廃屋
姉を攫われたジェイドが左腕を抱えながら小道を少し歩いて行くと、月明かりに照らされて使われていない建物が見えてきた。
それは昔使われていた宿場で、移動手段が馬中心の時代には賑わっていたものであった。しかし技術の革新のせいで陸の運送手段が鉄道に移ったことで宿場の数も減り、廃業する宿場も珍しくなかった。この宿場は首都に近すぎたことで需要がなくなり、随分前から放置されてきたものだった。
(姉さんはどこ……?)
耳を澄ますと、どこかから人の声が聞こえてきた。悲鳴と笑い声が交互に聞こえてくる。
(父さん、姉さんを助けて!)
涙が出そうなほどの恐怖を抱えて、ジェイドは姉の姿を探し求めた。頭の中の姉は優しく微笑んでいた。姉を失うかも知れない恐怖と左腕を折られた痛みがジェイドの冷静さを失わせていた。
「姉さん、どこ……」
呟きながら廃屋の並ぶ場所を歩いた。声のする方へ近づいているのはわかった。しかし、姉の姿が見つからない。焦る気持ちが恐怖と入り交じり、ジェイドは自分がどこにいるのかわからなくなってきた。
「……姉さん?」
一際大きな悲鳴が聞こえた。ジェイドは夢中で悲鳴が聞こえた方へ足を動かした。
(灯りだ!)
建物の陰に、僅かな灯りが見えた。ジェイドは灯りを目指して進んだ。
「姉さん!」
ランプの灯りの中に、姉はいた。駆け寄ろうとして、そこからジェイドの足が止まった。
「姉さん……」
リィア兵の持っていたランプに照らされた姉は白い肌を冷たい外気に晒していた。先ほどジェイドの左腕を折った兵士がライラの上半身を押さえて、もうひとりランプを持っていた兵士が下半身を押さえていた。
「おいおいゾステロ、ガキが追いかけてきた」
「俺のせいじゃないぞ」
ランプを持っていた兵士がせせら笑うように言うと、ゾステロと呼ばれた兵士も笑った。
「ジェイド、来てはダメ!」
ジェイドに気がついたライラが気丈に叫んだ。しかし、ジェイドの身体は凍り付いたように動かなくなっていた。具体的に姉が何をされているのか、頭では理解していても心でどう受け止めて良いのかわからなかった。次の瞬間、後ろから強い衝撃を受けてジェイドは草むらに倒れ込んだ。
(しまった、もう1人いたんだ!)
「クラド、こいつも仲間に入りたいんじゃないか?」
ジェイドを蹴り上げたもう1人のリィア兵は、倒れ込んだジェイドの頭を踏みつけた。
「そうだね、ザム。せっかく追いかけてきてもらったんだ、楽しんでもらおう」
クラドと呼ばれた兵士の返事を待って、ザムと呼ばれたリィア兵は続けざまにジェイドを蹴飛ばした。蹴り上げられる度に腹から漏れる空気が無様に吐き出された。自分の口からこんな音が出るなんてとどこかジェイドは他人事のように思った。
姉を助けに来たはずなのに、どうやって助ければよいのかジェイドにはまるでわからなかった。それどころか、どうやって抵抗すればいいのかも頭の中からすっかり消えていた。このまま殺されるかもしれないと思うと、声を出すこともできなくなっていた。
「やめて、お願いだからやめて!」
何度も蹴り上げられて、更に死の恐怖で動けなくなったジェイドを見てライラが悲鳴をあげる。それは自分のことなのか、弟のことなのかはわからなかった。
「へへ、良い子にしてればそのうちやめるさ」
「お嬢さんは大人しくしていればいいんだよ」
ゾステロとクラドはライラを押さえつけていた。
(ああ、姉さん、姉さん……僕は……)
ジェイドの意識が途切れ途切れになった。それでも、ランプに照らされた暴漢たちの顔はしっかりと目に焼き付けた。
おそらく主犯格であろう、クラドと呼ばれた軽薄な男。
先ほど左腕を折ってきた、ゾステロと呼ばれた大柄な男。
そして後ろから自分をひたすら蹴り上げた、ザムと呼ばれた男。
暴漢たちが何事かを話している。ジェイドは彼らが何を言っているのか理解出来なかった。
それから、ジェイドの心が目の前の受け入れがたい光景をどうにか処理しようとしていた。再び蹴り飛ばされて地面に叩きつけられて、それから、どうしたのか、何があったのか、どうしても理解をすることを心が拒絶した。これは現実ではないと一生懸命言い聞かせた。
しかし、そのとてつもなく「嫌なこと」は紛れもない現実であった。
姉さん、ごめん。
姉さんを助けられなかった。
だけどね、姉さん。
僕は、本当に姉さんを愛していたんだ。
本当に、本当に大好きだったんだ。
姉さん、ごめんなさい。
こんなダメな弟でごめんなさい。
姉さん、姉さん、ライラ・カラン・エディア。
僕はもう、姉さんを愛する資格がない。
ごめんなさい、姉さん。
ごめんなさい、父さん。
僕は姉さんを、あなたの娘を守れなかった。
僕はもう、あなたの息子でもいられない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
許してくれなんて言わないから。
どうかどうか、姉さんの命だけでも助けてください。
僕の愛するライラ・カラン・エディア。
本当に本当に、ごめんなさい。
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