結婚指輪
エディアの公開稽古は、基本的に各地の修練場から選ばれた者が更に鎬を削るために集う場所となっていた。カラン家、ファタリス家、ディルス家によって運営されている公開稽古は現在セイリオとソティスが中心となってまとめていた。
公開稽古の始まりには「剣術指南」を唱和することになっていた。これはデイノ・カランが提唱した剣技をする上での心構えのようなもので、エディアの剣士は皆この「剣術指南」を暗唱できた。
大人の部で公開稽古に参加するように言われたジェイドは、やはり芳しい成績を上げることはできなかった。ただ、大人の中に混ざってやっと対等に試合をするジェイドに周囲は舌を巻いた。更に悔しがったジェイドも自己流からようやく基本の型をしっかり学ぶ気になったようだった。そのことにセイリオは満足した。
それからジェイドは公開稽古では大人の部に参加させられたり、ミルザムと共に10歳以下の部の批評を手伝ったりした。ミルザムと共にエディアの型の実演をして見せ、その教えが子供たちに伝わっていると誇らしく、嬉しい気持ちになった。そんなときに、カラン家の次期当主としてエディアの発展に貢献していかなければいけないと思うようになっていった。
***
季節が巡りすっかり肌寒い陽気になってきた頃、急にセイリオがライラとジェイドを呼びつけた。セイリオの慌ただしい様子にライラとジェイドは不安になった。
「実は、どうにも国境付近で怪しい動きがあってな。リィア軍がかなり動員されているらしい。今はまだ公表もできないし正式に開戦とは至っていないが、近々そうなる日も確実に来るだろう」
父から告げられた言葉に、2人は驚いた。
「戦争に、なるの?」
ライラがこわごわ尋ねると、セイリオは眉をひそめた。
「そうだ、ビスキがやられてから4年経った。もし革命狩りの勢いをつけて勢力の拡大を図っているのなら、次は港か関所を抑えるはずだ。そうなればうちかオルドのどっちか……向こうに地の利のあるオルドにはわざわざ行かないだろう、そうすると奴らはこっちに来る」
リィア国の革命狩りの話は噂でかなり広がっていた。革命家と呼ばれる国家権力に反対する集団があちこちで蜂起し、特にビスキ国とリィア国で激しく活動していた時期があった。その後、リィアでは政変が起こり軍部が積極的に革命家を検挙して粛正し始めた。革命家たちはビスキへ逃れたが、革命狩りの勢いでビスキへ侵攻したリィアによって国ごと滅ぼされた。現在はビスキ領としてリィア軍が駐在しているが革命家たちの抵抗は続いていて、更に革命家たちの間でも常に内紛状態が続いていた。
そのような乱れた情勢がエディアにも及ぶのではないかと、リィア軍の動きを見てエディア軍本部は警戒を強めることを決定した。ただ現状では変わったところがないことから、軍上層部での情報共有に留まり市民の注意喚起などについては混乱を避けるために現段階で発表しないことを決定していた。
「それで、父さんはどうするの?」
ジェイドも不安になって尋ねた。
「俺はしばらく女王陛下から離れられなくなる。ソティスもますます帰ってこれなくなるだろう。もし開戦して国内が混乱するようなことになれば、家族がバラバラになる可能性もある」
セイリオはソティスと相談して、もし開戦になりそうであれば家族全員を疎開させることも考えていた。
「一応最悪の事態を想定しておくことも俺たちの仕事のひとつだ。そこで、お前たちにこれを預けておきたい」
セイリオは2人に手を出すように言うと、それぞれの手のひらに指輪を置いた。
「俺とアリアの結婚指輪だ。ライラは母さんの、ジェイドは俺のを持っておきなさい。いざというときに何かの役に立つだろう」
それは銀製の指輪だった。指輪の内側には細工がしてあり、セイリオとアリアの名前だけが小さく彫られていた。まだ幼いジェイドのために、セイリオは自分の指輪には紐を通してあって首から下げられるようにしていた。
「父さん、僕も戦うの……?」
父の指輪から、その覚悟と重みを受け取ったジェイドは不安げにセイリオの顔を見上げた。父の顔は剣を持つ者としての誇りと重圧に満ちていた。
「お前らが戦わなくてもいいように、エディアの精鋭たちがいる。そう簡単にリィアには負けないと思うから安心しろ。それよりもお前はライラを守れ、いいな?」
セイリオはジェイドの視線まで腰を落として念を押した。
「わかったよ、父さん」
父に信頼されていることを感じて、ジェイドの胸が熱くなった。
「ライラは、ジェイドを頼む」
セイリオは娘の顔をじっと眺めた。
「大丈夫よ、任せて」
ライラは指輪を握りしめて頷いたが、やはり不安は拭えないようだった。
「じゃあ、俺はしばらく城にいるからな。一応サロスはなるべくこっちに来るように手配をしておくから、何かあったらすぐ連絡を寄越せ」
不安げな2人を前に、セイリオは笑顔を見せた。
「大丈夫だ、城には父さんも来てもらうことになっている。天下のカラン一家が護ってる城だ。そう簡単には落とせまい」
セイリオの父である剣聖デイノ・カランは、数年前に家督をセイリオに継がせてからは隠居と称してセイリオの姉にあたるキャニス・ディルスの屋敷で好き勝手に暮らしていた。ジェイドは祖父と父と叔父、そしてエディアの精鋭たちが街を守っているところを想像して頼もしい気分になった。
「それに、奴らの狙いが革命家なら話し合う余地も十分ある。少なくとも俺はリィアだろうが革命家だろうが王家に手を出す奴は許さない。家族に手を出す奴はもっと許さない」
セイリオはライラとジェイドの頭に手をやった。
「お前らは俺とアリアの自慢の子供たちだ。何があっても大丈夫だ、安心しろ」
そう言うとセイリオは意を決したように屋敷を出て行った。残されたライラとジェイドは互いに顔を見合わせた。
「大丈夫だよ、姉さんは僕が守るから」
「頼もしいわね、任せたわよ」
ライラはにっこり笑うと、父がそうしたようにジェイドの頭に手をやった。指輪の重みとは別に、姉の笑顔が見れたことでジェイドはすっかり舞い上がった。崩れそうな表情を必死に抑えるために急いで指輪を首にかけると、そこに父と顔も覚えていない母がいるような気分になった。
(みんながついているんだ、頑張らないとなあ)
このまま姉のそばにいると頭がどうにかなりそうだったので、急いで修練場へ避難することにした。
「早速鍛錬してくる!」
その場から走り去る弟の姿を見て、また張り切っているのだろうとしかライラは思わなかった。
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