第2話 捕獲
雨宿り
その日もどこかの煙草売り場の近くでカモが通りかかるのを待っていた。先日持っていた着火器の燃料がなくなったようだったので、出来れば新しいものも欲しかった。
(大体は欲しいもの手に入って浮かれてやがる。その隙を見逃さなければ……)
そこへ一人の女が通りかかった。「売り場」へ向かっていくのは確認していたので、おそらく鞄の中には目当てのものが入っているだろうと思われた。
「へへ、女なら楽勝だ」
女の背後に回って荷物を奪おうとした瞬間、後ろから何者かが襲ってきた。慌てて身を翻すと、女は悲鳴を上げながら逃げていった。襲ってきたのは複数人の男たちで、おそらく「売り場」の関係者だろうと思われた。
「お前か、最近ここいらで荷物を狙ってるのは」
(しまった、流石に同じところで狩りすぎたか!?)
同年代の少年たちならまだしも、複数の男たちを相手にナイフ一本で立ち向かうほどの技量はなかった。長い棒のようなものさえあれば何とかなるかもしれないと辺りを探ったが、それらしいものは見当たらなかった。
(ここは逃げるしかない!)
念のために逃走する手順は常に頭に叩き込んであった。通りの反対まで走り抜けて、塀の前にある箱を踏み台にして塀を飛び越し、その向こうに飛び降りる。焦っていたため着地に失敗したかもしれないが、気にしていられずひたすら走り続けた。
(流石にここまでは追ってこないか……?)
知らない通りの奥まで進み、使われていないゴミ箱と思われる大きな箱の陰に隠れるとやっと一息つくことが出来た。どうやらここは壊れたものが置かれる場所のようで、ゴミ箱の他に大型の家具などがいくつか置いてあった。
座り込んで息を整えているうちに、右足首に痛みが湧き上がってきた。
「やっぱり、捻ったかな。どうしよう」
(きっと軽い捻挫だよ、休めば大丈夫だって)
「でも、どんどん痛くなってきて熱くなってきて……腫れてきている」
(もし追っ手が来ていたらどうする?)
「もう逃げられないし、おとなしく諦めるしかないね。一応今回は脅かしだけで見逃してもらえるといいんだけど」
(それで、これからどうするの?)
「動けるようになるまでここにいるしかない。幸い滅多に誰も来ないようなところだから、見つかることもないと思うけど」
気休めにいくつか置いてあった家具などを組み合わせて、一見して通りから姿が見えないようにした。ほとぼりが冷めるまで隠れていようと構えていると、地面に黒い点が浮かび上がった。
「あ、雨だ……」
ぽつぽつと降り始めた雨は次第に勢いを増していった。
(すぐ止むよ。心配しないで、待とう)
「う、うん。そうだね、雨なんていつか止むよね」
何とか家具を組み合わせて簡易の雨よけを作り、その下に入った。右足首の痛みはどんどん増していき、満足に歩くことは難しそうだった。
「雨が止んでも、これは動けないかもな……」
(大丈夫だよ、きっと)
「うん、大丈夫、大丈夫」
呪文のように「大丈夫」と口の中で何度も唱える。夜になっても雨は止む気配を見せなかった。しとしと降る雨の音を聞いていると気が滅入ってくる。
(腹減ったな……)
(昨日から何も食べてないじゃない)
(やめよう、何か考えるの止めよう)
(そうだな、今は雨が止むのを待つしかない)
雨は朝になっても降り続いていた。そっと通りの方を覗くと、傘を差して歩く人の姿が見えた。まるで雨が止む様子はなかった。
(濡れるけど、ここから移動する?)
(ダメだ、雨に濡れるのは今は危険だ)
(でも、もう腹ぺこでどうしようもないよ?)
(もう少ししたら雨が上がるかもしれない、待つしかない)
「寒いな……」
肩掛けの裾を引き寄せ、少しでも熱を逃がさないようにする。
(箱の中に入ればもう少し暖かいかもよ?)
「無理だよ……そんな狭いところ……死んじゃうよ……」
考えただけで再び埋められたような気分になった。もう埋まりたくなかった。
「寝たいよ……眠れれば少しは楽になれるかもしれないのに……」
頭の芯が痺れるような感覚があっても、身体は強ばって眠りに落ちることができなかった。
「寝たいよ……眠りたいよ……でも、怖い夢はもう嫌なんだ……怖いのは嫌だ……寂しいよ……帰りたい、帰りたい、帰りたい。姉さんに会いたい。父さんに会いたい。みんなに会いたい」
すっかり疲れ果てて地面に横になりたかったが、地面に身体を多く触れさせるとそのまま凍り付きそうなほど体温を奪われた。仕方なく何とか身を起こして両腕で両脚をしっかり抱える。
(ジェイド、しっかりしろ)
「うん、わかってる。大丈夫、でもお腹も空いたし、足も痛いし、もう限界なんだ」
(雨が上がれば何とかなるから、それまで頑張ろう)
「弱音くらいたまに言わせてよ。もう嫌だよ。いつまでこんなこと繰り返さなきゃいけないんだ? 泥棒して逃げて、泥棒して逃げて、泥棒して逃げて……うんざりだよ。もう嫌だ。どうせここで死ぬんだ。そのうち動けなくなって、誰にも見つけてもらえなくて、ひとりぼっちで、寂しくさ……」
空腹に疲労、寒さと足の痛みで全てが限界を超えていた。
(大丈夫、僕たちがついてるから)
「そうだったね、ごめん。大丈夫だよね、きっと」
(そう、大丈夫)
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
両腕で自分自身を抱えて、しっかり自分を抱きしめる。抱きしめてくれるのは自分自身であり、姉であり、父でもあるようだった。
(姉さんに会いたいな……)
しかし、雨は暗くなってきても降り続いていた。この雨よけの下に押し込められてから、2回目の夜だった。空腹に耐えかねて雨よけの上に溜まっていた雨水を啜るが、何の足しにもならない。
「やっぱりここで死ぬんだよ。少し足掻いたけどさ、やっぱり最初から死ぬことになってたんだ。もうすぐ姉さんに会える。姉さんに会いたいんだ」
(大丈夫、少し雨が弱くなってきたよ。もうすぐ止むよ)
夜半過ぎになり、ようやく雨は止む兆しを見せていた。右足首の腫れは酷くなり、そこだけ別の生き物のように熱を持っていた。
「でも、夜はじっとしていたほうがいい。朝になるまでここにいるの? 朝まで生きていられるかな……すごく眠いのに、どうしても眠れないんだ。寝たいのに、どうして眠れないんだろう」
ゆっくり眠ることを考えると、胸がズキズキと痛んで呼吸が浅くなるのを感じた。
「また胸が痛くなってきた……息が苦しい。何もしてないのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。多分何かの病気なんだ。眠れないのも、きっとそのせいだ。それできっと、このまま寂しく死ぬんだ」
このままここで息絶えた自分を想像する。おそらく何日も発見されないで惨めに虫や動物に食い荒らされることを思い浮かべるだけで更に胸が痛くなった。
「痛い、痛いよ……欲しい、あれが欲しいよ。薬、楽になる薬。もう嫌なんだ、痛くて、苦しくて、寂しいのは……」
(大丈夫、きっと大丈夫だから)
「大丈夫? 本当に大丈夫かな……」
極限状態の中で、姉の姿を見た気がした。ぼんやりとした頭の中で見えた姉に縋り付いていた。姉はずっと「大丈夫」と頭を撫でてくれた。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
ようやく雨は止み、空が白んできたがこれから先のことなど全く考えられなかった。
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