第10話 月光

「誰の許可得て、俺のテリトリーに入って来てんだ、あぁ?」


 ドスを効かせた声で、背後から大男が現れた。

 そしてその大男は人ではなく、オークだったのだ。

 セリカといい、オークといい、今日は原作関係者がよく登場するもんだ。

 俺たち二人は、予想外の介入者への驚きからか、しばらくその場から動けずにいた。


 約三メートルほどの大柄な体格。

 鼻が潰れてぺちゃっとしていて、下の口からは二本の牙が生えている。

 ゴブリンと同じような濃い緑の肌であるが、しかしゴブリンの貧弱な体とは違って全身が筋肉質で屈強な印象を与える。


 彼らの容姿が似ているのは諸説あるらしいが、ゴブリンの進化先がオークではないかという研究結果がどこかで出でいるらしい。

 以前そう何かの本で読んだことがある。


 そしてこの世界のオークは流暢に人語を話す。

 モンスターの中でも、知能を持つ存在は上位種と呼ばれており、オークはそれに該当する。

 知能がある故に、喋るし、武器だって扱う。

 奴の背には、己の身の丈と変わらないほど大きな大剣が背負われていた。


「お? なんだ、女がいるじゃねぇか、久しぶりの孕み袋だな」


 セリカの存在を視認すると、オークの声が分かりやすくワントーン上がった。

 次いで、俺の方をつまらなそうに見ると、


「男の餓鬼は……潰して肉団子にでもするか」


 その発言で、よく分かった。

 どうやらオークは原作通りの畜生らしい。

 奴とは心置きなくやれそうだ。

 殺しに来るのならば、もちろん俺だって容赦はしない。


「僕がオークとやります。セリカさんは、そこでしばらく大人しくしといてもらえますか?」


「……な、なにを言っているんだ、君は」


 さっき初めて会ったばかりの人間と息を合わせて戦うのは、おそらく容易なことでは無い。

 だったら一人で戦った方が何倍もやりやすいだろう。


「さっきのを見たでしょう? 僕は戦えます。だからここは任せてください」

 

 言いながら、緊張でわずかに手が湿り始めた。

 オークとの、そして上位種との戦闘は勿論これが初めてである。

 得意の催眠魔法は通じない。

 しかし、だからこそ俺は六属性の魔法をこれまで伸ばしてきた。

 このために、ずっと頑張って来たんだ。

 だから負けるわけがない。

 自分を信じよう。


「餓鬼が、なに一丁前にヒーロー気取ってんだ。てめぇの前でその女犯してやるから楽しみしとけ」


 オークは下卑た嗤いを浮かべながら、背の大剣をおもむろに引き抜いた。

 ずっしりと重量感のある大剣を両手で構える。


「……火属性魔法Lv2」


 俺は聞こえないくらいの声で呟く。

 原作のレオナルドならばあっけなく瞬殺される。

 しかし今の俺をそう簡単に殺せると思うな。


「ブレイズバレット!」


 俺は目に留まらぬスピードで火の弾丸を放った。

 

「……ぬ!?」


 驚くべきことに、奴はブレイズバレットに反応を見せた。

 しかし頭で分かっていても、その重そうな大剣では、即座にガードすることまで出来ない。

 そのまま胸元を抉るように直撃する。


 だが。

 ジュッ、と。

 胸部の一点を少し、黒く焦がしただけだった。


「くそッ、痛ぇじゃねぇか……このガキャ!」


 オークは憤怒し、唾を飛ばしながら怒号を飛ばす。

 様子見の一発であるが、思った以上に効果が無い。

 明らかな威力不足、何発当てたところで致命傷にはなりえないだろう。

 ゴブリン程度なら一瞬で燃え盛って死に至っていたのだが。


 そして何より、俺の最速の魔法であるブレイズバレットを知覚できるほどの超反応を見せた。

 ファイヤーボールならまだ多少はダメージを与えられるだろうが、しかしその速度ではオークに難なく防がれてしまうだろう。

 流石にこれまでみたいに簡単に倒せる相手ではない。


 オークは軽く前傾姿勢を取り、重心を落とした後、こちらに向かって思い切り跳躍した。

 巨体であるにもかかわらず、物凄いスピードで迫り来る。

 俺は咄嗟にエアソードを片手に携え、遅れて正面から迎え撃つ。

 そして交錯する剣と剣。

 しかし。


「うおぁっ!」


 あまりの風圧で俺は後方へと吹き飛ばされる。

 これは俺が純粋に子供だというのもあるのだろう。

 オークの全体重が込められた重い一撃を受け止めることは出来なかった。


 しかし俺は器用に宙でバランスを取って、なんとか両足で着地する。


「……だったら」


 ……あれをやるか。

 俺は両の手のひらを、大地にピッタリとつける。


「フローズンフィールド」


 氷属性魔法Lv6の大技である。

 唱えた直後、パキパキという小気味良い音を立てて、大地が凍てつき始める。


「チッ!」


 オークは舌打ちし、重そうな体で上空へ跳んだ。

 間一髪、氷の波はオークを捕らえることはなかった。

 だが、俺の真の目的は次にある。


 あの巨体では、当然空中で身動きは取れない。

 あれを試そう。

 まだ試作段階で完成まではいかなかったが、今こそそれを使う絶好のタイミングなのかもしれない。


 俺は全神経を、右手の人差し指に集中させる。

 奴は左右には動けない、ただ重力に従って下に落下するのみ。

 驚くほど、的は当てやすい。

 そのための状況を作ることができた。


 照準を狙い定めて、そして、撃つ。


「ライトニング・ブレイズバレット!」


 これは火属性魔法と雷属性魔法の複合技である。

 先程とは違い、雷撃を纏った炎の弾丸だ。

 威力だって当然増しているし、ブレイズバレッドの速度そのままに、否、それ以上の速度で撃ち放たれる。

 避けることはまず出来ない不可避の一撃。


「ぬうぅ!?」


 そしてそれは見事、オークに直撃した。

 けたましい音を立てて激しい爆発が巻き起こる。

 そして爆風の中から、巨体が煙の尾を引きながら地に墜落するのが確認できた。


「……どうだ?」


 俺はボソリと声を漏らした。

 しかし、辺りに飛び散る粉塵の中から、巨体のシルエットが見え隠れする。

 やがて煙が晴れると、ボロボロになったオークがおぼつかない足取りで何とか立っているのが分かった。


 その満身創痍な姿を見るに、ちゃんと効いているのが分かった。

 あと一押しで奴を倒せる。 


 オークの全身からは、プスプスと煙がくすぶっていた。

 緑だった肌が真っ黒に焼け焦げており、酷い悪臭がこちらまで立ち込めてきて、むせ返りそうだ。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッッッ!!!」


 オークの目は血走り、ぶつぶつと呪詛を撒き散らした。

 その鬼気迫るような迫力に、俺は少し気圧される。


 そしてオークは再び、こちらに向かって驚異的な跳躍を果たした。

 まっすぐ一直線に、矢のように飛んでくる。


「ファ、ファイヤーボール!」


 俺は咄嗟に大火球を生み出して放つ。

 相手は馬鹿正直に真正面から突っ込んで来ている。

 生憎、これなら外しようがない。

 当然と言えば当然、そのまま直撃した。

 しかし、一瞬よろけただけで、再び態勢を立て戻し、すぐにこちらへ突っ込んでくる。


「……っく、ライトニング!」


 続いて、電撃を放つ。

 ガードする気など全くないのか、あえなく直撃する。

 しかし今度はよろけることすらなかった。

 咆哮しながら鬼の形相で、再び迫り来る。


「……クソッ、アイスランス!」


 今度は鋭利な氷の槍を投擲をした。

 オークの胸元に深々と突き刺さる。

 大量の出血をするが、それでもお構いなしだ。


「コロスコロスコロスコロスコロスッッッ!!」


 オークは決死の特攻をしてくる。

 全て直撃しているというのに、俺の魔法が効いていない。

 その足は一向に止まる気配を見せない。


 嘘だろう?

 こいつ、めちゃくちゃすぎる。

 なんで止まらないんだ。


 いつしか、もう俺の目の前まで奴は迫ってきていた。

 向けられているのは、正真正銘、本気の殺意だ。

 俺は今、生まれて初めて本能的な恐怖を抱いてしまっている。

 

 いや、待てよ。

 そうだ、動きさえ止めればいいのだ。

 大丈夫、冷静になれば勝てない相手ではないじゃないか。

 相手はもう瀕死一歩手前まで来ているのだ。


「フローズンフィー……」


 魔法を唱え終わる前に、オークは俺に向かって大剣を振りかぶった。

 あっ、と思った瞬間にはもう遅かった。

 鋭利な刃が月光と重なり、きらりと光る。

 俺は覚悟した。


 しかし、


 ────瞬間、オークの首が飛んだ。


「……え?」


 思わず、間の抜けた声が出た。

 予想外の事態に、世界がスローモーションのようにゆっくりと流れる。

 一体、いま何が起きたんだ。

 その噴水のように湧き上がる血飛沫の先に、誰かが居るのが分かる。

 それは──


「な、に……?」


 発したのはオークだった。

 くるくると宙を回転するオークの頭が最後に発した言葉は、疑問符。

 それは完全なる意識外からの攻撃だった。

 ある意味ハイな状態であったオークでは、それに勘付くことが出来なかったのだろう。


 断罪したのは、セリカの剣だった。

 あまりにも美しき一閃が、全てを終わらせた。


 通常の剣ならば、硬質な皮膚で構成されるオークの首筋を切断する事は出来なかっただろう。

 僅かな傷をつけられるかも怪しいほどだ。

 しかし、そのツルギが聖剣ならば。


 ──聖剣。

 それは邪なる物体であるなら何でも断ち切れるという防御力無視のチート武器。

 どうやら、セリカが持つのはそれだった。


「言い忘れていたな。今日は、こいつの試し斬りに来たんだ」


 セリカは聖剣の柄を大事そうにさすりながら、俺に言う。


「しかし危なかったな、少年」


 俺は呆気にとられ、ただ口をぽかんと開けて眺めていた。


「助けてもらったお礼に、助けてやった。これで貸し借り無しだ」


 セリカは小さく微笑む。

 その微笑は月光に青白く照らされ、美しかった。


 そこでようやく、ボトリとオークの頭が落ちてきた。


 俺は途端に気が抜けてしまい、そのまま情けなく地面にへたりこんだ。

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