やられる前にやる


 三度目はすぐにやってきた。今度は後ろから急に取り押さえられ、休憩室のロッカーの前に引きずられていった。


「俺が何したって言うんだよ!?」


 念のため閉じ込められる前に尋ねてみた。


「チビのくせに生意気なんだよ」

「ひとりだけいい子ぶりやがって」


 ろくな返事が返ってこなかった。これですっかり抵抗することにためらいはなくなった。


(3人か……なんとかなるな)


 今回の実行犯は3人だった。1対多数の試合は何度かしたことがあったが、剣なしで本格的な喧嘩、しかも3人を相手にしたことはなかった。


(剣を極める者、足元から相手と己を把握しろ、だ。1対多の大原則だって爺ちゃんが言ってた。爺ちゃん、俺負けないからな)


 やはり頭の片隅に「懲罰房」の文字があったが、結局どっちに転んでも閉じ込められる運命からは逃れられないと諦めた。


「ほらはやく入れよ」


 ロッカーの扉が開けられた。押さえている側は繰り返された醜態を見て、恐怖で凍り付いていると思っているようだった。その油断は如実に押さえている腕に出ていた。


(剣を極める者、最後まで剣は振りきるべし、だぞ!)


 緩んだ腕から逃れると、そのまま渾身の渾身の力でみぞおちに肘を放つ。反撃されると思っていなかったために驚いているもう一人の腕から逃れ、正面から拳をたたき込む。一瞬で2人を倒し、呆然としているもう1人と向かい合う。


「てめえよくもやりやがったな!」


 我に返った残りのもう1人が飛びかかってきた。


「先に手を出したのはてめえらだろ!」


 応戦しながら、先に床に倒した2人も警戒する。


(くそ、剣よりも手数が多い体術のほうが見る場所が多すぎる!)


「うるせえチビのくせに生意気な!」

「余計なこと言うんじゃねえぶっ殺すぞ!」


(剣技も喧嘩も、大体は一緒だ。やられる前にやる、それだけだ)


 最後に残った1人は年上のため、体も大きく腕力も上回っていた。しかし、エディアの公開稽古で新成人の枠に入って10歳ほど年上の剣士たちに混ざって稽古に参加していたことを思えばそれほど脅威でもない。逆に向こうはこちらの腹の据わり方に少し驚いているようだった。


 今まで腹に据えかねていたものが全部顕わになった。どこにも向けられなかった怒りの矛先が全て目の前の「いじめっ子」に向けられた。


(こいつらは俺が何者か知らない。つまり、俺のこと完全に舐めてやがる。そこにつけ込めば、簡単に勝てるはずだ)


 体格差があったので、まずは急所を的確に狙うことだけを考えた。先に押さえ込まれそうになったため、身を低くして下腹部を思い切り膝で蹴った。


(へへ、やっぱり俺のこと何も出来ない弱い奴と思っていたな)


 目を白黒させて崩れ落ちた相手の顔面に思い切り拳をたたき込むと、2番目に顔を殴った奴が立ち上がった。


(やっぱり訓練されてる奴は復活が早いな。でも、俺の敵じゃない)


 何かされる前に懐に潜り込み、みぞおちに拳をたたき込むと相手は再び床に転がった。


(剣があればこんな奴らもっとボコボコにできるんだけどな、やっぱり素手の喧嘩は面倒くさいな)


 それから立ち上がった相手を次々と思う存分叩きのめしているうちに、他の予備生が気付いて止めに入ろうとした。


「どうせ俺は懲罰房で死ぬんだ! こいつらぶっ殺してから死んでやる!」


 結局駆けつけた予備生たちによって数人がかりで取り押さえられ、教官らに事情を聞かれた。先に手を出した3人は「私闘及び3人がかりで1人の新人に敵わなかった」という理由で即刻懲罰房へ行くことが決まったが、その前に医務室での十分な安静が求められた。


 しかし、発端の閉所恐怖症の少年を懲罰房へ入れていいものか教官たちは大いに悩んだ。懲罰房は房とは名ばかりで、地面に掘られた穴であった。穴に落とされて蓋をされ、真っ暗闇の中で懲罰期間を過ごさなければならない。ロッカーに閉じ込められただけで呼吸困難を引き起こすほどのひどい閉所恐怖症の彼を本当に懲罰房に落としたところでどうなるかも予想ができなかった。


***


 覚悟を決めていたと言っても、ひとり面談室に連れてこられると既に懲罰房に落とされた気分になった。懲罰期間は平均で3日ほどだと言う。3日も懲罰房に入れられていたら、外に出される頃には恐怖で死んでいるかもしれない。命は助かっても、精神的に立ち直れるか不安であった。


「どんな事情があったところで、私闘は厳禁、規則は規則よ。それで、覚悟はできているわね?」


 クロノが冷たく言い放つ。それは死刑宣告にも等しかった。


(もうダメだ、もうおしまいだ。やっぱりここで死ぬんだ)


 懲罰房のことを考えるだけで涙が止まらなくなり、胸が詰まって頭がふらふらした。既に呼吸が浅くなってきている。


「確かに、俺は懲罰房へ入るべきなんです。でも、懲罰房に入ったら今度こそ死にます。せっかくここでやり直そうと思っていたところで、死ぬのは、やっぱり悔しいです」


 無駄だとわかっていても、命乞いはしておきたかった。


「それで?」

「罰なら何でも受けます。飯抜きでもむち打ちでも何でも構いません。でも、懲罰房だけは、懲罰房だけは、許してくれませんか……?」


 涙を流しながら告げる。ここまで他人に自分の気持ちを言葉で伝えられたのは久しぶりだった。そんなことが許されるとも思っていなかったので涙が流れるまま項垂れていると、意外な言葉がかけられた。


「そうね、確かにあなたは規則を破ったけれどあなたの命がかかっていたわけだものね。生存のために諦めることなく戦う意思を見せたことはいい傾向だと思う」


(え、俺、褒められた?)


「それに、やはり事情が事情ね。私たちも理不尽な目にあった上に懲罰のために廃人を産むのは避けたい……更に代替案をすぐ提示できた、正しい判断ね。あなた、素質あるわよ。それと、私闘とはいえ立派な立ち回りだったじゃない。私たちもあなたを見くびっていたようだから、次回の訓練からもう少し上級のところへ行きましょうか」


 クロノは淡々と述べる。


「お咎めなし、と言いたいところだけど規則は規則なので……特別にあなたの提案を受けると言う形でこの件はおしまいにしてあげる。それでいいわね?」


 念を押されたが、懲罰房行きを許された実感があまりわかなかった。


「本当にいいんですか……?」


 何かを要求して、それに真摯に応えてもらうのは随分と久しぶりなことであった。クロノの提案を受け入れれば、逆に何かよくないことが起きるような気さえした。


「いいに決まってるじゃない。自分で自分のことを把握して状況を的確に判断して伝える能力がある、とてもいいことよ」


 そう言うとクロノは微笑んだ。久しぶりに見る純粋な笑みだった。


「さて、あなたは懲罰期間と同じ3日間の食事抜きの謹慎に決まり。そのままこの部屋で過ごしなさい。水だけは差し入れてあげるわ」


 クロノはそのまま部屋を出て行ってしまった。浅くなった呼吸はすぐには元に戻らなかった。

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