第5話 執事 side

 最近、ぼっちゃまの様子がおかしい。


 ある日を境に、まるで人が変わってしまったかのようである。

 ぼっちゃまが生まれた時から私が専属でお世話をしているが、彼はあんよの頃にはもう手の付けられないマセた子供だった。

 本能的に女というものを好み、赤ん坊であることを免罪符にしながら女体を這いずり回る醜い蟲のようなものだと私は唾棄し、心の内では蔑んでいた。


 それは女性にだらしない旦那様の血を引いていることからも納得できる節がある。

 ここ最近は特に性的な悪戯が過激になっていき、以前より目に余る非行が増えたように思う。


 しかし私はというと、その全てを見ないふりをして黙殺してきた。

 矛先はすべて女メイドへと向いているので、男である私に関係なかった。

 私は別に、彼の教育係まで預かり受けてはいない。

 叱ったり、間違いを正すといった指導まで請け負う義理はどこにもないのだ。

 

 冷淡な人間だと謗られそうだが、別にそれで構わない。

 ありていに言ってしまうと、私は子供が嫌いだ。

 中でも、レオナルドのような子供は反吐が出るほど嫌いだった。


 しかしそれでも心を殺して尽くしてきたのは、旦那様への最低限の恩義からである。

 十年前、私は戦時中に足を負傷して、長年勤めていた傭兵をやめた。

 ルドルフという私の名は、界隈では知れ渡っていたこともあってか、剣術指南の誘いが引く手数多あったが、とにかく血生臭いもの全般から離れたかったため、その全てを断った。


 私は、戦いに疲れていた。

 ストレスなく、のんびりと平穏に暮らすような日常に焦がれていた。

 そんな折、職にあぶれて、ふらふらしている所を若かりし旦那様に拾ってもらったのだ。


 執事として雇いたい、という要望を聞いたときは多少驚いたが、そんな人生を歩むのも悪くないと思い私は了承した。

 今思えば、主君を守るための用心棒という意味も兼ねていたのだろう。

 そういう経緯もあり、私はこの屋敷へとやってきた。


 齢五十まで剣しか握ったことのないような人生だった。

 誰かの身の回りの世話をするというのは大変だ。

 生きるために、執事としての所作や振る舞いを一から必死に学んだ。

 初めてのことだらけで悪戦苦闘したが、しかしそんな苦労すらも私は楽しいと思えた。


 ほどなくして、夫妻の間にレオナルドが生まれる。

 私は旦那様直々に、レオナルドの諸々のことを任された。

 なぜ私が、という疑問が先にあった。

 しかしそれだけ私に信頼を置かれているのだ、その思いを無碍には出来ない。

 子供の相手というだけで気が引けるが、恩には報いようと思った。


 ぼっちゃまが変わった日を明確に思い出すなら、おそらくあの日だろう。

 メイドの裸体を器と見立て、懐石料理を並ばせたとき。

 普段であれば、己から進んで口にすることがない料理の数々だ。

 邪な条件ではあるが、肉料理以外の食べ物を自分から食べると言い出したのは、もう随分と久しい事だった。


 最近はあまりにも栄養が偏りすぎていたし、メイドには悪いが一人の犠牲でバランスの良い栄養が補給できるのならば致し方ないと判断して止めなかった。

 悪いと思う一方で、子供にしては物凄い発想をするものだなと、どこか痛快な気分になっていたのは、ここだけの話だ。


 しかし、それが遂行されることはなかった。

 突然、目が覚めたかのようにハッとした面持ちとなって非行を思い留まり、逃げるように自室へ戻っていった。

 やはりそこからだろう、明確に変わったと実感したのは。

 彼の身に何があったのか分からないが、その日から別人のようになってしまった。


 まず、野菜を食べ始めた。

 あれだけ激しく嫌っていたのに、今ではこれまでの不足分を取り返すかのように、むさぼるようにして食べる。


 そして真面目に勉強するようになった。

 旦那様の指示によりブチャプリオ家では、ぼっちゃまに対し早いうちから英才教育がなされている。

 専属の家庭教師を呼び毎日勉強を教わっているが、しかし一度たりともまともに授業を受けた試しはない。

 いつも脱線して、部屋を抜け出し、それを連れ戻すのが私の役目だった。

 しかし今では授業中に暴れまわることはなくなり、ちゃんと着席した状態で大人しく話を聞くため、私の出番は無くなった。


 それにともなって、メイドたちからの小言も聞かなくなったように思う。

 日頃の行いから、あの子供はメイド全員に嫌われていた。

 理由はわざわざ説明する必要もないだろう。


 更に最近はというと、隠れて体を鍛えたりもしているようだ。

 それは誰が見ても分かるくらいに、痩せて細くなった事からも明白である。

 そしてつい先日には、剣の扱いを教えて欲しいと乞うてきた。

 どこで知ったのか分からないが、私の経歴を知っているらしい。


 勿論断ろうと思ったが、しかしその表情は真剣だった。

 遊び感覚で乞うてきたのではない事くらい、目を見れば分かる。

 旦那様にも、ゆくゆくは剣の指南をしてほしいと頼まれたことがあったが、まだ年齢的にも早い。

 それにどうせ彼なら私の言うことなど聞きやしないだろうという諦念があった。


 それがまさか自分から私に師事しにやって来るとは。

 やはり心のどこかで嬉しかったというのもあるのだろうか。

 その熱意に押される形で、私は渋々と了承した。


 それからというもの、ぼっちゃまは文句の一つも溢さず、私の教えに従順だった。

 まだ教えて数日というのに、驚くほどに剣の筋がいい。

 まさか彼に剣の才能があるとは思わなかった。


 最初は言葉で教えるだけにしようと思っていた。

 しかしその鋭い剣筋を毎日見るたびに、体の疼きが抑えられなくなってきた。

 やがて、その剣を受けたいと思うようになり、遂には木剣を使って実戦形式を行うことになった。


 ぼっちゃまには、大丈夫なのかと心配された。

 私の足の事を思ってだろう。

 以前ならそんな気遣いをされる事など一片たりとも無かったので、不思議な感じがした。

 私は、心配ご無用と、おどけた口調で返した。


 長年の癖というものはそう簡単に抜けず、毎日運動しなけば気持ち悪い。

 そのおかげもあってか、年齢の割には私の体は衰えていない。

 筋肉もしっかりついているし、素人よりは機敏に動ける自信がある。


 実戦形式を始めてから分かるが、ぼっちゃまは疲れ知らずだ。

 ほとんど休憩を取ろうとしない。

 こんな無茶を続けていれば、いつか体を壊してしまいそうで怖い。


 放っておくと、一生素振りを行っているのだ。

 だから、ひと時も彼から目を離すことは出来なかった。





「さて、休憩と致しましょうか」


 汗をぬぐい、木剣を端に立てかけて、声をかける。

 すると、また休憩~? とぼっちゃまは意地悪そうな笑みを口端に浮かべる。


「老体の身ゆえ、気を使ってくださると幸いです。……あっ、素振りもお止めください」


 ただの従者から師弟という関係を兼任したことで、いつしか軽口を叩きあえるような仲になっていた。

 以前までならありえないことだ。


 彼は日々恐ろしいほどの速度で成長していく。

 気が付けば、今後の彼の行く先を何よりも楽しみにしている自分が居た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る