第4話 陥落

大火災

 アルセイドとジェイドは火の海になりつつある港から脱出するために海上の非常通路を渡っていた。暗い海の上で不安定な浮きとロープに支えられた板の上を歩く度に、このまま海に落ちたらどうしようと不安になった。しかも強風で何度も通路は揺れ、全く生きた心地がしなかった。何もないときに橋を通れば何分もかからない本島までの道程が非常に遠く感じられ、何十分もかけて生存者たちは少しずつ非常通路を渡っていた。


 ようやく辿り着いた非常通路の先には、先に避難した管理区の職員たちがいた。一緒に渡ってきた生存者たちは彼らに抱えられるように連れて行かれた。


「アルセイド殿下!?」

「皆さん、こちらは、どうなってますか?」


 職員たちはアルセイドの顔を見て驚いたようだった。アルセイドとジェイドは固い大地を踏みしめられたことに安心して、その場に座り込んだ。


「火の粉が橋を越えて来ました。こちらももう、あちらとあまり変わりません……」


 職員は悲しそうに答える。アルセイドとジェイドが本島を見上げると、強風に煽られた火の粉が本島に及んで、次々と建物を飲み込んでいるところだった。日が沈みかけた暗い空に火の粉が舞い散り、すっかり手の施しようがないほど燃え上がっていた。火の手はますます勢いよく街を駆け上がっていくようだった。


「住民の避難は!?」

「エディア軍が総力を挙げて消火と避難に当たっていますが、避難所が足りていません」


 エディアの首都は丘に沿って建物が密集していた。斜面が多いため階段があちこちに設置され、災害時に人々がたくさん集まれるような避難場所は少なかった。沿岸部は港から何とか橋を渡って来た人と本島の火の手から逃げてきた人で混乱していた。


「橋の状況は!?」

「先ほどエディア兵が橋の方へたくさん駆けつけました。混乱は間もなく収まると思います」

「それじゃあ港への救助は!?」

「橋の混乱が収まり次第ですが……」


 アルセイドの顔に疲労以外の影が差した。


「どうする、ジェイド?」


 ジェイドはアルセイドと自分を気遣うのに精一杯であったが、アルセイドはこんな時も上に立つ者としての立場を忘れていなかった。そんなアルセイドの気持ちをジェイドは汲んでやりたかった。


「はやく女王陛下に港のことを報告しよう。それに城ならそう簡単に火は来ない。ここよりも確実に安全だ」


 ジェイドはアルセイドの居ても立ってもいられない気持ちに応えるのに加えて、はやくアルセイドを安全な城へ連れて行きたいと思った。


「そうだね、僕らが無事なことも母さんに知らせないと」


 立ち上がったアルセイドとジェイドを職員は押しとどめようとした。


「殿下、街中は大変危険です。こちらに留まってください」


 職員は心配そうにアルセイドを気に掛けたが、その心配を押しのけるようにアルセイドは言い切った。


「大丈夫、いつも歩いている街だ。燃えているところを避けていけば何とかなるだろう」

「それに、はやくアルの無事をみんなに知らせないと」


 ジェイドは城の皆がとにかくアルセイドの心配をしているのではと気を揉んでいた。


「そういうわけで、僕は何とか戻ります。皆さんのことも報告しなければなりません」

「しかし殿下……」


 食い下がる職員をジェイドは説得した。


「大丈夫、僕がついている。危ないところには絶対近づかないよ。僕ら港から帰ってきたんだ」


 職員は周辺を見渡した。避難者が増え、更に火の粉が舞う中でここも確実に安全とは言いがたかった。それなら安全が確保されている城まで多少危険を冒しても向かうべきではないかと判断し、それからアルセイドとジェイドの顔を見て、決断した。


「承知しました、我々はここで港から来る生存者を助けます。殿下は女王陛下に港での様子を報告してください」

「任せてよ」


 再びアルセイドとジェイドは手を取って丘を登り始めた。


***


 なるべく火の粉が飛んできていない道を2人は選んだが、いつ火の粉が落ちてくるかわからなかった。更に本島は行き場を失った市民たちで溢れかえり、何もなくなっていた港よりも先へ進むのが難しかった。


「だって、まだ中に母さんがいるんだぞ!」

「危ない! もう無理だ!」


 燃え上がる家の前で一人の男が取り押さえられていた。


「お母さん! お姉ちゃん! どこ!!!」


 悲痛な子供の叫び声が聞こえてきた。


 火の粉が目の前に落ちてきた。ジェイドは咄嗟にアルセイドを庇い伏せた。火の粉は少し前にいた女性を直撃し、彼女の服が燃え始めた。鋭い悲鳴の中、急いで周囲の人が彼女の服の火を消そうと彼女を叩き始める。女性の家族なのか、年若い男性が賢明に女性の名前を呼んでいた。


「僕はどうすればいいんだ……?」


 数々の光景を見てアルセイドが弱音を吐いた。


「国民を守れなくて、みんな傷ついているのに……僕は……」

「いいから行くぞ! 君の仕事は今は生き延びることだ!」

「でも……」

「泣くのは後だ! 泣くなら城に帰ってから泣け! いいな!」


 ジェイドは心が折れかけているアルセイドを連れて必死で安全な道を探した。


「昔父さんが言ってたんだ。王様は生きてることが仕事だから、王様を命がけで守ることが俺たちの仕事だって」


 ジェイドは何とかアルセイドの勇気を取り戻そうとした。

 

「だから、アルは絶対ここで死んじゃいけないんだ! わかるか!?」


 ジェイドに呼びかけられて、ようやくアルセイドは顔を上げた。


「そうだ、君の言うとおりだ。君は強いね」

「強くなんかないよ、僕は僕のするべきことをしているだけだ」


 アルセイドは改めて固くジェイドの手を握りしめた。


「ありがとう、君を見ていると僕まで強くなれる気がするよ」


 どの道も避難する人々で溢れかえっていた。いつも歩いている道より大幅に遠回りをしていた。それでも確実に城へ近づいていた。ようやく城門が見えてきたところでアルセイドは立ち止まった。そして先を行くジェイドに向かって話しかける。


「ジェイド……ありがとう」

「何だよ急に」


 アルセイドは声を詰まらせながら続けた。


「だって、僕ひとりじゃ絶対ここまで来れなかった。君のおかげだ」

「それは僕だってそうさ。さあ、あとひと息だ」


 城門はすぐそこだった。港からの長い時間がようやく終わろうとしていた。


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