深夜の街道

 ジェイドとライラはリィア兵から逃れるため、日の出を待たずに深夜に避難所から隣の市へ伸びる街道を歩いて行くことにした。街道は林の中を通して作られたため、道の外へ出れば深い山野を分け入っていくことになる。


「真っ暗で、怖いね……」

「大丈夫。この道を歩いて行けば、間違いなく辿り着くから」


 2人は月明かりを頼りに進んでいった。強風は止み、辺りは不気味なほどに静まりかえっていた。しんしんと冷える夜の空気に竦む足を何とか奮い立たせて、エディアから逃れることだけを考えるようにした。


「姉さん」

「何?」

「あのさ、これから姉さんは僕を何て呼べばいいの?」


 ジェイドは姉の言っていた「名前を捨てて一からやり直す」という言葉に強い不安を持っていた。カランとエディアの名前を名乗れないことは諦めがついたが、8年も使っていたジェイドという名前まで名乗れなくなることや、美しいライラという名前で姉を呼べなくなることがとにかく寂しかった。


「そうね、あなたはいいけど私が困るわね。何かいい名前を考えないと……もちろん私が考えるわよ」

「うん、そうしてほしいな」


 ライラは拾ってきた犬に「犬1と犬2」という名前しか思い浮かばなかった弟を名付けにおいては全く信用していなかった。


「じゃあ、どこかに落ち着いてからゆっくり考えましょう。それにしても不思議ね、自分たちの名前を考えるだなんて」

「僕は姉さんが考えてくれる名前なら何でもいいよ」

「あら、じゃあキオンとスキロスにでもする?」


 姉の冗談に、ジェイドは少し固くなっていた心がほぐれたような気がした。


「それじゃ、あいつらの名前を僕らが取っちゃうじゃないか」 

「そうね。もっと私たちらしい名前を考えましょうか」

「僕たちらしい名前って、何だろうね」

「時間はあるから、ゆっくり考えましょう」


 ジェイドはライラの手をしっかり握った。ライラもジェイドの手を握り返す。この先不安しかなかったが、2人でいればきっと何事も乗り越えられると固く信じることにした。


***


 そうして避難所から30分ほど歩いた後のことだった。このまま歩いて行けば明け方には隣の市に辿り着くはずだった。


「ねえ君たち、こんな夜更けにどこに行くのかな?」


 後ろから急に声を掛けられて、2人は振り返った。そこにいたのはランプを持った2人のリィア兵だった。


(追っ手!?)


 ジェイドは咄嗟にライラの前に立ち、不審なリィア兵から姉を守ろうとした。咄嗟に腰に手をやって、いつもの警棒を落としてきたことを思い出して血の気が引く思いだった。


(畜生、こんな時に……)


 何とか姉とリィア兵の間に入って少しでも時間を稼げればいいとジェイドが気を張り詰めていると、後ろから別の男の声がした。


「ねえお姉さん、あっちで遊ぼうか」


 ジェイドが振り返ると、もう1人のリィア兵が後ろからライラの腕を掴んでいた。ライラは恐怖でそれ以上声を出すことが出来なかった。


「やめろ!」


 ジェイドはライラを掴んでいたリィア兵に飛びかかった。リィア兵はあっさりライラを離して突き飛ばすと、飛び込んでいったジェイドをしっかりと捕まえた。ジェイドはリィア兵から逃れようと腕を振り回したが、屈強な兵士には敵わなかった。


「な、何をするんだ!」

「利き腕じゃないからいいよな」


 ジェイドはうつ伏せに押し倒され、強く左腕を捻り上げられた。ジェイドが声を上げるより先に、捻られた腕があらぬ方向に曲がり、肩から嫌な音がした。


「やめてえええ!」


 ジェイドより先にライラが悲鳴を上げた。リィア兵は肩を折られて動転しているジェイドの首を掴み、ライラの方に顔を向けさせた。


「次は首だ、どうする?」

「ダメだ姉さん、こんな奴らの言うこと……ああっ!」


 折られた左腕を無理に動かされ、ジェイドが悲鳴をあげた。このまま全身をバラバラにされるかもしれない恐怖でジェイドは凍り付いた。


「わかった、わかったわ……言う通りにする」

「へへへ、そう来なくちゃ」


 ライラは残りの2人に抱えられ、街道から外れた小道へ連れて行かれた。もう1人もジェイドを投げ捨てると、2人に続いていった。


 後には左肩を無惨に折られたジェイドだけが取り残された。ジェイドはしばらく呆然とし、姉が連れ去れた方の闇を見つめることしかできなかった。痛みと恐怖と姉を奪われた不安がぐるぐると頭を駆け巡り、どうすればいいのか混乱していた。


(姉さん……姉さんを、助けなきゃ……姉さん……姉さん……)


 しばらくの間の後、激痛に耐えて何とか身体を起こした。


(助けを……呼べない……僕が何とかしなくちゃ……)


 折れた左腕を抱えて、ただ姉を助けたい一心でジェイドも暗い小道を歩き出した。痛む左腕に加えて、ようやく歩けるようになった身体を引きずるように歩いていたため、体力も万全ではなかった。ふらふらとした足取りで、ただ姉の無事を祈りながら前へ進んでいった。


(父さんと約束したんだ……姉さんは僕が守るって……)


 本当は震えが止まらないほど怖かった。しかし、姉を失う方がもっと怖かった。姉を守りたい気持ちが先走ったジェイドにはその先に何が待ち受けているのかを考える余裕はなかった。


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