リィアの犬

 思いがけず懲罰房行きを許されて、3日間食事抜きの謹慎を言い渡されて面談室に残されたことでようやく恐怖が薄らいできた。


「た、助かった……」


 それまで懲罰房へ行くと思って震えていた体の力が急に抜けた。


「しかも、すごく褒められた……素質あるってさ」


(よかったじゃない)

(こんなの、すごく久しぶりじゃないか)


「うん……なんか、本当に久しぶりだな。こんなに嬉しいの、久しぶり」


 思えばあの日から捕まるまで、まるで人間扱いをされてこなかった。予備隊に入れられてからも正体がばれることばかり考えて落ち着かず、周囲と関わることが怖かった。それでもこの一件で何だか自分がしっかりこの場所で生きていていいと言ってもらったような気分になり、胸の中が温かくなるようだった。


「だけど、飯抜きか……しかも3日」


(いいじゃない、3日後に確実に食べられるなら)


「ま、いいか……懲罰房は免れたんだから……」


 最初は安堵から少し浮かれた気分だったが、謹慎が1日を過ぎた辺りから空腹との戦いが始まった。椅子と机だけの部屋でベッドはなく、椅子に座っているか床に座っているかしかすることはなかった。窓には鉄格子があり、しかも三階の部屋のため脱走は困難であった。


(眠れないのはいいとしてさ……やっぱり飯抜きはきついよ)

(むち打ちとどっちが楽だったかな……)


「しょうがないじゃないか……懲罰房と飯抜きを100回選べって言われても俺は100回飯抜きを選ぶ。絶対選ぶ」


(100回も飯抜き3日やってたらそれはそれで死んじゃうよ)


「例えに決まってるじゃないか……決めた。俺はもう飯抜きなんかにならないことを優先に生きる。しがみつけるなら徹底的にリィアにでも何でもしがみつく。お手でもお回りでもなんでもやってやる。予備隊だろうが特務だろうが言うことは何でも聞いてやるよ」


(相変わらず腹減ってるとろくなこと考えないな)

「そう……だから飯は大事なんだ。頭が回らないし、咄嗟に警備隊だって刺しちまう」


(痛い教訓だね)


「それにしても腹減ったなあ! 大体あいつらのせいじゃねえか、俺は悪くなかったぞ! やっぱり理不尽だ! 畜生いつか覚えてろよ!」


 空腹でイライラしてきたせいか、発端のいじめのことを思い出すとやたらと腹立たしくなってきた。腹いせに何かを殴りつけようかと思ったがそれこそ懲罰の対象になりそうだと思ったのでやめて、おとなしく机に突っ伏してただ時が流れるのを待っていた。


 しばらく心を殺していると、急に窓の外の壁を叩く音が聞こえた。


「おーい、こっちだ、こっち」


 驚いて窓を見ると、鉄格子にしがみついている予備生がいた。


(確か……29番だったかな)


 彼は初めて手合わせの際に手加減を忘れてしまった少年だった。


「ここ3階じゃないのか?」


 思わず下を覗いてしまったが、しっかりと足場になりそうなものは見当たらなかった。


「ここにいればこのくらいすぐ登れるようになるさ……それよりお前やっぱり強いんだな? 友達になろうぜ」

「友達?」


 急な申し出に素っ頓狂な声を出してしまった。


「そう。俺はシャスタ。名前なんて言うんだ?」

「名前……32番って」

「そうじゃなくて、お前の名前。あるんだろう?」


 ついにこのときが来た、と心臓が高鳴った。本当のことは言えないし、かと言って返答しないというのも3階の壁をわざわざ登ってきた者にする態度ではないと思った。


(どうしよう、もう適当に思いついた名前でいいや。ジェイドの名前は多分もう名乗れないだろうし、俺の関係者の名前を名乗るのもなんだかなあ。下手に俺に近い人の名前を名乗るのも問題になりそうだし、さて、適当に思いつく名前、俺に関係なくて思いつく名前……)


 ふと頭を過ったのは、自分が最初に生きようと思った出来事だった。息子を探して泣き叫ぶ母親の顔、息子を亡くして項垂れる父親の後ろ姿。そして悲しむ二人に非常に申し訳なくなったあの出来事が鮮明に思い起こされた。


「……ティロ」


 あの日、港で死亡したと思われる少年の名前。生きているのか死んでいるのかわからない自分が名乗るのが死者の名前になったことに不思議な運命を感じた。何もなければおそらく彼と接点は特になかっただろうと思うと、名前から正体が露見する恐れも少ないと思った。


「そうか、よろしくなティロ。謹慎終わったら手合わせしような」


(友達か……どうせずっとここにいるんだもんな。友達くらいいてもいいよな)


 改めてシャスタを見る。エディアの公開稽古をずっと見ていたので、剣を持って対峙すれば相手の大体の技量は想像が付く。間違いなくシャスタは同年代の少年とすればかなりの腕前であった。そんな彼が何故ここに入れられたのかはわからないが、複雑な事情がありそうだった。


「そうだ、腹減ってるんだろう? 差し入れ持ってきたぜ。じゃ、見つかる前に俺は帰るからな」


 シャスタは懐からパンを取り出すとティロに握らせ、姿を消した。


「何なんだあいつ……」


(友達だって)

(変な奴っぽかったな)


「それはお互い様、か……ティロ、ティロね……」


 咄嗟に名乗ってしまった名前を馴染ませようと何度か口にしてみる。


(そうだ、僕はこれからティロになるよ。生き残らなきゃ、姉さんや父さんのためにも、エディアのためにも……いつか姉さんの仇を取らなきゃ)


「そうだ、僕にはやることがあったんだ」


 エディア王家として災禍の詳細を暴くこと。リィアを滅ぼして父や女王陛下、そしてアルセイドの仇を取ること。更に姉と自分を殺したリィア兵を見つけて同じ目に遭わせること。


「リィアの特務だって? ちょうどいいじゃないか。なってやろうじゃないか、リィアの犬にさ」


 急に生きる意欲がわいてきた。ただ死にたくないからという理由で生き残ってきたところに明確な目標が生まれたことで、ティロという存在に生まれ変わったような気分になった。


(それで、生まれ変わったところで何か変わった?)

(いや、相変わらず腹が減ってるだけだな)


「そうだった……謹慎が終わったらあいつに礼を言うところからだな」


 貰ったパンをかじりながら窓を見つめた。謹慎最後の夕刻が迫っていた。

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