港の壊滅
ジェイドとアルセイドは壊滅して燃えさかる港から脱出するために、敢えて火の手が上がっている住居区を走り抜けることにした。そこはいつも遊びに来る通りだった。降りかかる火の粉が次々と建物を火の塊に変えて、更に強風がその勢力を拡大させていく。
「助けてぇ!」
どこかから悲痛な叫び声が聞こえてきた。怪我をしているのか、瓦礫に閉じ込められているのかわからなかったが、この火の海の中で誰かが生きていることだけはわかった。
(ごめんなさい!)
ジェイドは走りながら、声の主に心の中で謝り続けた。涙が溢れてきたが、煙のせいだと思うことにした。
そのまま建物が密集する通りへ入っていった。ここは更に火の手が強く、既に煙にまかれたのか動かなくなっている人の姿があった。なるべくそこは見ないようにして、ジェイドはアルセイドの手を強く握って倉庫街を目指した。
(元はと言えば、あの光る煙からだよな……)
倉庫街がどうなっているのか全く想像ができなかった。そこへ行くのも怖かったが、ここで足を止めるとあの動かない人影になってしまうとますます恐怖が心の底からこみ上げてくる。
(アルを助けないと、アルだけでも……! もう少し、あの角を曲がれば……!)
繋いでいる手は絶対放さないとジェイドは再度アルセイドの手を強く握る。ちらりとアルセイドを見ると、その足がもつれ始めていた。ジェイドは最後の力を振り絞って半ばアルセイドを引きずりながら燃えさかる住居区を突破した。
「抜けた!」
倉庫街は広場になっていて、住居区よりも2人に襲いかかる火の勢いは弱くなった。2人は地面に倒れ込むと、精一杯呼吸をしようとした。そして同時に鼻を突く悪臭にやられて思い切り嘔吐する。
「倉庫は……?」
顔を上げて2人は呆然とした。その光景は信じがたいものだった。いくつも並んでいた大きな倉庫はほとんどが跡形も吹き飛んでいて、あちこちには瓦礫とそれに混じった赤黒い何か、そしてくすぶる煙があるだけだった。それがどこまでもどこまでも広がっていた。
「なんだよこれ……」
在りし日の倉庫街がアルセイドとジェイドの脳裏に蘇った。たくさんの積み荷があって、その周りを馬車やトロッコが走り回っていた。木材、小麦、燃料、鉱物、その他たくさんのいろんなもの。そこには人々の営みがあった。
それが全てなくなっていた。倉庫も、積み荷も、停泊していた船も、そこにいた人も動物も、全てが吹き飛ばされ、潰れて燃えていた。まるで世界が終わった日の後のようだった。倉庫街の惨状を見て、2人はしばらく動くことができなかった。
こみ上げる感情を何とか消そうと、ジェイドは腹の底から声を出した。
「剣術指南、唱和!」
その声にアルセイドも応えた。
「剣術指南、唱和!」
2人は再び手を繋いで立ち上がると、今度は瓦礫の山を走り始めた。
「剣を極める者、まず己の命を剣に預けるべし!」
ジェイドに続いてアルセイドも走りながら剣術指南を叫ぶ。声を出すことと足を動かすことだけに神経を注いだ。
「剣を極める者、守るべきものを常に心に留めるべし!」
次第に暗くなる空が2人を更に不安のどん底へ落としていく。
「剣を極める者、迷う事なかれ! 行かばそれが道になる!」
行く手の不安を断ち切るように、剣術指南を唱える。そうしなければ、故郷が永遠に失われた悲しみに飲み込まれてしまいそうだった。
時刻はすっかり夕刻に差し掛かり、瓦礫を避けて走る足の感覚がなくなってきた頃、ようやく管理区への道に辿り着いた。この辺りは建物の崩壊までは免れたようだった。既に息は上がって、ずっと走り続けている身体はすっかりくたくたに疲れている。それでも声も足も止めるわけにはいかなかった。最後の力を振り絞って、アルセイドはジェイドを連れて真っ直ぐ港の管理棟へ向かった。
「明かりがついてる、もしかしたら誰かいるかもしれない」
管理棟の灯りを見て勇気づけられたアルセイドは一目散にそこを目掛けて走った。勢いで扉を開けると、中には数人の男たちがいた。アルセイドの顔見知りである港湾警備所長が駆け寄ってきた。
「あ、アルセイド殿下!」
警備所長は今にも倒れそうなアルセイドとジェイドを抱えた。
「みんなは……無事ですか……」
ようやく少し安全な場所に辿り着けたことで一気にアルセイドの緊張の糸が切れた。
「残念ですが、私が確認できた限り、です」
警備所長も声を詰まらせながらアルセイドに報告した。何が起こっているのかは誰もわからなかった。
「管理区職員と生存者は順次避難を行っています。ところで、殿下は何故こんなところに……?」
アルセイドは肩を上下させながら答える。
「橋が……通れなかった……」
「何ですって!?」
管理区からは橋の惨状が見えなかった。その代わり変わり果てた倉庫街と燃えさかる住居区がよく見えた。そのうち火の手がこちらにもやってきそうだった。
「多分、たくさんの人が……」
それからアルセイドは自分が見てきたことを警備所長に話した。話しながらアルセイドの瞳からは大粒の涙が止めどなく流れていた。ジェイドはアルセイドの肩を抱いて、彼の気持ちが折れないように精一杯気持ちを張り詰めた。
「我々も何が起きているかさっぱりわかりません。倉庫で火事が起きたという報告を受けていましたが、その後にこの騒ぎです。橋までの道は危険だと判断して、今は生存者を探せる範囲で探しているところです」
警備所長は顔を覆いながらアルセイドに報告した。
「消火活動は?」
「残念ながら消防隊が倉庫の消火に向かって、それっきりです。我々も最初はなんとかしようと思ったのだが、この風では動くに動けません」
その時、管理棟のドアがけたたましく叩かれた。
「所長! 生存者がいました!」
「怪我の具合などは?」
「なんとか歩けます!」
警備隊員が連れてきたのは10歳ほどの少女と、異国から来たと思われる船乗りだった。船乗りは頭部を怪我しているようだったが、歩くのに支障はなさそうだった。
「それなら彼らと一緒に、殿下とご友人も非常通路に連れて行ってくれ」
警備隊員はアルセイドの顔を見て一瞬驚いたようだったが、すぐに手を差し出した。
「殿下、大丈夫です! さあ、非常通路にご案内します!」
「でも、少しでも、こっちの人を避難させて……」
「わかってます。我々も残った者がいないか確認したら本島へ避難しますから」
「僕らも救助活動を手伝うよ」
居ても立ってもいられなくなったジェイドが申し出た。
「何を仰いますか、避難の最優先は女、子供、怪我人です! あなたたちの成すべきことは、今すぐ本島へ渡ることです。ここは我々にお任せください」
警備所長に促されて、アルセイドとジェイドは警備隊員についていくことにした。
「それじゃあ、後を頼むよ」
2人は警備隊員に連れられて、管理区の下の岸壁から海に浮かぶ非常通路のところまでやってきた。ロープと浮きと板で作られた簡易な橋だったが、それでも今は本島へ確実に渡れる貴重な手段だった。
「ロープから手を放さないでくださいね」
警備隊員に見送られ、アルセイドとジェイドはすっかり暗くなった海の上を生存者と共に本島へ向かった。
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