃないの)


「それで眠れたら苦労してないんじゃないか」


(眠れなくなった原因は何だと思ってるんだ?)


「それが、よくわからない。地下が怖いのは自分でもはっきりわかるけど、眠れないのはなんでだろう。多分あの日以来なんだろうけど」


(あの悪夢を見るからかな?)


「それはシャスタや他の子も同じじゃないかな。俺よりも酷い目に合ってる子も多い気がするんだけど」


(そうだよな……俺と他の子と何が違うのかな)


 自分自身で話し合っても、不眠の理由はよくわからなかった。路上生活の際は落ち着いて眠れる環境でなかったからと思っていた。しかし、病院でも予備隊でも結局よく眠れないことに変わりはなかった。もう二度と一晩眠り続けられないのかもしれないと思うと苦しくなって、胸の痛みが蘇ってきそうだった。

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