限界
明け方にはすっかり雨は上がっていた。怪我をしている上に2日雨に降りこめられたために、体力も精神も全てが限界を超えていた。
「朝だ……何でもいい……何か……楽になれるもの……」
強ばった体を無理矢理動かし、立ち上がる。空腹、足を中心とした全身の痛み、不眠、孤独、過去の記憶。何でも良いから何かを消したかった。
(このまま死ねば、全部楽になるのかな……)
それでも、一度死んだことを思うと胸が締め付けられるように更に痛くなる。どうすればいいのか、もうわからなくなっていた。ただ一番優先される空腹の解消だけを考えて、這い出るように箱の陰から出て何か食べられるものを探すことにした。
(こんな足じゃ、まともに歩くことすらできやしない)
盗みを働くのは絶望的だった。強盗はもちろん、足だけでなく頭もまともに働かない状態では隙を見て店先から何かを盗むのも難しかった。
(残飯……どこか飯屋の裏に張り込んで……やりたくないけど……仕方ない……)
その考えを巡らせると、誰にも気にされないことが胸に刺さり、更に痛みが強くなった。まるで自分が本当に死んでいるのではないかと錯覚させられ、今のこの苦しみは死後の世界での仕置きなのではないかとさえ思える。
(どうせ……誰も……助けてくれないから……自分がしっかり……しないと……)
痛む足を引きずってとぼとぼと歩いていく。どこを歩いているのかもわからなかった。ふとキオンとスキロスを拾ったときのことを思い出した。
(あいつらも、こんな感じだったのかな……)
子犬たちは拾い上げたとき、腕の中でもがいて震えていた。「大丈夫、怖くないよ」とアルセイドと一緒にしきりに撫でた。それでも子犬たちはしばらく震えていた。家についてエサを食べて、姉の用意した籠で眠って初めて彼らは警戒を解いたのだった。そして、エディアに残してきた2匹について思いを馳せていた。
(ごめんな、ダメな飼い主でごめんな。お前らの世話、最後までできなかった。最後まで責任を持って、面倒みるって決めたんだけどな……)
今まではなるべく他人の視界に入らないよう気を配っていたが、限界を超えた空腹と精神状態で周囲への警戒をすっかり怠ってしまった。
「君、どうしたんだ?」
突然後ろから声を掛けられて、心臓が破けたような気分になった。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)
更に声はかけられるが、何を言っているのかよくわからない。振り向くとリィアの隊服を着た男が二人立っていた。更に何か言われるが、どうすればいいのかわからなかった。男の一人がこちらに歩いてきて腕を掴もうとしてきたので、咄嗟に懐のナイフに手が伸びていた。思っていたより考えることなく、警備隊員の腕を斬って怯んだ隙に太ももにナイフを突き立てた。
(まずい、どうしよう、わからない!)
驚いたもうひとりの隊員が取り押さえようとしてきた。怪我をした隊員は何かを叫んでいた。
(仲間を呼ばれたらどうしようもない!)
とどめを刺すことも考えたが、そんなことをしても手遅れであることはわかった。逃げなければいけないのだが、痛む足はもちろん空腹でふらふらの体も寝不足と疲労で痺れてる頭も何もかもが思うように動いてくれなかった。
(嫌だ、どうしよう、殺される!)
脳裏に過ったのはあの夜のことだった。抵抗できなくなるまで痛めつけられて、命乞いをしても嘲笑われ、冷たい土の中に埋められた記憶が鮮明に蘇る。
(もう嫌だ、殺されるのは嫌だ、逃げなきゃ、殺される、殺される、殺される……)
焦れば焦るほど体は動かない。最初の警備隊員を刺してからどのくらいの時間が経って、どう動いたのかはよくわからない。ただ無我夢中で走ってから腕を掴まれたところを一発殴られて、その隙に何人かの男に取り押さえられたのはわかった。
(ダメだ、殺される、どうしよう、もう逃げられない、殺される……)
男たちに何かを呼びかけられたが、不思議と頭の中には言葉が全く入ってこない。もちろん声も全く出すことができなかった。
(ついに耳までおかしくなったのか……もうダメだ。殺されるしかないんだ)
厳重に取り押さえられ、手錠をかけられた。既に手にナイフはなかった。途端に死の恐怖が全身を襲い、真っ黒な何かで体が覆われていくような気分になった。
(姉さん、父さん……どうして誰も助けてくれないの? 僕がいっぱい悪いことをしたから? でも、誰も助けてくれないんだもの、仕方ないじゃないか。どうして僕だけ、こんな目に合わなきゃいけないんだ?)
死が現実になりそうなところで恐怖が怒りに変わった。何でもいいから、何かを傷つけたかった。何かを踏んで、刻んで、ぐちゃぐちゃにしてやりたい衝動に駆られたが手錠を掛けられた今、それは敵わない。ただひとつ想像したのは、正体が明かされてリィア軍に処刑される自分の姿だった。
(へへ、ここまでなんだな……どうしようもないんだな……)
連行されながら、頭の中の自分は何度も殺されていた。それは首を落とされるものだったり、銃で頭を撃ち抜かれるものだったり、また埋められたりするようなものだった。その度に暗くて冷たく、しかし何故か心地よいもので満たされていく感覚があった。
(もう終わるんだ……よかった、これで死ねるんだ……)
何度も誰かに声をかけられたが、やはり何を言っているのかよくわからなかった。ただ死への恐怖と、もうこれ以上逃げ回らなくていいという安堵があった。
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